ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

先生がけん太に残してくれた言葉

2024-03-09 23:39:04 | 中学校生活

担任の先生のこと、もう少し書こうと思います。

 

先生はけん太が卒業した年、異動されました。

 

「辞校式」で在校生とお別れするのですが、卒業生であっても、お世話になった先生が異動する時には、駆けつけたりします。

クラスの中で一番お世話になりご心配もおかけしただろうけん太ではありますが、

まず「辞校式」に来ることはないだろうと思われた先生から、前日に、電話がありました。

 

「最後にけん太と少し話ができれば・・・」と。

 

けん太は友達と遊びに出てしまい、先生とお話することは叶わなかったのですが、

先生から伝言を頼まれました。

 

先生の知り合いが小学校5年の時からずっと不登校。
中学校も全然行っていなかった子が今、自分の道を切り開いている。
彼はとても独創的で、普通の人には持っていない才能を持っていた。
学校というシステムが合わなかっただけのような気がする。

自分のいいところを引き出せればいいんだと思う。
お母さんもケン太のいい部分を見てあげてください。

ケン太は最後、ちゃんと顔を上げてまっすぐ前を向き、
しっかりと相手の目を見ていました。
それができる子です。
それが彼の本来の姿ですから。

そう言ってくださいました。


先生は対応に悩み、試行錯誤をしながらも、
最終的には、ダメなところを拾うのではなく、
いい面を見つけようと肯定的にみてくださいました。

本当にありがたかったです。

 

 

高校生になり、けん太は学校のボランティア活動で、啓蒙活動のビラを駅前で配ったことがありました。

その時に、偶然、担任が通りかかり、けん太の姿をみつけ、話かけてくれたそうです。

 

そのことはけん太に聞いていたのですが、

後に「元気そうにしている姿をみれて嬉しかった」という内容のお手紙を先生からいただきました。

 

けん太はその時、水を得た魚のように、毎日、楽しく学生生活を送っていた時でした。

多分、それが表情にも出ていただろうし、新しい環境で元気にやっている姿に、先生も本当にほっとされたと思います。

 

この時に、やっと、これまで先生がご尽力いただいたことへの、恩返しができたように思いました。

学校の生徒として活動をしているけん太の姿を見ていただけたこと本当によかったです。

 

その後、また崩れてしまったことはご存じないと思いますが

とりあえず、持ち直すことができて、元気に過ごせているのでね


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「卒業式」に導いてくださった担任の先生のこと

2024-03-08 18:34:39 | 中学校生活

今朝、起きたら真っ白な世界でした。

 

けん太が起きる頃には雨に変わり、道路の雪ももう解けてきていたので、車で駅まで送りました。

車の上の雪払いというひと仕事がありましたが、やることにしましたよ

(放置しておけば自然に融けたと思うけど

車を降りるとき「あざす!!」とお礼を言ってくれたので、よしとしましょう!(笑)

 

駅までの道の途中に、けん太が通っていた中学校があるのですが、

正門前に「卒業証書授与式」という大きな立て看板が。

 

今日が卒業式なんですね。

うわぁ~こんな雪の日に~と思いましたが、すでに雨に変わっていたので、大丈夫そうかな?

心の中で「おめでとう~」と言い、通り過ぎました。

 

「おめでとう~」と自然に言葉が出てくるのは、けん太が今、働けているからなのかなぁ~

それとは関係なしに、すでに「過去」のものになっているからなのかな?

どうなんだろうな・・・と思いつつ。

 

渦中の時は、学校の側を通るのも、しんどかった時があっただけにね。

 

けん太は、中3の6月末。修学旅行から帰ってきてから、完全不登校。

でも、卒業式の日、生徒達が帰った後、校長室での第二卒業式には参列することができました。

 

本当は出席するつもりはなかったのです。

 

でも、「卒業式に出なかったら、校長か教頭が自宅に証書を届けます」という担任の言葉を聞いて、

校長に来てほしくないからと、出席を決めました。

その先生の話を聞いた時に「校長が来るなんて、嘘だよね?大丈夫?けん太に見抜かれるのでは?・・・」とちょっと心配しましたが、

けん太は上手い具合に引っかかってくれました(笑)

 

担任は当時、25歳。クラスを持つのは2年目の若い男性教師でした。

不登校の生徒を持つのは初めて。

 

当時、不登校への対応は、学校の方針などはなく、担任に任せられていたようなので、

けん太への対応は、手探り状態だったと思います。

 

なんとかしたい・・・という思いで、お忙しい中、週に1、2回、放課後に訪問してくださいました。

 

最初の方は「家で何しているんだ?」「寝れているのか?」「来週のテストはどうするんだ?」「スクールカウンセリングを受けてみるか?」など、けん太の様子を伺ったり、なんとか動かないだろうかと期待する内容が多く、けん太はだんまりを決めるのみ。

小学校の不登校の時のけん太をみている私は、それは今は、逆効果になると思い、先生の期待どおりに動けなかったからか、非協力的と思われ?「お母さんでは、埒が明かない」と言われたりもしました。

そのことに関しては、先生に面談をお願いし、これまでの経緯などをお話し、理解を求められたとは思います!

 

その後は、私の要求を聞いていただき、訪問時には、多分、けん太が気になっているだろう、学校の出来事、クラスの様子などを伝えていただくことをお願いしました。けん太のこと気にしている子がいればその子の言葉なども。

けん太は先生に会おうとはしなかったのですが、2階の廊下でその話に聞き耳を立てていました。

 

クラスの様子がわかることで、けん太は、疎外感をそんなに感じることなくいられたのではないかと思います。

 

けん太は、先生の対応で、行かないことを否定されているわけではない。無理に行かせようとしているわけでもない。と感じることができたのだと思います。

最初はボイコットした三者面談も次には受けることができ、進路の話とか少し踏み込んだ話もできるようになってきました。

 

先生のご協力があって、ひとつひとつ進めていけたと思います。

それが最後の「卒業式出席」に繋げることができました。

 

「行く」とは言ったものの、本当にケン太が来るのか心配だったと思います。

けん太の姿を見て、すぐ駆けつけてきてくださり

「よかった・・・」とけん太を抱き締めてくださった先生のお姿を忘れることができません。

 

それ程までに、けん太に気持ちを注いでくださっていたこと。

本当にありがたくて・・・

 

けん太だけでなく、私のことも救ってくださいました。

 

感謝、感謝の一言です

 

 

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先生から送られた最後の言葉

2021-03-17 23:14:29 | 中学校生活
卒業式の話、もう少し続きますね。


ケン太が校長室の卒業式に出ることになったこと。

卒業式の朝、主人に伝えたのです。

その頃の主人と私・・・

ひと時の、ケン太を巡って意見が衝突するということはもう無くなっていました。
主人が話合いを避けるようになってしまい、無視され、何も話しかけられない状態。
衝突するよりも、状況は悪くなっていました。

「衝突」って、分かってもらいたくて、相手に向かっていくということですから。
根底には、改善したいという気持ちがあるのです。

私達夫婦にはもうそれが無くなってしまっていました。


なので、卒業式のことを伝えるだけでも、勇気がいりました。
でも、それも言わないなんて、そこまで終ってしまっていると思いたくない。

なので、伝えました。


「・・・情けないよな」

「・・・」

「まあ、面倒みてやってよ。これから、あなたが・・・」

「・・・」

「住宅ローンが終わったら、この家、あなた名義にしてあげるよ」

「・・・」


悲しくて泣けました
涙が次から次へと溢れてきました。

こんな言葉を聞くために報告したのではありません。


学校で顧問に受け入れられず・・・

家で父親に受け入れられず・・・

かわいそうな、ケン太。。。

それを変えることができない自分の無力さにも泣けました。



担任の先生は、まだお若い先生で、確か、当時25歳くらいだったと思います。

ケン太の卒業式の後、異動が決まりました。

教職に就かれて初めての学校。
4年間を終え、初めての異動です。

学校で先生とのお別れの式「辞校式」があるのですが、
卒業生の参加は任意です。

多分、ケン太は「辞校式」には来ないだろうと思われたのでしょうね。
前日、先生から電話がありました。

「ケン太、いますか?どうしているかなと思って、明日はバタバタするので
今、話できるかなと思ったんですけどね」と。

ケン太は友達の家に行ってしまっていて、先生と話をすることは叶いませんでした。

高校に向けての気持ちはどうか?と聞かれ、
準備は着々と整え、気持ちも高校に向かっているようだと伝えると、
ほっとされていたようでした。

そして、こんな話も・・・

先生の知り合いが小学校5年の時からずっと不登校。
中学校も全然行っていなかった子が今、自分の道を切り開いている。
彼はとても独創的で、普通の人には持っていない才能を持っていた。
学校というシステムが合わなかっただけのような気がする。

自分のいいところを引き出せればいいんだと思う。
お母さんもケン太のいい部分を見てあげてください。

ケン太は最後、ちゃんと顔を上げてまっすぐ前を向き、
しっかりと相手の目を見ていました。(卒業式)
それができる子です。
それが彼の本来の姿ですから。


この言葉に救われました。

先生は対応に悩み、試行錯誤をしながらも、決して諦めず、
最終的には、ダメなところを拾うのではなく、
いい面を見つけようと肯定的にみてくださいました。

本当にありがたかったです。


最後「本当に何もしてやれなくて申し訳なかったです」と謝られるので、

「こちらこそ、ただでさえお忙しいのに、余分な仕事を作ってしまったと思います。
たくさん時間を使わせてしまい申し訳なかったです」と、

「いえ、忙しくなんかないです。全然、暇なんです。ほんと暇なんです」と。

暇な訳ありませんよね

恐縮する私への心遣いだったと思います。


そして、高校に入学したケン太は順調そのもので・・・(1年生の時はね
駅で、ボランティア活動をしている時、偶然にも担任の先生が通りかかったそうです。

先生はケン太の元気な姿を見て、とても喜んでくださったようです。
いろいろと高校生活のこと聞かれたらしいですよ

その後、また崩れてしまったことは知らないと思うけど

先生の最後の思い出の中のケン太は、その輝かしい学生生活を送っている姿だといいなと思います。


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不登校時代、先生にお願いしたこと。

2020-02-10 23:01:23 | 中学校生活
昨日、学校の先生のことを書いたのですが、
我が家の担任の先生との関わりについて振り返ってみますね。

小学5年生の不登校。
この時は一番、ケン太の罪悪感が強かった時。
まず先生が電話を入れてくださいましたが、出ません。
私が話していると横に張り付いて、私が余計なことを言わないように監視しています。
先生の問いに「ケン太は元気です」と言おうものなら、受話器を奪い取ろうとしました。
奪われないように、逃げるとどこまでも追いかけてきて、蹴りが入った時も。
病欠にして欲しかったケン太に「元気です」は禁句です。
だから、本当は元気なことがバレてしまうのも怖いし、適当に誤魔化すこともできないので、
先生と会うことも話すこともできませんでした。

ケン太は仕方がないとしても、このままでは、私が先生とお話することができません。
先生に、メールでのやりとりをお願いできないかご相談しました。
これは特別扱いでしたが、先生は快く承諾してくださいました。

私の方からは、ケン太の近況報告。
先生の方からは、学校やクラスの様子を伝えてくださいました。
これは本当にありがたかったです。


中学の不登校の時です。
中3の春から休みが目立ち始めました。

先生は週に2回くらいのペースで訪問してくださいました。
ケン太は最初に「これから行きますから!」と先生から告げられた時、リビングで待機していました。

ただ、先生の、
「体調が悪いのか?」
「朝、起きれないのか?」
「テストはどうする?受けないと評価がつかないぞ」

などの問いに何一つ答えることはできませんでした。
そして、先生が来てくださっても会うことはなくなりました。

ただ、先生はそれでも来てくださいました。
そして「勉強はしていますか?」
「昼夜逆転はどうですか?」などと玄関先で私に聞きます。
ケン太にとっては耳に痛い言葉です。

ケン太はいつも階段の上に潜んで、会話を聞いていました。
小学生の時のように、私が何を言うのか心配で、聞き耳を立てていたと思います。
「いや~」「あ、はい」と言葉を濁すのが精一杯でした。

ケン太が寝ている時、先生に電話でお願いしました。

ケン太は階段の上で先生と私の会話を聞いている。
自分の家での様子を先生に知られるのを極端に嫌っている。
ただ、自分が先生にどう思われているのか、学校の様子、クラスの様子は気になっていると思う。
なので、訪問していただけるのなら、それをお話していただけると助かります。
ケン太の様子は、ケン太が寝ている時に電話でお伝えしますので。

先生は、それ以来、玄関先でケン太の様子を聞くことはなくなりました。
そして、ケン太に聞こえるようなハッキリとした口調で、
学校の行事やそれに取り組んでいるクラスの子の様子や、ケン太のことを心配している子がいたら、
その子の言葉などを伝えてくださいました。

そして、確か、三者面談だったと思いますが、学校ではできないので
先生が自宅に来て三者面談をしたいと言ってきました。
ケン太はそれに同席することができました。

それからのケン太も先生に会うことができました。
自分の生活面のことは聞かれない。
それがわかったので、会えていたと思います。

卒業まで、クラスに戻ることはできませんでしたが、
卒業式の日の午後、皆が帰った後の校長室での第2卒業式に参加することができました。

行くと言ったものの、本当に来るかどうか心配だったのでしょうね。
担任の先生は、ケン太の姿を見つけると「よかった」と思わず駆け寄り、ケン太を抱き寄せました。

他の先生方にも9カ月振りにお会いし「元気そうだな」「頑張れよ」などと
口々に声をかけていただきました。

これは先生が最後まで訪問を続けてくださり、上手に誘導してくださったおかげです。
私も第2卒業式に参列することができました。

先生は、まだお若くて、クラスを持つのは2年目の先生でした。
ケン太が最初の不登校の生徒だったようです。

休み始めた当初は、なんとか来させようとする先生のプレッシャーが強くて、
ケン太にそれをやると逆効果になりそうで、セーブしてしまったり、
先生に「お母さんと話しても埒があかない」と言われてしまったこともあるんです。

一時期、ちょっとギクシャクしてしまった感はあるのですが
でも、先生は、私の意向を汲んでくださり、地道に対応してくださいました。

手探りだったとは思いますが、先生の熱意と、柔軟性の高さがあったからこそ、
ケン太を卒業式まで導いていただけたと思っています。

先生にはたくさん助けていただきました。
今でも感謝しています。



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卒業アルバムを開いて・・・

2013-03-20 15:12:08 | 中学校生活
卒業式の前の日のことですが・・・

担任の先生が卒業アルバムを持ってきてくれました。
卒業文集と合唱祭のDVDなどの記念品と一緒に。

ケン太もその場にいたから、受け取ったことは知っている。
しばらくリビングに置いてあったけれど、ケン太は見る気配なし。

写真館に写真を撮りに行ったのだから、どんな仕上がりになっているのか気になる。
1~2年の頃の写真も載っているはず。
でも、あまり触れたくない時期もある。

見たい気持ちと躊躇する気持ち。

複雑な気持ちで、そ~っと開いてみた。

うわ~っ、いきなり授業風景。
これまでできることなら目に触れたくなかった現実が目の前に・・

やっぱり、ぐっ~っとくるね~
思わず、涙ぐむ。

そして、写真館の写真。
歯は見えなかったけど、薄笑いしてた。
まあ、まあ、いい感じかな。

背景の色が皆とは微妙に違うから別撮りがバレバレだね

ケン太のクラスの子達、初めて見たよ。
春の集合写真も修学旅行の写真も1枚もないからね。

こんな子いたんだ~って見ていたら、イケメンにくぎ付け

そこにケン太がやってきて覗き込む。

「この子、イケメンだわ~」ってどんな親じゃ。

「副担ってこいつだったんだ・・」(あ、そっち?

副担も知らないで終わっちゃったのか

ケン太はその一瞬だけで、あとは見ていない。

多分、学校へ行っていても1回見て終わりのような気もするけどね。

想い出に浸るタイプじゃないから



クラスの子たちが書いてくれたメッセージカードもいただく。
ミニアルバムになっていて、DVDも添えられていた。

これはクラスの子がお互いにメッセージを書いて交換したもの。
ケン太の場合は、一方通行だけどね。

女の子の3人から「優しくしてくれた」って。うふ

お掃除をとても頑張っていたね・・・というメッセージも。

「もし僕が原因で君を傷つけていたらごめんなさい。
僕になにかできることがあれば最大限やるつもりです」
なんていう気になるメッセージも・・・

ケン太はメッセージには全部、目を通していた。


DVDはクラスの活動写真をスライドショーにしたもので、
所々に先生の言葉が添えられていた。

修学旅行の写真に、ケン太も何枚か写っていた。
でも、どの写真も表情が暗くてうつむき加減。
一枚だけ笑顔の写真があるけど、顔が引きつっている。

こんな表情をしていたなんて知らなかった。
うちには一枚も写真がないからね。

ケン太は修学旅行の代休明けから完全に学校へ行けなくなったんだ。

私は「修学旅行に行けた」って喜んでいたけれど、
ケン太はどんな思いだったのだろう。

ちょっとかわいそうになってしまった。

また、また、涙ぐむ



いろんな思い出いっぱいの写真。


こんな時もあったな~と懐かしい写真もあったけど、
逆に、あの時はよかったのにと思ってしまったり、

けん太が参加していない行事の写真には、
その時に家にいたケン太のことを思い出してしまったりした。


でも、もう過去のこと。

全て卒業!

これからは新しい思い出を作っていきたいね







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コメント (2)
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