昨日の朝日新聞夕刊に、「人生の贈りもの よこはま動物園ズーラシア園長 増井光子さん 2 うつうつ気分、動物にふれて晴れる」という記事がありました。
パンダの飼育で有名で、現在はよこはま動物園ズーラシア園長の増井光子さんが、これまでの生活を話されるシリーズの2回目です。
動物好きになったのは、小学校2年生のときに大阪から生駒山近くに疎開したときだったのだそうです。
それまでは病気がちでしたが、疎開先では親は生活で手いっぱいなので、学校から帰ると山や田んぼで虫やカエルをつかまえて、動きや形が何とも面白いと感じます。
シートン動物記等も読み、世界の野生動物を研究したくなりました。
小学校5年生のとき、近所でテリア系雑種の子犬が生まれ、脚が悪いメスが残ったのでもらいました。
「犬の脚が何とかならんかな」と思って保険所に相談に行き、脱臼した状態が固定して「治らない」と言われ、獣医師という職業を初めて意識します。
その犬が子犬を産むと「欲しい」と言われ、喜ばれる犬を産ませようと思いつき、耳が立っている(人気がある耳)オスと交配しようとしても、うまくいかず、犬にも好みがあることが分かったそうです。
高校生で紀州犬を飼い、日本犬愛好家のおじさんたちと犬談義をするようになります。
犬が感染症ジステンバーで死んでしまい、獣医師は治療学や解剖学を習って命を救えるから、その道に進もうと思うようになりました。
日本犬保存会を創設した板垣四郎先生が学長の麻布獣医科大学に進学します。
将来は動物園で働こうと決め、馬に触ったことがなかったので、馬術部に所属して夏休みは1日100円で他の部員の当番を代わってあげたりして馬の世話をしました。
動物園は、世界中から動物がやってくる「居ながらにして、宝の山だ」と思ったのです、ということでした。
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女性の動物園園長さんで、パンダ報道のときも堂々と対応され、印象の強い方です。
身近なことをきっかけに動物に関わる職業を決められたのだと思いました。
パンダの飼育で有名で、現在はよこはま動物園ズーラシア園長の増井光子さんが、これまでの生活を話されるシリーズの2回目です。
動物好きになったのは、小学校2年生のときに大阪から生駒山近くに疎開したときだったのだそうです。
それまでは病気がちでしたが、疎開先では親は生活で手いっぱいなので、学校から帰ると山や田んぼで虫やカエルをつかまえて、動きや形が何とも面白いと感じます。
シートン動物記等も読み、世界の野生動物を研究したくなりました。
小学校5年生のとき、近所でテリア系雑種の子犬が生まれ、脚が悪いメスが残ったのでもらいました。
「犬の脚が何とかならんかな」と思って保険所に相談に行き、脱臼した状態が固定して「治らない」と言われ、獣医師という職業を初めて意識します。
その犬が子犬を産むと「欲しい」と言われ、喜ばれる犬を産ませようと思いつき、耳が立っている(人気がある耳)オスと交配しようとしても、うまくいかず、犬にも好みがあることが分かったそうです。
高校生で紀州犬を飼い、日本犬愛好家のおじさんたちと犬談義をするようになります。
犬が感染症ジステンバーで死んでしまい、獣医師は治療学や解剖学を習って命を救えるから、その道に進もうと思うようになりました。
日本犬保存会を創設した板垣四郎先生が学長の麻布獣医科大学に進学します。
将来は動物園で働こうと決め、馬に触ったことがなかったので、馬術部に所属して夏休みは1日100円で他の部員の当番を代わってあげたりして馬の世話をしました。
動物園は、世界中から動物がやってくる「居ながらにして、宝の山だ」と思ったのです、ということでした。
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女性の動物園園長さんで、パンダ報道のときも堂々と対応され、印象の強い方です。
身近なことをきっかけに動物に関わる職業を決められたのだと思いました。