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重厚感のある語りで文楽太夫のトップとして活躍した人間国宝で、文化功労者の豊竹咲太夫さんが1月31日、肺炎のため死去した。79歳。
昭和19年、人間国宝だった八代目竹本綱太夫を父に大阪で生まれ、幼い頃から浄瑠璃に囲まれて育った。28年に父の師、豊竹山城少掾に入門、竹本綱子太夫を名乗って初舞台。41年、初代豊竹咲太夫と改名した。
平成21年、物語のクライマックスを語る「切場語り」に昇格、輪郭が大きく精緻な語りで時代物から世話物まで幅広く活躍した。
中でも、三大名作の一つとされる「義経千本桜・河連法眼館の段」や文楽屈指の大曲「仮名手本忠臣蔵・山科閑居の段」、近松門左衛門の「女殺油地獄」などを得意とし、綿密な人物描写に深い情を込めた語りで魅了。
「チャリ場」と呼ばれる滑稽な場面も得意とした。
20年ほど前には腎臓を患い、晩年は腰痛に悩まされたが、その度に「義太夫節を語りたい」と復帰し、文楽の魅力を伝え続けた。
最後の舞台は令和4年9月、東京・国立劇場小劇場で上演された「碁太平記白石噺・浅草雷門の段」。
昨年9月には、同劇場で行われたファン感謝イベント「文楽祭」の座談会コーナーに出演し、車いす姿ではあったが、軽妙なトークで会場を沸かせていた。
元年に人間国宝、3年に文化功労者。4年度に日本芸術院会員に選ばれた。芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、日本芸術院賞など受賞多数。(産経新聞)
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「太夫が力を出せるのは、50歳を過ぎてから。それまで、経済的なことも含め、我慢できるのか」というほどの厳しい修行や時代の変化で、後継者不足が続く。
人形遣いや三味線奏者と比べて「太夫は一番難しい」と芸の継承に強い懸念を抱き、「人形遣いは、おばあさんの人形を持っていたらおばあさんに見えるし、お姫さんならお姫さんに見える。太夫は、下手だったら、おばあさんもお姫さんも分からへん」と憂えていた。(時事ドットコム)
エエェエエ!!
またまたショック…。
いつか復帰して欲しい。そう願っていたのに…。
「文楽祭」に参加してはったんやね…。
嗚呼、文楽界も寂しくなってしまう…。
ご冥福をお祈りいたします。
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