ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

学校と家とのギャップを大きくしない

2020-10-31 23:58:54 | 思うこと
今日は、先日、届いた、ふるさと納税のお礼品のお肉で、すき焼きをしました。





美味しい~ありがたや~
家族でいただける幸せ。

しかし、3人一緒に食卓を囲んでという機会がない。
まずは主人と二人で。ケン太は帰ってきてからひとりで・・・と。
別々でいただくことになりましたけどね。

牛肉、2キロ届いたので、第2弾、第3弾?と楽しみは続きます


昨日の、夫婦喧嘩から子どもが学ぶ?とか、
これは、必ずしもダメなこととは言えないということであって、
夫婦喧嘩しても大丈夫ということではないですよね

どんなことでも、100%良いというものもないし、100%ダメというものもない。
その家庭の数だけ、その子、その子によっても違うしね。
だから難しいんですよね。


学校で特に要因もないのに不登校になった場合。
やはり、家庭を見直ししないといけないと思うんです。

子どもが、学校が・・・先生が・・・友達が・・・と理由をあげていても、
じゃあ、クラスの子は皆、学校が・・・先生が・・・と言っているかといえばそうでもないわけで、
特に問題にしていない子もいます。
結局は、外的要因ではなく、個々の捉え方の問題だったりします。

私は、学校と家とのギャップを大きくしないことかなと思います。

親が何でも手助けしてあげていても、学校はそうじゃないので。
学校の先生は、常に何十人もの生徒をみているので。
家のようなサービスを受けることができません。
自分から意思表示しないとわかってくれないことも。
待っていても、聞いてもらえません。

とても気にかけてくださる先生に助けられていても、
次の環境。中学校、高校、大学でも同じように気にかけてくださる先生がいるかどうか・・・
その後、出ていく社会はどうなのか・・・

先生に感謝しつつ、家では家の対応を。
その子、その子にあった対応を。

常に先を見据えて、
子どもの自立を意識して、年相応の子育てをしていきたいですね。


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夫婦喧嘩から子どもが学ぶこと?

2020-10-30 23:56:49 | 思うこと
こちらもまたインタビュー。

内田也哉子さん。
希林さんと裕也さんの娘さんですね。

ご両親やご夫婦に関するインタビューだったのですが、
これまで、こういう場合はこうだと私が思っていたこと。
それとは別の考えだったのですが、こういうのもありなんだろうな・・・と思ったことがありました。

なんか回りくどい言い方で、???ですよね。


夫婦喧嘩のことです。

ご夫婦でぶつかることもあるそうですが、
子ども達の前ではピシっとしていて、急に陰でというのではなくて、
常に、漏れてしまっているが、子ども達には、その中から学んでもらうしかない。
こうやって他人の二人は一生懸命すり合わせながら、時にもめながら、
家庭を築いていくんだなって。

これに、ちょっとなるほど・・・と思った私です。

我が家では、夫婦喧嘩をしません。
もし、するようなことがあるとしても、子どもの前ではしません。
してはいけないと思っています。

まず、子どもは、夫婦が喧嘩をしている姿など見たくないだろうと思います。
家庭の雰囲気がよくなくなることもそうですが、
エスカレートして、言い争いになり、例えば、私が主人を否定、非難したとしましょう。
お母さんに非難されているお父さんは、カッコ悪いです。父親の立場もあったものではありません。

子どもに何か言うべきことがある時、叱るべきことがある時、
「あなたも何か言ってよ」と父親に子どもを叱ってもらおうと思っても、
子どもは、お母さんにやられてしまっている情けないお父さんの言うことを聞こうとするでしょうかね。

特にうちは男の子なので、母親のひと言よりも、やはり父親のひと言なんですよね。
それを効果的なものにするために、その父親の立場を下げてはいけないと思うのです。

我が家の場合は、主人が、ケン太に何か言おうとは思っていないし、
そもそも、ケン太の上に立とうなんて思っていないのですが
とりあえず、私は主人のこと下げないように気をつけているので
いやいや、上げるようにしていますよ。ケン太の前では

ケン太は、主人には、一目置いているというか、多少の緊張感が残されている?
「もし、またこういうことがあったら、今度はお父さんに言うからね」が効いていたりします。
どうにかストッパー役となっているのかな?そう信じたい

もし喧嘩しちゃったら、正直、どうなるかわからないです。
それが崩れてしまうかも?

何故、我が家は喧嘩しない方がいいのかといえば、
建設的な喧嘩にならないから。
主人を怒らせてしまうと、ほんと、手に負えないので。
私が1言えば、10返されるし、子どもの前で言ってはいけないことまで、ぶちまけますから。

過去に「ブログなんてやめちまえ」と言われたことあり
(このブログではありませんが、ケン太のことを書いていたので)

ケン太の前で何を言いだすのかわからないので、怒らせたくないというのもあるのです。


でも、例え、喧嘩になったとしても、
それが、お父さんとお母さんは、一生懸命すり合わせながら、
時にもめながら、家庭を築いていくんだなって。
子どもが思えるような喧嘩だったら、いいのかもしれないな・・・と。
家庭よりよくするためという目的があるのならね。

人間、綺麗ごとだけじゃすまないし、
言いたいことがある時に、我慢すれば波風は立たないけど、不満はいつまでも燻ってしまうものだし、
それは解決とは言えない。
やはり、相手にちゃんと伝えて、解決できるのなら、その方がいいですよね?

それを学ぶ機会になればいいのかなと思います。


也哉子さんの長男くん。

早くもめ事が終わってほしいから「二人とも間違ってないから!」と言って、
止めに入るそうですよ。

やっぱり、喧嘩はしてほしくないのでしょうね

でも、止めるための言葉を知ってますね



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やりたくなければやらなくていいよ

2020-10-29 23:40:04 | 感名を受けた話
あの料理研究家のリュウジさん。
インタビュー記事が掲載されていたのですが、
なかなか興味深い経歴をお持ちでして、1部を紹介したいと思います。

まず興味をひいたのは、「引きこもり」の経験があるということ。
そうだったんですねぇ。



無理をして「頑張る」とか無理やり「やる気」を出そうとするのは嫌い。
これまで好きなことしかしてこなかった。努力をした経験がない。
他の人に「頑張ったね」「努力しているね」と言われることもあるけど
自分としては好きだからやっているだけで、頑張ったことなど一度もない。

高校に入って1年間でやめている。
オンラインゲームの方が面白くなってしまったから。
そこから2年間引きこもっていた。
常に自分がおもしろいと思ったことをしようとする性格だったから。

引きこもった後に世界一周して、そこで友達ができたことがきっかけで社会復帰できた。
それからアルバイトを転々として、行きついた先がホテル。
毎日毎日違うことをしていたからすごく楽しかった。4年間続いた。

異動になって、町場のレストラン。
メニューを覚えたら毎日同じことの繰り返しで、ぜんぜん面白くなかった。

そこで、自分はいつも違うことの挑戦するのが好きなんだということに気付いた。
毎日毎日同じものを仕込まなきゃいけない料理人は出来ないと思った。

レストランをやめて、介護事務の仕事に就いたが、空き時間にレシピを作り、SNSで紹介。
料理好きな人が集まってくれて拡散してくれて・・・今に至る。

みんなに料理してもらいたいというのが一番。
極端に言えば、自分の料理なんてどうでもいい。
自分が世界一おいしいと思うことを作れるのは自分だけ。
なぜなら、自分の体調や味覚、好みをいちばんよく知っているのは自分自身だから。
だから、僕のレシピは余計な具材は入れず、あえてアレンジしやすいように作っている。
僕がいちばんおいしいと思う料理を、全員がおいしいと思えるわけがない。
だから、みんなが料理をして自分の味を見つけてくれれば嬉しい。

「頑張る」とか「やる気を出す」っていう言葉は「やらせられている」ことに対する言い訳のように聞こえて好きじゃない。
本当に楽しいことをするのに、そういったものはいらないんじゃないかと思う。

できないんなら頑張らなくていいんじゃないのって思っちゃう。
好きなことのための準備ができないっていうなら、きっとそれは本当に好きなことじゃないと思う。
それなら、やろうとしなくていい。だって、今のままでも幸せでしょ?

僕にも、声優とか歌手とか、声を使う仕事をしたいという夢があった。
でも、そのために努力をしなかったから当然なることはできなかった。
でも、今が楽しくて、ぜんぜん後悔はしていない。

今の仕事も完全ななりゆきであって、僕がものすごい努力をした結果ではない。
ただ、やりたいことをやっていたから、たまたまそれが認められただけ。
サラリーマンの時に、家に帰って料理を研究するだけで楽しかった。
今だって、仕事の合間にゲームをするだけで楽しい。
そんな人生でもいいんじゃないでしょうか?




好きなことしかやってこなかった。
できないんなら、やらなくていい。
「頑張る」とか「やる気を出す」はいらない。

気持ちよく言いますよねぇ~

そうできたらいいなと思ったりしますが、
なかなか出来ないですよね。

凄いと思うのは、その「迷いのなさ」です。
失敗しても?それを貫き通していることです。
もはや、それを失敗とは言わないのでしょうね。

ただただ、自分の好きなことをやり続けているだけ。

料理も必ずしもレシピ通りに作ってくださいという訳ではない。
最終的に味を決めるのは自分自身。

全部、自分が決める。
自分の選択に責任を持つということでもありますね。

だからこそ、人生楽しい・・・とも思えるんだろうなと思いました。







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映画2本・・・

2020-10-28 23:34:20 | 私(みぃみ)
映画を2本観たので、今日はその紹介です。

昨日と今日と1本ずつ、観ました。

昨日の作品はこれ。




この映画は、私、知らなかったのですが、
友達が多部さんが好きで、どんな作品だかわからないけど、観たいと。
「もし、興味がなかったらひとりで行くからいいからね」と言いますが、
友達、ひとりで映画を観るのは怖い人なんですよね
私も多部さん好きですから、観ますよ~

小さな出版社に勤める直美(多部さん)は両親を事故で失い、ひとりになったため、
叔父夫婦の計らいでタワーマンションの上層階に引っ越してきた。
そこで同じマンションに住む人気俳優の時戸(岩ちゃん)と出会い、戸惑いながらも会うようになり・・・
叔父夫婦との関わり、仕事仲間との関わり・・・何処か主体性がなく、流され生きているような直美・・・

この映画、正直、よくわからなかったです。
何を伝えたかったのか・・・
友達も同じ感想でした。
ひとりの女性が関わる人間によって変わっていく姿はあるのですが、それだけだったのかな?

台詞が哲学的です。
その台詞の中に言いたいことが含まれていたと思いますが、小説の中の表現ならわかるのですが、
人間が喋る言葉としては、なんとなく違和感を感じます。
ワンシーンしかない運転手とか?あちこちに散りばめられていて、どこか現実的じゃないように思いました。



今日、観た映画はこれ・・・




母に育児放棄され愛情を知らず孤独の中で生きたきたイチカ。
養育費目当てで、期限付きでイチカを預かることになった、トランスジェンダーのナギサ。
その二人に次第に愛情が芽生えていく・・・

これは背景がなかなかヘビーです。
皆が孤独でみていて辛い。
でも、必死に生きている。
そこに芽生えていく愛情・・・ほんと救われる思いでした。

オーディションで選ばれた新人の樹咲ちゃんは、バレーで賞も獲得していて、かなりの実力者です。
手足が長くて、踊っている姿が本当に美しいです。
それだけでも見ごたえがあります。

演技経験がなかったようですが、その演技力、存在感が凄いです。
今度が楽しみです。


まだまだ観たい映画があって・・・
コロナで公開を控えていた作品が次々と出てきたのでね。

本当は、今日、2本観ようかなと思ったのですが、
早く帰ってきてワンちゃんと散歩してきましたよ



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そのまんま、受け止めてくれると嬉しい(^-^)

2020-10-27 23:55:56 | 思うこと
主人の話題を楽しみにしてくれている友達がいまして、
このブログに書いていることも、だいたい報告しているのですが、
いつも大笑いしてくれます。
そして、その話題は娘ちゃんにも流れ、
娘ちゃんも「でた~〇〇ちゃん(主人)劇場~」と大笑いしてくれているそうです

今や私のコミュニケーションツールともなっています(笑)

そうは言っても笑えない話もありまして。
「酷い!〇〇ちゃん。私が殴り込こみに行ってあげようか!」とか(笑)

なんかね。一緒に怒ってくれると、すっきりします。
吐き出してすっきりというのはこういうことなんでしょうね。

でもね。さすがに言いにくい話というのもありますからね。

「酷い!」って言ってくれるかもしれませんが、
「酷い!」と言ってくれても、スッキリできるレベルではないかも?
笑い話にならないやつね。
だから言わなくてもいいかな・・・になってしまうのですが。

これは話す相手を選んだ方がよさそうですね。

でも、最近はそこまでの話はないかな。



ただ、子どものこととなると、そうはいきません。

ママ同士、旦那の悪口を言って発散できるけど、子どものことを嘆いているママにむかって
「なんて酷い子!いい加減にしろだよね。私が殴り込みに行ってあげるよ」なんて言えませんよね。
心で思ったとしても?さすがに人様のお子さんを面と向かって否定なんて出来ないです。

たいだいは「そうなんだ~」「そっかぁ~」「大変だったんだねぇ~」と。
共感を示す言葉を選ぶと思います。

中には「大丈夫だよ!」「そのうち変わっていくと思うよ」「いつまでもこのままじゃないよ」

前向きな言葉をかけたりね。
私もなるべく、そういう言葉を探そうとします。


ケン太は仕事に真面目に行っていますが、
一番の心配事は、金銭感覚。
ケン太が身を亡ぼすとしたら、金銭的なことだと思っています。

ただ、不登校を経験すると、働いているだけでもいいじゃない~になります。
実際、私もそう思っています。
本当のところは、働いていればなんでもOKではないんですが。

実際に、借金問題も起きているので、心からはそう思えないというか。
頭の片隅では、常に気がかりです。

だから「働いているんだからいいよ~」とか?
ポジティブな言葉に「そうだよな」と思いつつ、心から受け止められていないのかも?

実は、ある時、友達に、ケン太の金銭感覚の話をした時に「それは心配だね」と返してくれた人がいたのです。
その時に、なんかしらないけど嬉しかったんです。

え?わかってくれる?だよね?だよね?・・・みたいな?
自分の気持ちをそのまま受け止めてくれたような気がしてね。

ポジティブに受け止めて、上を向けるように返してくれることは、ありがたいし嬉しいけど、
自分の本当の感情を抑え込んでしまう時もあるのかもしれない。

だから、そのまんま、受け止めてくれると嬉しい。
心配していたら「心配なんだね」と。

でも・・・

もしかしたら「心配だよね」と言われたら、「やっぱり?」とさらに心配になってしまう人もいるかもしれないね。

声掛けって難しいね。


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