ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
よろしければ
ご感想をお聞かせください。

中国: 武漢 自動車の街

2009年12月24日 07時23分05秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「特派員メモ 武漢(中国) 「自動車の街」の青春」という記事がありました。

特派員の方が、担当地のユニークな話題を紹介するコーナーです。

中国の湖北省の省都、武漢に、特派員の方が飛行機で移動されたのだそうです。

軽食をとろうと、ホテルのバーに入ったら、ビールを運んできたウエートレスさんが、日本語で「どうぞ」と言いながらビールを置いてくれたそうです。

「ありがとう」と言うと、「どういたしまして」。

「なぜ日本語を話せるのですか?」と聞いたところ、「彼が日系自動車メーカーに勤めていて、今は東京にいるから」

彼氏の影響で、日本語を学び始めたのだそうです。

中国人の彼氏は、最近は仕事が忙しく、めったに武漢に帰らないと言います。
「向こうにも彼女がいるみたい」

武漢は、長江中流にある内陸部の中心都市です。

ホンダや日産自動車が、合弁会社を設け、武漢市内や湖北省内に工場を構えています。
今や広州市(広州省)などに次ぐ中国有数の「自動車の街」です。

沿岸部(広州など)は、金融危機が直撃し、景気回復が遅れているため、車の販売でも主戦場となっています。

街の勢いが、期待と希望に満ちた若者を吸い寄せています。

翌日、特派員の方が行かれた自動車メーカーの工場では、作業服を着たおおぜいの若者がおしゃべりをしながら、新型車の生産開始を祝う式典が始まるのを待っていました。

「いろいろな青春があるのだな」
バーの出会いのおかげで、考えたということです。
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武漢と聞くと、世界史で名前を聞いた街ですが、今では自動車の街になっているのですね。


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天皇誕生日: 天皇家は12月生まれが40%

2009年12月23日 08時17分21秒 | 新聞
今日は天皇誕生日です。

天皇陛下は、12月23日のお生まれです。

このところ、天皇家のお誕生日が続いたと感じました。

天皇家の方のお誕生日を調べてみました。
(ウィキペディア参照)

 天皇陛下  12月23日
 皇后陛下  10月20日

 皇太子さま 2月23日
 雅子さま  12月9日
 愛子さま  12月1日

 秋篠宮さま 11月30日
 紀子さま   9月11日
 眞子さま  10月23日
 佳子さま  12月29日
 悠仁さま   9月6日

   2月  1人
   9月  2人
  10月  2人
  11月  1人
  12月  4人

12月生まれは、10人中4人で、40%を占めました。
寒い季節に生まれた方が多いという印象を持ちました。


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県庁所在地: 札幌、京都、横浜 人気

2009年12月23日 07時56分39秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「火曜トラベル 日本一の 県庁所在地がキラキラ」という記事がありました。

テーマについて読者に投票してもらい、意見を聞くコーナーです。

「魅力的な県庁所在地」について聞きました。

読者6004人の回答は、

  1位 札幌市    2178人
  2位 京都市    1755人
  3位 横浜市    1254人
  4位 新宿区    1016人
  5位 神戸市     725人 
  6位 仙台市     696人
  7位 金沢市     631人
  8位 大阪市     609人
  9位 名古屋市    436人
 10位 福岡市     415人

魅力的な県庁所在地のイメージは、
「歴史、文化、観光がそろっている場所」(50代女性)

日本一に選んだ理由は、
「生まれ故郷が一番」(60代男性)
「旅行で行きたい場所」(60代女性)

1位の札幌市は、「さっぽろホワイトイルミネーション」の季節なのだそうです。

夏の観光が主流だった札幌に、冬にも来てもらおうと1981年から始まりました。

最初は電球1千個で始まり、現在は発光ダイオードを増やし、45万個になりました。
大通り公園、駅前、南一条通りなどで楽しむことができるそうです。

札幌ラーメンは、「今はみそ味だけではありません」
(札幌市のラーメン評論家、野坂郡司さん)

こってり系(豚骨)と、あっさり系(鶏ガラや魚介)の「味の二極化」が目立つとのことです。
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案内人は、元NHKアナウンサーの宮本隆治さんです。
「のど自慢」の収録で、全国の県庁所在地を全部訪れたそうです。

宮本さんご自身は北九州の出身ですが、盛岡が印象的と話されています。
戦災をまぬがれたので、明治、大正、昭和の建物が残り、わんこそば、盛岡冷麺、じゃじゃめん、ひっつみ等、おいしいものも多いとされていました。

自分の出身地は、幼い頃の記憶と街のすみずみまで知っている「我が街」感があって、愛着があります。


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アルツハイマー病の治療薬: 日本人が開発、杉本八郎さん

2009年12月22日 11時00分37秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「人生の贈りもの アルツハイマー病治療薬開発責任者 杉本八郎さん 1 新薬は、認知症の亡き母への孝行」という記事がありました。

アルツハイマー病の治療薬、塩酸ドネペジル(商品名アリセプト)を開発したのは、日本人研究者の杉本八郎さんなのだそうです。

早期から中期の患者さんに投与すると、9カ月ほどで記憶力が回復し、その後も記憶力が減退する幅を小さくすることができます。

日本国内では唯一のアルツハイマー病治療薬で、世界シェアも1位です。

杉本さんのお母さんは、9人の子どもを貧しい中で働きずくめで借金をしながら育ててくれました。

認知症になり、訪ねていくたびに「あんさん、誰ですか」と聞かれるようになりました。
「息子の八郎ですよ」と言うと、「そうですか、私にも八郎という息子がいるんです」と答えられました。

絶対に親孝行したいと思っていたのに、アルツハイマー病治療薬を開発する前に亡くなってしまいました。
これを完成させれば孝行になるという強い思いがありました。

都立化学高校を卒業後、1961年にエーザイに入社し、中央大学の夜間部で勉強しました。

学歴もないので、人と違うことをしなければ目立たない。
倍働いて実績を出すしかないと思っていました。

批判覚悟で、けんかもたくさんしました。

新薬が完成し、1997年2月に、アメリカのアトランタで、エーザイと販売契約を結んだファイザー社の医薬情報担当者(MR)ら2500人の発売大会がありました。

開発者の代表としてスピーチする杉本さんを、全員がスタンディングオベーションで迎えてくれ、拍手と歓声と足を踏みならす音でスピーチが始められませんでした。

アメリカでは認知症の6割がアルツハイマー症で、治療方法がなく、「ゴー・ホーム・ディジーズ」(帰りなさい病)と言われていました。

スピーチを終えて席に戻ると、1人の女性が来られました。

偶然、同じホテルに泊まった客室乗務員さんで、おばあさんがアルツハイマー病にかかったけれども、杉本さんのドネペジルを飲んで家族の名前を思い出せるようになったのだそうです。

「開発者に一言お礼が言いたくて」と、話してくださり、研究者冥利に尽きました。

その夜は興奮してなかなか寝付けず、涙があふれて止まらなくなり、毛布をかぶって号泣してしまいました。
それは母親への思い、感謝の気持ちだったと思います。

新薬開発が成功する確率は、0.02%と言われています。

ドネペジルを含め、2つの新薬を開発できた理由は、
 「どうしても開発したい」という強い志
 時の利
 人の和
 「開発できるはずだ」という密かな自信
 「絶対あきらめない」という思い
 それと運               ということでした。
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杉本さんは、2003年からは京都大学薬学研究科客員教授も務めていらっしゃるとありました。

アルツハイマー病に治療薬があるとは、あまり知りませんでした。

アメリカ第40代大統領のドナルド・レーガンさんも、アルツハイマー病になられました。
亡くなったのが2004年(ウィキペディア「ドナルド・レーガン」の項参照)とあるので、新薬は間に合わなかったことになります。


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食品ロウ細工→樹脂製: 84億円市場

2009年12月22日 10時15分11秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「凄腕つとめにん 岩崎 制作部菓子部門係長 田三夫さん(34歳) 手がけた食品サンプル 33万個」という記事がありました。

様々な業界で、群を抜く経験をした方を紹介するコーナーです。

レストランの店頭の食品サンプルは、ロウ細工からプラスチック製になり、市場規模は84億円なのだそうです。

岩崎という会社でサンプルを作っていらっしゃる田三夫さんが紹介されていました。

食品サンプルは、小規模業者が多く、業界団体はないのだそうです。

製造業者は、全国に200社ほどあり、岩崎(東京都)といわさき(大阪市)の岩崎グループが国内シェアの約6割を占めます。

田さんは、モノ作りの仕事がしたいと思っていました。

高校への求人に、食品サンプル会社があり、目を引きました。
「変わった仕事だし、やっている人も少なそうだ」

興味本位で受けに行った試験は、倍率10倍以上でした。

キャリアは順調というわけではありませんでした。

食品サンプルの世界は、
「型どり」(食品にシリコーンをかけて型を取り、その型に樹脂を流し込んでサンプルの原型を作る)

「仕上げ」(色づけやソースかけ、盛り付け。花形の仕事)  があります。

田さんは、若い人が辞めたり、後輩が少なかったりで、「型どり」(通常1年)を4年間することになりました。

同期が「仕上げ」に進む姿を見るのは悔しかったそうです。

折れそうな気持を支えたのは「技術で劣っているわけではない。必ず経験は後で生きてくる」」という思いでした。

様々なメニューはどんな食品を使い、どんな色なのか。
料理本を買い、気になるメニューは食べに行き、技術以外のことも学んでいきました。

「仕上げ」に進めたときには、「これだけ下積みをした人間はいない」という妙な自信がありました。

和菓子、菓子、喫茶とあらゆる部門を経験し、作った食品サンプルは33万個になります。

特に菓子は、単体で間近で見られるため、顧客の目も一段と厳しいのだそうです。
「あんこの幅を1ミリ狭く」といった要求も珍しくありません。

自信作は何ですかと記者の方が尋ねると、「長ネギ」という答えでした。

以前は小口切りにすると、白い輪の集まりにしか見えなかったのを、芯の部分の緑でも黄色でもない微妙な色、表面の繊維も再現し、千切にすればするほどよくしなり、小口切りで幾重の層が見事にほぐれるようになりました。

「めん類は、他がすべてうまくできても、薬味がうそっぽいだけで全体のリアリティーがなくなりますから」ということでした。
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「製法は大半が手作業」という記事が添えてあり、食品サンプルは、20年ほど前までは寒天で食品の型をとり、ロウで作る方法が主流でしたが、寒天はシリコーンに、ロウは樹脂(ウィキペディアによるとプラスチックが主流)になり、加工しやすく、壊れにくくなったとありました。

田さんの「長ネギ」は、見たことがあるかもしれません。
ショーウィンドーのネギがあまりに見事で、「ここまで作るのか」と見入った記憶があります。


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富士山: 冬 ヒマラヤ以上に危険

2009年12月21日 09時27分30秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「冬の富士 魔の強風 登山家「ヒマラヤ以上に危険」」という記事がありました。

富士登山が人気ですが、冬は、強風のためヒマラヤより危険な山になるのだそうです。

富士山は、独立峰のため、西から季節風が吹きつけます。
沢や尾根に当たって複雑な風が発生します。

山岳気象予報士の猪熊隆之さんは、大学3年の冬に山頂付近で風に飛ばされ、約250メートル滑落して左足を骨折しました。

テントなしで1晩耐え、生還しました。
「なだらかな地形の富士山で遭難するとは、当時は思いませんでした」

日大山岳部OBで、エベレスト登頂の経験もある古野淳さんは、冬の富士山に40回以上登り、風の恐ろしさを再三経験しました。

「6件ほど遭難を目撃しましたが、空中を登山者が飛んでいったときは恐怖を感じました」

古野さん自身も、山頂付近でザイルにつながったまま突風に20メートル近く飛ばされたことがあり、「冬の富士山はヒマラヤ以上に危険」と話されます。

東京に近く、冠雪が早い富士山は、大学山岳部や社会人山岳部の冬山訓練の場として人気なのだそうです。

11月以降は、例年、風が非常に強まり、登山道は積雪があったり凍結します。

お正月の「ご来光登山」は、限られた精鋭登山家のみが可能な世界だということです。
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富士山は夏場は行列ができるくらいの人出で、冬も「ご来光」の様子がテレビで中継されたりします。

そんなに危険な山になるとは知りませんでした。


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銀座: ホステスさんの髪セット バブル→現在

2009年12月21日 09時00分21秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「砂時計 夜の街の盛衰 鏡にみつめ バブル景気」という記事がありました。

ユニークな場所で、昭和と現在のエピソードを紹介するコーナーです。

銀座の「FR美容室」は、座席5つの美容室で、銀座のホステスさんが利用するお店なのだそうです。

「今日は私、誕生日だから華やかにお願いします」

素顔で席についたホステスさんは、セットをしてもらいながら手早くお化粧もします。

佐藤心泉さん(女性)は、髪にブラシをかけ、カーラーで巻き、逆毛を立てます。

「最近、なんかおいしいもの食べはりました?」と大阪弁で話しかけると、ホステスさんはリラックスして、昨夜は飲みすぎたとか、家で待っている幼い娘のことなどを話してくれます。

セットは5分ほどで終了し、ホステスさんは夜の「舞台」へ出かけます。

佐藤さんは、高校時代に美容師になることを決めました。

シャンプーとパーマを繰り返す下積みのあと、大阪・北新地の美容室で働くようになったのは1980年代後半、22歳のときでした。

「バブル」と呼ばれた時代で、高級クラブが次々にオープンし、30万円の胡蝶蘭をぎっしり乗せて花屋の台車が配達をしました。

美容室のクローゼットには毛皮のコートが並び、ホステスさんは何百万円もする着物や高級ブランドのスーツで訪れ、「海外旅行に行っている間に、株が上がって、数千万円もうかったわ」と話しました。

佐藤さんは、朝から晩まで立ちっぱなしで髪をセットし、週末は別の美容室で働きました。

仕事優先で遊びに行く余裕もなく、早く技術を一流にして、独立したいと思っていました。
自分は地道にがんばろう。

そう思っていたときにバブルが崩壊しました。

不動産や株の暴落で、お客さんの羽振りのよさが一変しました。

ホステスさんは、お客さんに気を遣って派手は宝石などは控え、ライターも外国製から100円ライターになりました。

大変なのは自分だけじゃないんだ。
華やかな舞台で、浮き沈みの激しい中を生き抜いているホステスさんの苦労を見て、そう感じたそうです。

佐藤さんは、独立をし、大阪に店を出した後、銀座にも店を5年前に出しました。
高級クラブの街で、腕を試したいと思ったからです。

今は景気の影響で、クラブの閉店のうわさが流れたりします。

佐藤さんは、暗くなりがちな話題を避けながら、頑張っているみんなを一番美しい姿で送り出したいと考えるということです。
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美しいホステスさんの写真に目を引かれました。
佐藤さんも、ホステスさんに劣らず美しい方です。

美容師さんは、一般客にもいつも楽しく対応してくださいますが、こういう思いでやってくださっているのかと思いました。


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秀吉の鉄砲: カンボジアの鉛、謎ルートを解明

2009年12月20日 11時28分29秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「秀吉軍の戦略物資・鉄砲玉の鉛 東南アジアからも調達 別府大の平尾教授ら メコンの村で究明」という記事がありました。

信長や秀吉の鉄砲の玉に使われた鉛は、産地が謎の「N領域」がありましたが、カンボジアなど東南アジアから来ていたことが研究で分かったのだそうです。

鉄砲は、日本の戦国の乱世を終わらせ、日本統一をもたらす原動力になったとされています。

その玉の原料の鉛は、4つの同位体があり、その比率によって、日本産、朝鮮産、華北産、華南産などと推定できます。

別府大学の平尾良光教授(文化財科学)は、戦国時代の鉄砲玉を分析し、産地が分からない「N領域」の鉛があることに気がつきました。

1587年(戦国末期)に検地に抵抗してたてこもった一揆勢を、秀吉軍が攻め滅ぼした古戦場、田中城跡(熊本県和水町)から見つかった秀吉軍が撃ったと考えられる鉄砲玉56個を分析しました。

  日本産    25個
  朝鮮・中国産 10個
  「N領域」  21個  と4割近くを占めました。

1567年の三好―松永の戦いの痕跡と見られる東大寺(奈良)の南大門で見つかった3個は、2個が「N領域」でした。

平尾教授は、欧州か東南アジア産ではないかと考え、研究の領域を拡大してみました。

その結果、2007年に、カンボジアのメコン川流域の小さな村で、墓地から出土した青銅の腕輪10点、ガラス玉5個が、「N領域」の鉛を含んでいることを確認しました。

2008年には、タイの出土品も分析し、「メコン川流域を中心とした東南アジア産で、まずは間違いがない」と分かりました。

では、どういうルートで日本に来たのでしょう。

別府大学の飯沼賢司教授(日本史)は、文献で鉛を探しました。

1580年に、戦いで苦境のキリシタン大名を助けるために、イエズス会が鉛を届けたという記録が見つかります。

1609年に、オランダ使節が家康に持参した土産には、純金の杯2個、生糸350斤、象牙2本と並んで、鉛3千斤が含まれていました。

鉛を通して新たに見えてきた歴史を、両教授は連名で論文にまとめました。

「鉛が戦国社会を動かした。経済力を示す精錬、軍事力を意味する鉄砲玉。急激な需要の高まりに、自給できなくなった鉛を、海外から調達するルートを握ったものが戦国の覇者となった。信長や秀吉が貿易の中心だった堺を重視し、ポルトガルなどの商品は東南アジアで鉛を調達し、日本に運び銀を受け取った」

今回の成果について、東京大学の黒田明伸教授(中国経済)は、
「東南アジアでは、16世紀に鉛の通貨が使われており、鉛の生産が豊富だった。ベトナム南部から積み出し中国を経由した密貿易のルートで運んだのだろう。火薬の原料の硝石も、同じルートでもたらされたと考えていいだろう」

戦国を舞台にした時代小説が多い作家の安部龍太郎さんは、
「鉛と硝石を確保しないことには鉄砲が使えず戦争に勝てない。どの戦国大名も輸入には懸命だったはずだが、どうやって入手したのかは記録がないので分からなかった。戦国時代最大の謎と考えてきたが初めて道筋が見えた。興奮を覚える画期的な研究だ」と話されました。
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こういう話を聞くとわくわくします。

歴史も、現代と同じように、流通、経済が重要だったのですね。
それを、丹念に証明することで分かっていく過程が、読んでいて楽しく感じました。


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カレー・ソーセージ: ドイツ 人気 8億本消費

2009年12月20日 09時54分21秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「とれんどうおっち ベルリン(ドイツ) 年8億本の「国民食」」という記事がありました。

世界各地で流行しているものを紹介するコーナーです。

ドイツでは、焼いたソーセージ+カレー味ケチャップ+フライドポテト(パン)が人気で、年間8億本も食べられているのだそうです。

ドイツで大人気のファーストフードです。

ドイツ語では、「カリーブルスト」と呼ばれています。

熱々に焼いたソーセージに、トマトケチャップとカレー粉を混ぜたソースをかけ、フライドポテトまたはパンを添えます。

1皿200円(1.5ユーロ)で、日本の焼きそばの感覚なのだそうです。

登場から60年、発祥には諸説ありますが、第2次世界大戦後の1949年に、アメリカの捕虜時代にケチャップと香辛料に慣れ切った夫の味覚をヒントに、ベルリンで屋台を営む女性が考案したという説が有力です。

ベルリンには、約200店の専門店があると言われ、ベルリンだけで年間7千万本、ドイツ全体では年間8億本が食べられています。

カリーブルストを扱った小説、マンガ、歌もあります。

60年の歴史を記念して、発祥の地ベルリンに、「カリーブルスト博物館」もオープンしました。

「カリーブルスト博物館」では、歴史やソースの工夫の展示のほかに、カリーブルストの調理時間を競うテレビゲームもあり、人気です。

展示担当のティーレさんは、ケルンの出身ですが、「カリーブルストはベルリンが一番」と認められるということです。
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四角い紙の容器に、たっぷりの赤いケチャップ、フライドポテトを添えたソーセージは本当においしそうです。

黄色のプラスチック製のフォークがついていて、屋台で買って、街中で食べるのにもよさそうで、おいしいソーセージが食べたくなりました。


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デンマーク: COP15の国は、いつも省エネ

2009年12月19日 08時32分33秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「窓 論説委員室から デンマークの冬」という記事がありました。

論説委員の方が、交代で記事を書かれるコーナーです。

COP15(気候変動の国際会議)が開催されているデンマークに行かれたことろ、普通の人の生活ぶりも省エネで感心したのだそうです。

デンマークは、今が1年でもっとも日が短い季節です。

朝9時が夜明けで、8時はまだ暗いです。
昼間も、太陽が低いため、夕方のようで、車もライトをつけて走ります。

午後2時をすぎると夕暮れになり、4時には暗くなってしまいます。
おかげで時差ボケがちっとも治らないのだそうです。

こんなに暗くて気がめいらない?

コペンハーゲンのCOP15の会場で、デンマークの人たちに聞くと、皆、一様にけげんな顔をします。
「なぜ? 冬って、こんなものでしょう」

日本人なら、暗いなら電気をつけて明るくすればいいと考えます。

しかし、コペンハーゲンの繁華街は、クリスマスセール中だというのに、派手なイルミネーションや看板は少なく、道路や住宅街の灯りもぼんやりしたオレンジ色です。

こんなに電気を節約すれば、さぞ二酸化炭素の排出も抑えられるだろう。
しかも、その電気の2割は風力発電で起こしたものです。

つくづく低炭素な国だと、薄暗い夜道を歩きながら思ったそうです。

寒空の下、自転車がたくさん走っていて、タクシーは少なくてなかなか拾えません。

こうでないと、地球温暖化は防げないのかもしれない、ということでした。
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COP15を紹介するテレビのニュースで、デンマークの街は自転車が多いことは伝えていました。

実際に行かれた委員の方の、省エネに感心するとともに、日本人としてはわびしさも感じられた様子が伝わってきます。


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カピバラ: ふぅ~ 埼玉で温泉

2009年12月19日 08時08分37秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「ふぅ~」という見出しとともに、湯けむりの温泉につかるカピバラたちの写真がありました。

埼玉県の県こども動物自然公園で、カピバラに温泉施設を作ってあげて、人気なのだそうです。

11月にカピバラ用の温泉施設が、完成しました。

カピバラは、南米が主な生息地のため、冬の間は体を寄せ合って寒さをしのいでいました。

現在では、長いときは2時間もお湯に入ったままで、その様子を見ることができ、お客さんの人気なのだそうです。
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写真では、お湯がちゃんと白っぽく、湯船の周囲には岩まで配置されています。
カピバラたちが、目を細め、首まで湯につかっていました。

猿が温泉につかる話題はよく聞きますが、カピバラも温泉好きだったのですね。


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ボーイング787: 日本企業がボーイングと協力開発

2009年12月18日 07時56分48秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「ボーイング「787」 初の試験飛行 「夢の旅客機」に熱視線」という記事がありました。

アメリカのボーイング社の新型旅客機「787」が、初の試験飛行に成功し、開発には日本3企業が協力していたのだそうです。

12月15日に、アメリカで最初の試験飛行を行ったボーイング787は、「夢の旅客機」と言われます。

初飛行を行ったマイク・カーリー機長は、
「最も燃費がよく、最も使い勝手が良い旅客機。(開発を始めた)5年前の我々の願いが今、かなった」と記者会見で述べました。

燃費が従来機より2割良く、燃料代に苦しむ航空各社にとって「救世主」となる可能性が高いと期待されます。

東レが開発した複合材(炭素繊維と樹脂)を機体の5割に使用して軽量化し、三菱重工など日本の重工メーカー3社が機体製造の3割以上を担いました。

旅客数は最大約300人で、「ジャンボ」と呼ばれる747のほぼ半分です。

ドル箱路線にしか使えない大型機と違って用途が広く、空席による採算割れもリスクも抑えることができる利点があります。

受注は、一時、910機まで伸び、過去最大のヒットとなりました。

しかし、部品の不具合などで、第1号機納入は当初より2年半遅れ、発注取りやめは70機になりました。

世界の航空会社の中でも、全日空はとりわけ積極的で、55機の購入予定は世界最多ということです。
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素朴な疑問なのですが、アメリカ企業の機体開発に、日本企業が関わるというのはあるのですね。

開発競争が、アメリカ(ボーイング)とヨーロッパ(エアバス)だからでしょうか。


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歴史人口学: 速水融さん、文化勲章 庶民の日常を立証する

2009年12月18日 07時32分37秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「今年度文化勲章・速水融さんに聞く 庶民を描く歴史人口学」という記事がありました。

今年の文化勲章を受けた速水融さん(慶応大学名誉教授)は、歴史人口学で、従来考えられていたものとは違う庶民の暮らしぶりを明かにしてきたのだそうです。

歴史人口学は、フランスで生まれた歴史考察の手法です。

教会に残る洗礼、結婚、埋葬などの記録を手がかりにして、信徒の生涯や家族の姿を復元します。

速水さんは、1963年にベルギーに留学し、生まれたばかりの歴史人口学に出会いました。

「画期的な手法に見えた」

庶民の歴史研究は、日本にもありましたが、一揆や抵抗の歴史が中心でした。

歴史人口学は、庶民の日常の暮らし、地域の特色、人口の推移等を描きだそうとしていました。

日本へ帰国すると、史料を求め、全国をめぐりました。

江戸時代の「宗門改帳」と「人別改帳」が、史料としてすばらしく、探しました。

「宗門改帳」は、キリシタンではないことを確認するために作ったもので
「人別改帳」は、大名が領内の人口を調べるために作ったものです。

当時の町や村の単位で、約800が見つかりました。
100年前後連続した記録も、20ほど確認しました。

それを1人ひとりをカードにして、生涯を復元しました。

「すべてが手作業だった。調査からは、日本列島では地域によって家族の姿が違うことが見えてきました」

東北日本は、多世代同居の直系家族です。
若年で結婚し、都市に出稼ぎに行きました。

東海や関西を含む中央日本は、核家族が多い。
都市化が進み、働く場が多かったことが背景にありました。

東シナ海沿岸部の西南日本は、世帯の規模が大きいのが特徴です。
結婚しても親元に住み続ける場合が多かったことが分かりました。

「直系家族は小家族経営に最適なシステムで、親子関係が優先されます。
核家族では、移動が自由な労働力が生まれ、夫婦関係が優先する。
合同家族は、共同経営に向き、兄弟関係が優先します」

日本では直系家族が基本だったという見方が強かった時代に、研究を通して新たな日本像を示しました。

最初に就職した日本常民文化研究所で、民俗学の宮本常一さんに「庶民のことをやらないと、歴史はわからない」と教えられました。

速水さんは、政治史とも社会史ともまったく違う視点から、日本の近代社会を描き出しました。

今も日曜を除き、毎日、研究室に通われるそうです。
朝9時に家を出て、午後7時に終えます。

「しなくてはいけないことはたくさんある。北東北はまだ空白だし、越後・越中も史料がない。四国も空白。九州も分かったのは一部だけです」

東シナ海をまたいで、西南日本を含む文化圏があったのではないかとも考えられているということです。
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名誉教授になられても、研究三昧の生活はすばらしいことだと思います。

きちんと史料に当たって、地道に立証された説は説得力があるものとなるでしょう。
1人ごとのカード等、興味深く読みました。


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ドバイショックの次はギリシャ: 理由と影響

2009年12月17日 07時47分34秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「ギリシャの財政危機 ユーロ最大の試練 首相、再建策発表「痛み伴う」」という記事がありました。

ドバイショックの次は、ギリシャが財政危機となっているのだそうです。

ギリシャは、財政赤字は慢性的でしたが、政権交代に伴い、従来発表されてきた数字より赤字が大きいことが分かりました。

政権は中道左派で、福祉を重視してきました。

国債の格下げ、金利の上昇に追い込まれ、政府は、財政再建策を急遽打ち出しました。

パパンドレウ首相は、12月14日(日本時間15日)に、社会保障費の削減や小公共事業の見直しによって、現在12%(国内総生産GDP比)を超える財政赤字を、2013年までに3%以内(EUの基準)に圧縮すると発表しました。

社会保障費の1割削減、公務員数を減らす、公務員の給与の昇給凍結を発表しました。

パパンドレウ首相は記者会見で、「汚職や他者依存体質といった問題を治す機会だ。断固とした、そして痛みの伴う解決策が必要だ」と国民に理解を求めました。

EUによると、ギリシャの債務残高は2010年には124.9%(国内総生産GDP比)になる予定です。

この再建策に、ユーロ圏の各国や市場が及第点を与えるかは不透明です。
アイルランドは公務員給与を15%削減し、それに比べると厳しさに欠けるという批判もあります。

ユーロは、通貨は1つで、財政は別という弱点が指摘されていました。

通常だと、財政赤字が拡大すると、通貨の価値が下がり、政府は対応を迫られます。
ユーロの傘下にいると、そういう事態は起きません。

これまでは、景気拡大で矛盾は見えにくかったのですが、加盟国が増加し、景気が後退したことであらわになりました。

ギリシャが財政再建に失敗したら、どうなるのか。

市場では、東欧のラトビアに緊急融資をしたのと同じような支援を予想しています。

ロイター通信によると、ドイツのメルケル首相は「単一通貨を使っている以上、1つの国に起きたことは他国にも影響する。我々は共通の責任を持つ」と、万一の場合の支援を示唆しました。

劣等生を皆で助け始めれば、税制規律のゆるみから、通貨(ユーロ)の信認が揺るぎかねません。

ギリシャ(ユーロ圏に占めるGDPが3%)だけだといいのですが、ポルトガル、スペインといった財政規律に不安のある国が、まだ後ろに控えています。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのバウター教授は、
「長い目で見れば、徴税や国債発行ができる欧州財務当局が必要になるだろう。もちろん今は難しいが、EUという奇妙な生き物を生み出した以上、いずれは避けられないことだ」と話されました。
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ユーロが導入されたのは、1999年で、それ以来の最大の試練になりそうだと、記事にありました。

大小さまざまな国が参加するようになると、財政がうまくいっていない国も含まれるようになるのは理解できます。

ユーロは、今まで高い評価を得てきたように思います。
今後、どのように解決していくのか注目したいです。


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釣りバカ日誌20: 制作部が俳優、撮影スケジュール管理

2009年12月17日 07時04分52秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「エンドロール 「釣りバカ日誌20 ファイナル」×制作担当・岩井均さん コンビと歩んだ22年」という記事がありました。

映画製作の裏話を紹介してくれるコーナーです。

「釣りバカ日誌」は、今月26日公開の第22作目で、最終回になるのだそうです。

第1作は、1988年(昭和63年)12月に公開でした。

松竹で制作担当を務める岩井均さん(48歳)は、第1、2作目は助監督として、3作目以降は、松竹制作部として、全作品の製作に参加してきました。

「釣りバカ」では、制作部が、俳優スケジュール、撮影スケジュール、予算の3つをまとめて管理し、10カ月をかけて1本を作ります。

昨年の10月、朝原雄三監督らと4人で、今回のロケ地となる北海道を訪れました。

道東の湿地や牧場をめぐり、脚本5、6本分の筋を考えました。

「北海道はまだ舞台になっていないし、最後だから、幻の魚イトウを釣ろうと考えて」

イトウは、釣り人のあこがれであると同時に、絶滅危惧種でもあり、釣りの自粛を求める声もあります。

ハマちゃんは、イトウを釣るべきか、釣らないべきか。
答えは、映画の中で出しました。

「釣りバカ」は、常に世相を反映してきたのだそうです。

「バブルの頃は、みんな仕事ばかりで、仕事に縛られず家庭と趣味を大事に生きるハマちゃんはスーパーマンだった。でもバブルが崩壊したら、みんながハマちゃんになっちゃった」

今作では、ハマちゃん(西田敏行さん)が釣り人脈を生かして、社のため、スーさん(「鈴木建設」の経営者、三國連太郎さん)のために動きます。

岩田さんにとって今作は、松竹で手がけた50本目の映画となります。

「半分近くが『釣りバカ』。自分の映画作りの基本です」

昨年までなら、作品が公開される時期には、すでに次の作品のロケ地探しに出かけていました。

今年はそれがありません。

撮影終了の日に、西田さんから「22年間、毎年やってきて、来年は岩ちゃんと会わないと思うとつらい」と言われ、涙が出そうになったということです。
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映画会社の制作部は、大きな役割を果たしているのですね。

俳優スケジュール、撮影スケジュール、予算の3つを管理するとなると、大変そうですが、とてもやりがいのある仕事ではないかと思いました。


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