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秀吉の鉄砲: カンボジアの鉛、謎ルートを解明

2009年12月20日 11時28分29秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「秀吉軍の戦略物資・鉄砲玉の鉛 東南アジアからも調達 別府大の平尾教授ら メコンの村で究明」という記事がありました。

信長や秀吉の鉄砲の玉に使われた鉛は、産地が謎の「N領域」がありましたが、カンボジアなど東南アジアから来ていたことが研究で分かったのだそうです。

鉄砲は、日本の戦国の乱世を終わらせ、日本統一をもたらす原動力になったとされています。

その玉の原料の鉛は、4つの同位体があり、その比率によって、日本産、朝鮮産、華北産、華南産などと推定できます。

別府大学の平尾良光教授(文化財科学)は、戦国時代の鉄砲玉を分析し、産地が分からない「N領域」の鉛があることに気がつきました。

1587年(戦国末期)に検地に抵抗してたてこもった一揆勢を、秀吉軍が攻め滅ぼした古戦場、田中城跡(熊本県和水町)から見つかった秀吉軍が撃ったと考えられる鉄砲玉56個を分析しました。

  日本産    25個
  朝鮮・中国産 10個
  「N領域」  21個  と4割近くを占めました。

1567年の三好―松永の戦いの痕跡と見られる東大寺(奈良)の南大門で見つかった3個は、2個が「N領域」でした。

平尾教授は、欧州か東南アジア産ではないかと考え、研究の領域を拡大してみました。

その結果、2007年に、カンボジアのメコン川流域の小さな村で、墓地から出土した青銅の腕輪10点、ガラス玉5個が、「N領域」の鉛を含んでいることを確認しました。

2008年には、タイの出土品も分析し、「メコン川流域を中心とした東南アジア産で、まずは間違いがない」と分かりました。

では、どういうルートで日本に来たのでしょう。

別府大学の飯沼賢司教授(日本史)は、文献で鉛を探しました。

1580年に、戦いで苦境のキリシタン大名を助けるために、イエズス会が鉛を届けたという記録が見つかります。

1609年に、オランダ使節が家康に持参した土産には、純金の杯2個、生糸350斤、象牙2本と並んで、鉛3千斤が含まれていました。

鉛を通して新たに見えてきた歴史を、両教授は連名で論文にまとめました。

「鉛が戦国社会を動かした。経済力を示す精錬、軍事力を意味する鉄砲玉。急激な需要の高まりに、自給できなくなった鉛を、海外から調達するルートを握ったものが戦国の覇者となった。信長や秀吉が貿易の中心だった堺を重視し、ポルトガルなどの商品は東南アジアで鉛を調達し、日本に運び銀を受け取った」

今回の成果について、東京大学の黒田明伸教授(中国経済)は、
「東南アジアでは、16世紀に鉛の通貨が使われており、鉛の生産が豊富だった。ベトナム南部から積み出し中国を経由した密貿易のルートで運んだのだろう。火薬の原料の硝石も、同じルートでもたらされたと考えていいだろう」

戦国を舞台にした時代小説が多い作家の安部龍太郎さんは、
「鉛と硝石を確保しないことには鉄砲が使えず戦争に勝てない。どの戦国大名も輸入には懸命だったはずだが、どうやって入手したのかは記録がないので分からなかった。戦国時代最大の謎と考えてきたが初めて道筋が見えた。興奮を覚える画期的な研究だ」と話されました。
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こういう話を聞くとわくわくします。

歴史も、現代と同じように、流通、経済が重要だったのですね。
それを、丹念に証明することで分かっていく過程が、読んでいて楽しく感じました。


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