ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
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アルツハイマー病の治療薬: 日本人が開発、杉本八郎さん

2009年12月22日 11時00分37秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「人生の贈りもの アルツハイマー病治療薬開発責任者 杉本八郎さん 1 新薬は、認知症の亡き母への孝行」という記事がありました。

アルツハイマー病の治療薬、塩酸ドネペジル(商品名アリセプト)を開発したのは、日本人研究者の杉本八郎さんなのだそうです。

早期から中期の患者さんに投与すると、9カ月ほどで記憶力が回復し、その後も記憶力が減退する幅を小さくすることができます。

日本国内では唯一のアルツハイマー病治療薬で、世界シェアも1位です。

杉本さんのお母さんは、9人の子どもを貧しい中で働きずくめで借金をしながら育ててくれました。

認知症になり、訪ねていくたびに「あんさん、誰ですか」と聞かれるようになりました。
「息子の八郎ですよ」と言うと、「そうですか、私にも八郎という息子がいるんです」と答えられました。

絶対に親孝行したいと思っていたのに、アルツハイマー病治療薬を開発する前に亡くなってしまいました。
これを完成させれば孝行になるという強い思いがありました。

都立化学高校を卒業後、1961年にエーザイに入社し、中央大学の夜間部で勉強しました。

学歴もないので、人と違うことをしなければ目立たない。
倍働いて実績を出すしかないと思っていました。

批判覚悟で、けんかもたくさんしました。

新薬が完成し、1997年2月に、アメリカのアトランタで、エーザイと販売契約を結んだファイザー社の医薬情報担当者(MR)ら2500人の発売大会がありました。

開発者の代表としてスピーチする杉本さんを、全員がスタンディングオベーションで迎えてくれ、拍手と歓声と足を踏みならす音でスピーチが始められませんでした。

アメリカでは認知症の6割がアルツハイマー症で、治療方法がなく、「ゴー・ホーム・ディジーズ」(帰りなさい病)と言われていました。

スピーチを終えて席に戻ると、1人の女性が来られました。

偶然、同じホテルに泊まった客室乗務員さんで、おばあさんがアルツハイマー病にかかったけれども、杉本さんのドネペジルを飲んで家族の名前を思い出せるようになったのだそうです。

「開発者に一言お礼が言いたくて」と、話してくださり、研究者冥利に尽きました。

その夜は興奮してなかなか寝付けず、涙があふれて止まらなくなり、毛布をかぶって号泣してしまいました。
それは母親への思い、感謝の気持ちだったと思います。

新薬開発が成功する確率は、0.02%と言われています。

ドネペジルを含め、2つの新薬を開発できた理由は、
 「どうしても開発したい」という強い志
 時の利
 人の和
 「開発できるはずだ」という密かな自信
 「絶対あきらめない」という思い
 それと運               ということでした。
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杉本さんは、2003年からは京都大学薬学研究科客員教授も務めていらっしゃるとありました。

アルツハイマー病に治療薬があるとは、あまり知りませんでした。

アメリカ第40代大統領のドナルド・レーガンさんも、アルツハイマー病になられました。
亡くなったのが2004年(ウィキペディア「ドナルド・レーガン」の項参照)とあるので、新薬は間に合わなかったことになります。


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食品ロウ細工→樹脂製: 84億円市場

2009年12月22日 10時15分11秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「凄腕つとめにん 岩崎 制作部菓子部門係長 田三夫さん(34歳) 手がけた食品サンプル 33万個」という記事がありました。

様々な業界で、群を抜く経験をした方を紹介するコーナーです。

レストランの店頭の食品サンプルは、ロウ細工からプラスチック製になり、市場規模は84億円なのだそうです。

岩崎という会社でサンプルを作っていらっしゃる田三夫さんが紹介されていました。

食品サンプルは、小規模業者が多く、業界団体はないのだそうです。

製造業者は、全国に200社ほどあり、岩崎(東京都)といわさき(大阪市)の岩崎グループが国内シェアの約6割を占めます。

田さんは、モノ作りの仕事がしたいと思っていました。

高校への求人に、食品サンプル会社があり、目を引きました。
「変わった仕事だし、やっている人も少なそうだ」

興味本位で受けに行った試験は、倍率10倍以上でした。

キャリアは順調というわけではありませんでした。

食品サンプルの世界は、
「型どり」(食品にシリコーンをかけて型を取り、その型に樹脂を流し込んでサンプルの原型を作る)

「仕上げ」(色づけやソースかけ、盛り付け。花形の仕事)  があります。

田さんは、若い人が辞めたり、後輩が少なかったりで、「型どり」(通常1年)を4年間することになりました。

同期が「仕上げ」に進む姿を見るのは悔しかったそうです。

折れそうな気持を支えたのは「技術で劣っているわけではない。必ず経験は後で生きてくる」」という思いでした。

様々なメニューはどんな食品を使い、どんな色なのか。
料理本を買い、気になるメニューは食べに行き、技術以外のことも学んでいきました。

「仕上げ」に進めたときには、「これだけ下積みをした人間はいない」という妙な自信がありました。

和菓子、菓子、喫茶とあらゆる部門を経験し、作った食品サンプルは33万個になります。

特に菓子は、単体で間近で見られるため、顧客の目も一段と厳しいのだそうです。
「あんこの幅を1ミリ狭く」といった要求も珍しくありません。

自信作は何ですかと記者の方が尋ねると、「長ネギ」という答えでした。

以前は小口切りにすると、白い輪の集まりにしか見えなかったのを、芯の部分の緑でも黄色でもない微妙な色、表面の繊維も再現し、千切にすればするほどよくしなり、小口切りで幾重の層が見事にほぐれるようになりました。

「めん類は、他がすべてうまくできても、薬味がうそっぽいだけで全体のリアリティーがなくなりますから」ということでした。
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「製法は大半が手作業」という記事が添えてあり、食品サンプルは、20年ほど前までは寒天で食品の型をとり、ロウで作る方法が主流でしたが、寒天はシリコーンに、ロウは樹脂(ウィキペディアによるとプラスチックが主流)になり、加工しやすく、壊れにくくなったとありました。

田さんの「長ネギ」は、見たことがあるかもしれません。
ショーウィンドーのネギがあまりに見事で、「ここまで作るのか」と見入った記憶があります。


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