ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

「やれば出来るはず」?「取り返せるはず」?

2020-06-29 23:30:36 | 思うこと
今日はモニターでした。

今日、向かったところが、まあ、まあ、素敵なオフィスでして。
ビルの前に並木道が~ロビーがひろくて美術館みたい~
トイレにオアシスですよ。

こんな広々とした明るい空間でお仕事されている人もいるんだよね~
恵まれた環境だなぁ~

大企業ってこういうことかぁ~(笑)

その時に、私の就活を思い出しました。
東京駅にまあまあの高さの自社ビルを持っている会社があり、試験を受けに行った時、
「こんな素敵なビルで働きたい~どうか受かって~」と願ったものです。
もっともっと素敵なビルはたくさんあっただろうと思いますが、
当時、お上りさんだった私には、目の前のそのビルが輝いてみえたんですね。

採用にはなったんですが、配属先は、同じ東京駅ではあるけれど、古い雑居ビルの1階でした(笑)(今はもう取り壊されています)
その後、ローカルな沿線駅の高いビルなんてないところに転勤になりました(笑笑)

でも、今はどんな素敵なオフィスであっても、混雑した電車に乗って、時間をかけて向かうことを考えるとね。
今、働き始めるのなら、地元のローカルな職場がいいかなぁと思いますよ。

話がそれました

その素敵なビルで、いろいろ検査をしデーターを提供したわけですが、
(SNSで内容を公表することは禁止されているのでそこまでです)
それを担当していたのが、まだ初々しさが残る男子。
多分、研究職でしょうから、バリバリの理系男子ですね。


その時に、ケン太もこうなる可能性はゼロではなかったんだろうなと思ったりもしました。

主人は自分が研究職になりたかったけど、叶わなかったので、ケン太に密かな希望を抱いていたのです。
数学が得意だった主人が、ケン太のことを「俺より数学的センスがある」と言っていたので、
まったく無理な夢ではなかったかもしれません。

受験熱が高まってきたケン太は、自ら希望して、当時、一番の実績を誇っていた塾へと転塾しました。

あのまま不登校にはならず、受験して、どこかの中高一貫に入ったとしたら、
多分、大学に進学したと思うし、どこかの企業に入っていたかもしれません。
今とは違う人生になっていたと思います。

でも、今のケン太に、どこかの企業に就職する姿は全然、想像がつかないし、やれるとも思えないです。

ずっと波に乗れて進んでいくのと、
躓いて、勉強から遠ざかってしまい家にいるのと、

過ごしてきた環境が違うし、友達も違ってくるかもしれないし、経験値が違ってくる。
一度、止まってしまったら、そこから違う人生が始まると考えたほうがいいと思います。

もちろん、後から追いかけて、辿りついて、
止まる前の続きから、また始められる人もいると思います。

でも、ケン太のように、小、中、高と不登校になった場合、
中高一貫校から順調に社会人になる人生と同じになるわけがありません。

そこからどう「切り替え」ができるのかが、鍵になると思います。

今、優等生タイプの不登校が多いのは、その「切り替え」が上手く出来ないからじゃないでしょうか。
成績が落ちてしまったことを受け入れられず、自信を失い、プライドもズタズタになり、
逃げ出すように休んでしまう。

「やれば出来るはず」「取り返せるはず」
そう思えば思うほど、空回り。

過去の自分にしがみついていては、解決できない。

今の自分。そうなってしまった自分。
それが自分なんだ。それでいいんだ。
自分が出来ることをやっていくんだ!

そう思えるかだと思います。


ケン太は小学5年生で不登校になり、まったく勉強が手につかなくなり、
その時点で、もう中学受験は無理だと諦めたようです。
6年生で復学できましたが、毎日、毎日、友達が家に遊びに来て、楽しそうに遊んでいました。
受験のことは、すっかり吹っ切れたかのように思っていましたが、
そうでないことが、中学生になってわかりました。

「文化祭、たいしたことないよね」とか?
中高一貫校と比べるような発言が出てきました。
「本当だったら・・・・」「こんな学校に来てしまった」という思いが、
中学校生活を楽しめないものにしていたようです。
クラスで友達を作ろうとしなかったのも、そのせいかもしれません。

それが気になり、ケン太に話をしたことがあるのですが、
それで、ケン太は吹っ切れたと思います。

多分、ケン太は中学受験の勉強をしていて、自分は友達よりできると、
クラスの子を下にみていたんじゃないかと思う。でも、勉強をしなくなり、中学受験をやめて、
そんなことはもう思えなくなっていると思う。
あのままだったら嫌な人間になっていたかもしれない。
そんな人間にならなくてよかったのでは?

こんな話でしたが、ケン太は「そうかもしれない」と納得していました。
それから、ケン太は自分を縛っていたものから抜け出し、
今の自分でいいんだというように変わってきたように思います。

今のケン太は、
中学受験を断念した後悔はないと思うし、
「やれば出来るはず」「取り返せるはず」などという過去の自分にも縛られていないと思います。

だから「俺は幸せだ~」と言えるのかなと。


あと、これも、親が「やれば出来るはず」「取り返せるはず」と思わないことですね。

親がいつまでも、「不登校にならなかったら・・・」とか
取り戻せない過去を悔いていると、子どもも何時までも苦しいかなと思います。



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子どもの問題を親の問題にしない

2020-06-28 23:34:10 | 思うこと
今日、日曜日は本来ならば、お休みのケン太。
同僚にシフト交換をお願いされ、出勤しています。

その同僚の用事というのが、ゲーム(笑)
ガンダムのゲーム発売に先駆けて、土日限定のゲームがあるらしいですよ。
それに参加したかったらしいです。
今頃、思い存分、やっているんだろうなぁ~

先日、深夜12時過ぎに帰ってきて「ご飯なに?」と。
お店が閉まってから、店内でず~と同僚3人でボードゲームで盛り上がっていたらしいです。
何も食べず

たま~に、一緒にゲーセン行く同僚もいるようでして。
似たもの同士の集まりですね~


ケン太は友達が多くていいねぇ~とよく言われるんですが、
誰とでも仲良くというタイプじゃないんです。
体育会系の爽やかタイプとか、皆を引っ張る優等生タイプの子は、まずいませんでしたね。
やっぱり、どこかヲタク気質っていうんですか(笑)

通信制高校の説明会の時にすでに、ここには同じ匂いの奴がいると言っていましたから、
自分の居場所だと感じる何かがあったようです。
最初のクラスでの自己紹介の時に「こいつとは合いそうだ」というクラスメートに出会う。
その予感は的中し「何をとっても自分に合っている。今までこんなに合う友達はいなかった」という友達になりました。

ケン太は中高一貫校の学校訪問の度に、入りたいランキングを入れ替えていました。
それはいつも瞬時に決まり、悩むことはなかったように思います。
その空気をかぎ分ける力って凄かったです。

「みぃみは違うよね。みぃみは、〇〇と〇〇に入れたいんでしょ?でも、俺は違うからね」と釘も刺されました。
それがドンピシャでして。全部、見抜かれていて怖かったです

中学で不登校になったのは、部活がきっかけですが、
その時のクラスに仲の良い友達がいなくて、休み時間は本を読んでいました。
図書室にも行っていたようです。

「隣のクラスにはいるんだけどな」と言っていました。
隣のクラスには、今も繋がっているT君とK君と、
もうひとり、当時、一番仲がよくて家にも遊びに来ていた、剣道部の友達がいました。
だから、休み時間にたまに隣のクラスに遊びに行っていたようです。

隣のクラスの担任は剣道部の顧問でしたけどね

学校に行けなくなったきっかけは、顧問との問題ではあるけれど、
クラスに仲の良い友達がいなくて、居場所がなかったこと。
これも多少の影響はあると思いますよ。
クラスにいてもつまらなかったのだから。
踏み留まる力が湧いてこなかったのだろうと思います。

そして、残念ながら最後までクラスに戻ることはできませんでした。

でも、高校から自分の居場所を見つけて、また通えるようになり、
社会人になっても、同じ匂いのする?同僚と仕事をしています。


学生時代に

「友達がいない」
「居場所がない」

こんな問題が起きたとして、それに悩んでしまったとして、
それが克服できなかったとしても、

高校、大学、社会人・・・
自分で環境を選べますから。
やり直しもききますから。

ただ・・・

「友達がいない」
「居場所がない」

ことが必ずしも問題とは限りません。
それに拘っていない子もいるので。

皆が友達を欲しがっているわけじゃないです。
欲しいなという気持ちがある一方で、友達に振り回されたくはないという気持ちを持っていたりする。
今はSNSで何時でも繋がれる時代。
それを面倒と感じたり、煩わされるのは嫌だと思ったりね。

本当に欲しいと思ったら探すはず。
友達ができるような行動をとろうとするもの。
そこまでしなくてもと思うのなら、そうでもないのかも?


居場所は、何処かに絶対にあると思います。

必死になって探すエネルギーがあるのかどうか。

「ここは違うな」
「無理そうだな」

そう受け止め、別の場所に求めていいと思います。
そこで見つけられない自分を否定的したり
自信を失うことはないと思います。

一番は、親が悩まないことです。
本人の問題を親が抱えてしまわないことです。
親に悩まれてしまうと、自分を肯定できなくなってしまいます。

私、小学生の時に、思うように友達が出来なかったのですが、
親がそれを心配して、先生に相談したりしていました。
中学に入って、家にきた友達に「うちの子と仲良くしてね」と。
先回りの心配をしたのでしょうね。
本当にそれが嫌で嫌で。母親と喧嘩しました。

その親の心配がとても重かったです。
何も言わないでいて欲しかったです。
私に無関心でいて欲しかったです。

それ以降、友達に困っていないので。
友達が思うように出来なくて、確かにそれが悩みではありましたが、
それは、小学生の時だけです。

困ったら自分で解決するので。
必要だったら、その時は、こちらから親に相談するので。

親は、見守るだけでいいんじゃないでしょうかね。
心は離さずにね。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このドラマも家庭環境の影響が・・・(>_<)

2020-06-27 23:52:25 | 家庭生活
非常事態宣言が出され、撮影が中断してしまったドラマ。
次々と放送再開していますね。

私、一度、記事にしていますが、これも・・・



第3話でストップしていましたが、25日に第4話が放送されました。


このドラマは当初、TVer でランキング1位になっていたので、観てみたのですが、
今朝、ランキングを確認してみると、やはり・・




1位でした。
なにせ、主人も観ていますから

友達に「面白いよ~」と言ったら、追っかけて観てくれて、
「第4話始まるね~」と友達の方から言ってきましたよ。

『ドロキュン』ドラマです。

『ドロドロ』の人間関係と『胸キュン』な恋愛模様と・・
毎回、予想を裏切る展開で目が離せないです。
「登場人物、全員裏切者」と前触れがあるものの、
それが、わかる瞬間が怖いのなんのって
人間の裏の顔をさらけ出すドラマです。

主人公とその夫と、それぞれの育った環境がなかなか壮絶でして、
親の在り方が、やはり子ども影響してしまうのか・・・と。
私としては、どうしてもそこに目がいってしまいますね。

あんな母親にはなりたくない。でも、親だから見捨てるわけにはいかない。
未だに母親に振り回されている主人公。
そして、自分の中にも母の影を見てしまい、それに苦しんでしまう。

誰もがうらやむ仲の良い夫婦。
しかし、子どもが欲しいと願う主人公。いらないという夫。
そこが埋められない。

第4話では、なぜ、夫が子どもを望まないのかの理由がわかりました。
詳しくは書けませんが、自分の父親の遺伝子をこの世に残したくない・・・ということです。
幼少期の家庭環境・・・それを知った時、そりゃそうなるだろうなと思いました。

母親も父親に苦しめられています。
でも、そんな母親のことも受け入れらない。
悲しいけど、これも納得なんです。

どうして「裏切者」になってしまったのか。
やはり、そんな家庭環境があって、そこから繋がっているように思います。

親のあり方、夫婦のあり方が、どれだけ子どもに影響を与えてしまうものなのか・・・
その自覚が足りてない親。
子どもがどれだけ親の犠牲になっているのか・・・

こういうドラマをみると、過去の自分の過ちが蘇ります。
そして、気を引き締めます。



今クールのドラマで、観たのは、これと、NHKの『いいね!光源氏くん』のみです。
このドラマはすでに撮影は終わっていたようで、最終回を終えています。

千葉君好きで観たけど、紗莉ちゃんがかわいらしくて~
光源氏が、今の世界に迷いこんでしまうというファンタジーなんですが、
ほのぼのとしていて、なんかとっても好きでした。

観終わった後、なんか、ほんわかとした気分になるのです。
こういうドラマもやっぱり必要だな~と思いました。




  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もしかしてストレス発散?朝の苦行(^^;

2020-06-26 23:47:06 | 家庭生活
今月初めには、分散登校だと思いますが、近くの公立高校では、お昼くらいに、
道路の右側には、駅に向かう生徒。
左側は、駅から学校に向かう生徒が列を作って歩いている光景をよく見かけました。

先週くらいから、両方の道は、駅に向かう生徒のみで溢れる様に。
通常ベースに入ったんだなと思いました。

中学校も部活が始まったようで、
放課後、学校の外周を走っている生徒を見かけるようになりました。

どうぞこのまま~と願います。


今日、東京での感染者が50人を超えましたね。地元地域でも、約1カ月振りに感染者が出ました。
この微妙な波が気になりますね。

ところで、皆さまは、厚生労働省のコロナ接触確認アプリはインストールされているのでしょうか?
まだ修正が入るようだし、実験段階のようですが、とりあえずインストールしてみました。







1メートル以内、15分以上の他のアプリユーザーとの接触を「接触」とするとのこと。
陽性者が陽性情報の登録をして成り立つわけですが、公表されるのは割り振られた「個人番号」のみ。
このアプリのインストールも個人情報などの登録はなしでした。
登録者が増えないとなかなかこのアプリは活かされませんが、今のところは様子見ですね。





確認してみると「接触なし」でした。


このアプリをインストールしたと、主人に言ったんです。
すると、まあ、大騒ぎでして

「え?もし、接触したって出たらどうするの?PCR検査受けるってこと?
自宅から出ないってこと?」
「いや・・・そこまで・・・」
「だって、1メートル以内に15分以上、近くにいたってことだろ?
その場合、どうするか考えてないわけ?それなのに、アプリ入れたわけ?
もし、あなたが接触したって出たら、俺、あなたと会わないように2階で暮らす。
ご飯も別に食べる。そういうことだろ?」
「・・・そうしたいのなら、どうぞ・・・」
「そのアプリよくないよ。不安を煽るだけだよ。そんなの、消しなよ」
「なにも消さなくても。接触していないって出たって、安心していいわけじゃないし、
接触したことがわかったら、気を引き締めればいいわけだし・・・」
「だったら、たいして意味ないじゃない。消せば?」

いや、いや、そんなに神経質にならなくても
どんなものなのか、入れてみただけだし。
例え、接触していたって、マスクと消毒をしっかりしていたら、そんなに怖がらなくても大丈夫だと思うけどね。

二日後くらいに「まだ、あのアプリ入ってるの?消せば?」と迫ってきましたよ

かわいそうだから、消そうか・・・まだ入ってますけどね


しかし、毎日、テレビで自粛の報道には、
「みんな神経質すぎる。なにもそんなに自粛しなくても」
「側にいるだけで感染しねぇだろ!電車の中で感染するなんて嘘だ!」と吠えている人が

「皆、なんでそんなに怖いんだ?死ぬ覚悟が出来ていないんだな。
昔は病気になったら皆、死んだんだよ。子どもが生まれても半分は生きられなかったんだよ。
常に、死と隣り合わせで生きていたんだから。般若心経でもなんでもいいから唱えてさ~
死ぬ覚悟を持って生きればいいんだよ」

と、今日も、言ってましたけど
その言葉をそっくりあなたに返したい。

死ぬのは怖くないけど、感染は怖いってことなのかな?
「皆、神経質」だと言っている自分が一番、神経質なんじゃ?と思うけどね
思っただけじゃなくて、主人に言いましたけどね(笑)

「それは違う!」って否定していました。

「それ」ってなにを差すのだろう~


主人は、緊急事態宣言が出てから、直行、直帰が多くなり、
朝も家で食べるようになりましたが、宣言解除になっても、そのスタイルが続いています。

私の早起きも続いているわけですが。

つまり、朝、テレビに向かって吠えているのにも付き合っているわけです。
「だよなぁ?」「そう思わない?」とたまに私に振る時もあり、無視もできない
同意もしないけどね

しかし、なんでこんなに吠えまくるんだろう~
いちいち吠えて、疲れないのかなぁ~とも思いますが、
もしかしてストレス発散?

よくわからないけど、聞いていればいいだけなので、
付き合ってあげますか



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親の受け止め方が「子育て」にも反映?

2020-06-25 23:57:28 | 思うこと
今日、番組で「おしえてイチロー先生」の内容を紹介していたのですが、
ここでも、お~という言葉があったので書き留めておきたいと思います。

あの野球のイチロー選手ですよ。
小学校や大人とか?教室で、皆の質問に答えるという企画をやっているみたいです。

「他人から嫌われるのは怖くないですか?」という質問に対し・・・

「僕は他人から嫌われるのが大好き!その人たちは僕に対するエネルギーが半端ないでしょ?
僕にとっては無関心が一番、辛いですよ。大嫌いと言われたらゾクゾクします」

皆、「お~」です。
ここまで迷いなく言いきってくれるとは。
気持ちいいです。

「無関心が一番辛い」って、ほんとそうだと思います。
いじめも、「無視が一番つらい」と聞いたことがあります。
いたずらされたり陰口をたたかれたり・・・とても傷つくけど、それはまだ自分のことを意識している証拠。
何も感心を寄せられず、まるでいないように扱われるほど辛いものはないと・・・


安藤美姫さんの記事を読んだ時も、「お~」と思った言葉が。

「自分にはアンチが多いのかなと思うんですけど、わざわざ私のことに時間を割いてくださっている。そういう人のストレス発散になるのであれば、人の役に立っていると思えるんです。人間って幸せなときばかりじゃないし、うまくいってないときには『すべてが嫌になる』という感情は誰にでもある。そこで私に当たってスッキリするなら、それもありかなと。いまは『批判的なファンの方も友達』みたいな感じですね(笑)」

嫌わるのが大好きとか、否定的なファンも友達って、凄いですよね。

スポーツ選手って皆に期待されるだけに、期待に添わなかった時のバッシングも凄いんだと思います。
常に誹謗中傷の中にいる。
その環境にいるからこそ、そこまで達することができるのかなと思います。
処世術としてね。

全てのことは、どう受け止めるかですね。



ところで、これを読んでみてください。
どう思われますか?



下部のツイートは2時間後なので、最初のツイートのリプライに反応したものと思われます。

私、普段、リプはほとんど読んでないのですが、どんなリプが入っているのか気になって読んでみました。

「素敵な上司さんですね」
「めっちゃいい話」
「本当にクソカスと思っていたら退職後に接点は持たないですよ。退職後も行く末を見守る優しい上司だと私は感じました」

というものもありましたが、

「ディスが強すぎて褒められても嬉しくないですよ通常はそこまでいくと」
「なんだろう・・・下げかたが凄すぎて上がってる感が足りないw」
「嫉妬や。出世を断たれた上司が超有名人になった元部下に嫌がらせ」

人によってこれだけ受け止め方が違うんだなと思いました。

ただこれ、リュウジさんが言われたことです。
自分に置き換えることでもないとおもいます。
リュウジさんが「褒めすぎ」と書いているのですから、
その言葉通りに受け止めればいいんじゃないでしょうかね。

「褒めすぎ」という言葉によって、上司との関係性は説明がなくてもわかるし、
逆にそんなことまで言えちゃう関係性って羨ましいなぁ~とさえ私は思ってしまいました。

でも、きっと、ちょっと酷い・・・と思われた方は優しいんだと思います。
「自分だったら嫌だな」との思いから、リュージさんのことを気遣っている方もいるのでは?

でも、大丈夫ですよ。
リュウジさんはリュウジさんですから。

私の受け止め方の基準なんですけど、
どっちを取ったら、自分自身は幸せなのか・・・ほぼそれです。
基本、ポジティブに受け止めれた方が幸せかなと思います。

それと、その受け止め方は「子育て」にも反映していると思います。
子どもの短所にばかり目がいってしまうのか、長所を見つけてあげるのか・・・
子どもの言葉を否定的に捉えるか、肯定してあげるか・・・

親の受け止め方で違ってくると思います。
それによって子どもへの声掛けも違ってくると思います。
親の捉え方は子どもに受け継がれます。

親として、もっとも意識していいことではないかと思います。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする