ある40代女性の生活

40代女性の生活の一例です。
よろしければ
ご感想をお聞かせください。

木谷明さん: 遠近両用めがね開発、シルモドール賞

2009年12月01日 10時53分11秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「凄腕つとめにん HOYA開発部 フェロー 木谷明さん 自前の遠近両用レンズ、時を忘れ研究」という記事がありました。

さまざまな分野で、卓越した仕事をしている方を紹介するコーナーです。

木谷明さんは、めがねレンズの開発にたずさわってきました。

1946年に、樺太で生まれ、富山で育ち、鉄腕アトムの科学の世界にあこがれて東京理科大学に進学します。

大学で物理を学び、光学の世界へ進みます。
眼鏡メーカー「HOYA」に就職しました。

当時、遠近両用めがね用で境目がない「累進レンズ」は、フランスからの輸入品でした。

夏になると、フランスの会社は休暇に入り、必要な数のレンズが届かなくなります。
年々、価格も上がってきました。

「自前で開発したい」と言うと、「面倒なことをやりたがる新人が来た」と話題になりました。

「なんとか開発したい」と、1人で研究を始めました。
外国語を直訳したような特許文献が唯一のてがかりです。

10年近く、100本以上のプログラムを組み合わせ、複雑なソフトの開発に取り組みました。
パズルを解くように夢中になり、時間のたつのも忘れました。

1987年、累進レンズの発売を開始します。
価格は、フランス製の半分です。

予想した量の3倍の注文が来ました。

訪れた眼科で、「最近は安くて良い老眼鏡が出たのでありがたい」というおばあさんと医師との会話が聞こえてきました。
自分の仕事が評価されたようで、嬉しくなりました。

孤独な開発作業を、つらいと思ったことはありません。

若い頃、「君は趣味で仕事をしている」と工場長に言われ、「ありがとうございます」と頭を下げると、「褒めていない」としかられました。

レンズの世界は、激しい開発競争の世界です。
開発途中に、他社に先を越されたときもあります。

他社製品を徹底的に研究し、独自の技術を開発し、ユレやゆがみを大幅に減らすレンズを設計しました。
そのレンズで、「眼鏡界のアカデミー賞」と言われるフランスのシルモドール賞を受賞しました。

「人間は脳でものを見ています。目に入る光の計算だけで、いい眼鏡が作れない」

設計者として200種類以上のレンズを生み出してきました。

今年9月に定年退職になりましたが、技術力を請われ、再雇用されました。

視力は1.0です。
8年前に、手元の本を見ようとして、顔を遠ざけたのに気がつきました。

開発した遠近両用めがねをかけてみると、便利と感じ、驚きました。
「自分だけは老眼にならないと、根拠のない自信がありました。でも、いいレンズを作るには、早く老眼にならなきゃね」
--------------------

1つのことに集中して開発、研究される姿は、かっこいいと感じます。

「アイデアは、寝る前や移動中、トイレの中でひらめくことが多い。毎晩、枕元にはメモ帳と鉛筆を忘れない」と、記事にありました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 ニュースブログ 国内ニュースへ

点字: かな、アルファベット、漢点字もある

2009年12月01日 09時04分05秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「ニッポン人脈記 漢字の森深く 4 漢点字 世界が色づく」という記事がありました。

点字は、ひらがなだけでなく、漢字を表わす「漢点字」もあるのだそうです。

考案した川上泰一さんは、聞き間違いから盲学校に就職しました。

1949年、「盲学校の先生にならないか」という知人の連絡を、「農学校」と勘違いしてしまいました。

戦後で食糧事情が厳しかったので、農学校なら食べ物の心配をしなくていいと承諾したら、大阪府立盲学校でした。

戦時中は、航空エンジニアで、視覚障害者の教育は素人でした。

鍼灸師をめざる生徒たちは、百会(ひゃくえ)等の難しいつぼの名前を覚えています。

「目が見えんのに、漢字どないしてんの」と聞いたら、
「漢字ってなんや」

点字は、1文字が、1ます6個の点からなり、かなやアルファベットを表します。
漢字は無縁です。

川上さんは、「ならば、おれが漢字の点字を作る」と宣言しました。

最も苦労したのは、かなと漢字の区別です。
「6個の点の上に、漢字であることを示す点を2個置こう」と思いつきました。

1ますに、8個も点がある点字は、指で読めるものなのか。
生徒が実際に協力してくれました。

漢字は、何千も何万もあります。
ます1つでは、表しきれません。

「木」は1ますですが、「林」は2ます、「森」は3ます分を使います。

1970年、川上漢点字が発表されました。

学んだ人からは、
「日本語がこんなに豊かだったなんて」
「難しい漢方の用語がよく理解できる」という声が届きました。

川上さんは、1994年に、77歳で亡くなりました。
奥さんのリツエさんが、遺志を継ぎ、「日本漢点字協会」を自宅で続けています。

『カラマーゾフの兄弟』の漢点字訳が、10月に完成し、全43巻は積み上げると2メートルの高さになります。

川上さんに漢点字を教わった岡田健嗣さんは、生まれたときに強度の弱視で、19歳で失明しました。

盲学校では、鍼灸師になるため、つぼの名前をお経を暗記するように覚えていました。

29歳で、漢点字を知りました。
川上さんが、「無理に覚えなくていいい。忘れたら調べなさい」と言われたのが忘れられません。

子どもの頃、大人が「ボジョウはいい映画だ」と言っていたのは、「慕うに情けだったのか」と気付き、すべてが白黒から極彩色に変わったような衝撃を覚えます。

1996年に、ボランティア団体「横浜漢点字羽化の会」を作りました。
論語、『常用字解』、新聞の短歌も漢点字訳しています。

全国に、視聴覚障害者は約30万人います。
点字が読める人は約3万人、川上漢点字が読める人は1千人弱です。

覚えやすいかな点字で十分という人も多く、点字離れも進んでいます。

川上さんは「漢点字の学習は、登山のように苦しいが、山頂には文化の光が満ちている」と話されていたということです。
----------------

「木」、「林」の漢点字の例がありました。

かなの「き」は、6個の点です。
「木」は、上に漢字を示す2点が加わり、8個の点です。

「林」は、上の漢字を表わす点が4個(2ます分なので)になり、両端が黒で、始まりと終わりを示しています。
下は、6個×2ます=12個の点(黒と白が混在していて、情報を表わしている)でした。

点字に漢字がある、ないは考えたことがありませんでした。
こんな世界もあるのか、と興味深く読みました。


ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村 主婦日記ブログ 40代主婦へ