昨日の記事を上げたのは、夫婦関係の危機を迎えた時がありまして、
その時代を思えばこそなんです。
「休憩あるに決まってるだろ。普通、あるよな?無いと思ってた?」
上から目線の人を小馬鹿にしたような言い方ではありますが、
こんなことを言われたところで、もう、なんともありません。
はい??とは思うけど、ま~た、言ってるよ。この人
・・くらいなもんです。
つまり、慣れっこになってしまっています。
それに、外で他人様にそんな横柄な言い方はしていないのでね。
家だけのことなので、真剣に受け止めることもないし、笑って聞き流せばいいと思います。
それに、ケン太が聞いていたとしても、クスクス笑っているだけです。
ケン太も「パピィ。また言ってるわ」と心で思っていると思います。
こうみえても、私達夫婦は、ケン太が不登校になるまでは仲が良かったんです。
ご近所さんでも評判なくらい(笑)
週末はいつも家族で出かけていました。
教育方針も一緒で、家族一丸となり、中学受験の体制を整えていました。
やはり、決定的だったのは「不登校」です。
まず、男性と女性はホルモンの違いもあり、そもそも根本的に考えが違うものらしいですから。
女性ホルモンは、割と、協調性を大切にし、皆と同じであることで安心するものらしいです。
だから、我が子だけが学校に行っていない・・・という状況だけで、不安が大きくなっていく。
おまけに、勉強しない、ゲームばかり・・・
どんどん我が子が普通の姿からかけ離れていってしまうようで、その状況に耐えられなくなってくるんです。
主人は当時、朝は5時半に出勤。帰りも遅めでしたから、朝の行き渋りも見てないし、
帰ってくれば、そこにケン太がいる光景はこれまでと変わらない。
問題がそこにないのです。
行きたくないんだから仕方がないよ。
そのうち行くと思うよ。
どこか他人事。
本当にケン太をみていてそう思う?
私はそのようにはまったく見えなかったのですが。
そこからすれ違いが生まれましたね。
私が他の方にアドバイスをいただいたことを主人に伝えようとしても遮られる。
メールを送っても読んでくれない。
わかってもらおうとすればするほど、すれ違っていく・・・
そのうち完全に拒否体制で、「不登校」に関して「無関心」になり、
「俺はもう関わらない。口を出さない。あなたの好きなようにすればいいじゃない」と宣言しました。
そしてすぐ「将来、この家から出て行く」と事あるごとに言うようになりました。
夫婦のすれ違い。離婚・・・
子どもの「不登校」でそうなってしまうんですね。
それだけ大きな問題なんだと思います。
だからぶつかってしまう。
今、問題が起きている我が子の前で一番、やってはいけないことなのに。
子どもへの影響がいかに大きいことか。
でも、我が家だけではないんです。
「不登校」で離婚まではいかなくても、夫婦の問題を抱えていまう方がいかに多いことか・・・
夫婦問題が先に起きていて・・・これも多いです。
言い争いばかりの家庭で、子どもの心が健康でいられすはずがありません。
「不登校」という問題を起こして、繋ぎとめようとしているのでは・・・と思うことも。
相手の不満ばかり言っていても、何も変わらないんです。
向こうだってこっちを不満に思っているわけですから。
お互いが主張しあったら、ぶつかるだけですよね。
相手を変えることはできないんです。
相手を変えようと思ったら、まず自分が変わるしかない。
もうね。これだけですよ。
変えられるのは自分だけ。
まず主人に「ありがとう」と言う事を意識しました。
「ありがとう」と言われて、嫌な人はいないですよね。
毎日、家族のために働いてくれていること。
朝ご飯がいらない日。夕ご飯がいらない日。
カレンダーに書いておいてくれること。
何か頼み事をすると、嫌な顔をせずにすぐ、やってくれること。
「当たり前のこと」なんて、何一つないんです。
だから「ありがとう」です
その時代を思えばこそなんです。
「休憩あるに決まってるだろ。普通、あるよな?無いと思ってた?」
上から目線の人を小馬鹿にしたような言い方ではありますが、
こんなことを言われたところで、もう、なんともありません。
はい??とは思うけど、ま~た、言ってるよ。この人

つまり、慣れっこになってしまっています。
それに、外で他人様にそんな横柄な言い方はしていないのでね。
家だけのことなので、真剣に受け止めることもないし、笑って聞き流せばいいと思います。
それに、ケン太が聞いていたとしても、クスクス笑っているだけです。
ケン太も「パピィ。また言ってるわ」と心で思っていると思います。
こうみえても、私達夫婦は、ケン太が不登校になるまでは仲が良かったんです。
ご近所さんでも評判なくらい(笑)
週末はいつも家族で出かけていました。
教育方針も一緒で、家族一丸となり、中学受験の体制を整えていました。
やはり、決定的だったのは「不登校」です。
まず、男性と女性はホルモンの違いもあり、そもそも根本的に考えが違うものらしいですから。
女性ホルモンは、割と、協調性を大切にし、皆と同じであることで安心するものらしいです。
だから、我が子だけが学校に行っていない・・・という状況だけで、不安が大きくなっていく。
おまけに、勉強しない、ゲームばかり・・・
どんどん我が子が普通の姿からかけ離れていってしまうようで、その状況に耐えられなくなってくるんです。
主人は当時、朝は5時半に出勤。帰りも遅めでしたから、朝の行き渋りも見てないし、
帰ってくれば、そこにケン太がいる光景はこれまでと変わらない。
問題がそこにないのです。
行きたくないんだから仕方がないよ。
そのうち行くと思うよ。
どこか他人事。
本当にケン太をみていてそう思う?
私はそのようにはまったく見えなかったのですが。
そこからすれ違いが生まれましたね。
私が他の方にアドバイスをいただいたことを主人に伝えようとしても遮られる。
メールを送っても読んでくれない。
わかってもらおうとすればするほど、すれ違っていく・・・
そのうち完全に拒否体制で、「不登校」に関して「無関心」になり、
「俺はもう関わらない。口を出さない。あなたの好きなようにすればいいじゃない」と宣言しました。
そしてすぐ「将来、この家から出て行く」と事あるごとに言うようになりました。
夫婦のすれ違い。離婚・・・
子どもの「不登校」でそうなってしまうんですね。
それだけ大きな問題なんだと思います。
だからぶつかってしまう。
今、問題が起きている我が子の前で一番、やってはいけないことなのに。
子どもへの影響がいかに大きいことか。
でも、我が家だけではないんです。
「不登校」で離婚まではいかなくても、夫婦の問題を抱えていまう方がいかに多いことか・・・
夫婦問題が先に起きていて・・・これも多いです。
言い争いばかりの家庭で、子どもの心が健康でいられすはずがありません。
「不登校」という問題を起こして、繋ぎとめようとしているのでは・・・と思うことも。
相手の不満ばかり言っていても、何も変わらないんです。
向こうだってこっちを不満に思っているわけですから。
お互いが主張しあったら、ぶつかるだけですよね。
相手を変えることはできないんです。
相手を変えようと思ったら、まず自分が変わるしかない。
もうね。これだけですよ。
変えられるのは自分だけ。
まず主人に「ありがとう」と言う事を意識しました。
「ありがとう」と言われて、嫌な人はいないですよね。
毎日、家族のために働いてくれていること。
朝ご飯がいらない日。夕ご飯がいらない日。
カレンダーに書いておいてくれること。
何か頼み事をすると、嫌な顔をせずにすぐ、やってくれること。
「当たり前のこと」なんて、何一つないんです。
だから「ありがとう」です
