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ネットニュースを読んでは涙…。
テレビのニュースを観ては涙…。
友達にメールしては涙…。
新聞を読んでは涙…。
『中村吉右衛門 逝く』
まさかこんな言葉をここに記すことに
なろうとは…ぅぅ。
ただただショック…ぅぅ。
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歌舞伎俳優の二代目中村吉右衛門<なかむら きちえもん、
本名:波野 辰次郎=なみの たつじろう>さんが、
11月28日(日)午後6時43分、
東京都内の病院でご逝去されました。
77歳。
早い…。早いよ…。早過ぎる…。
80歳で弁慶を演じるのが夢。
そう言っていたのに…。
毎月発表される歌舞伎座公演の
出演者欄に、
吉右衛門の名前を探してたのに…。
今年9月の秀山祭はお休みになったけど、
またいつか復活するよね。
そう信じていたのに…。
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八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)の次男。
のちに母方の祖父、初代中村吉右衛門の養子となる。
昭和23(1948)年6月、東京劇場『御存俎板長兵衛』の長松ほかで
中村萬之助を名のり初舞台。
昭和41(1966)年10月帝国劇場『祇園祭礼信仰記 金閣寺』の
此下東吉ほかで二代目中村吉右衛門を襲名。
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歌舞伎界を代表する立役の一人として
深い人物造形と巧みなせりふ術で魅了し、
『熊谷陣屋』熊谷直実、『仮名手本忠臣蔵』大星由良之助、
『菅原伝授手習鑑』松王丸、
『梶原平三誉石切』梶原平三、『一條大蔵譚』一條大蔵長成、
『盛綱陣屋』佐々木盛綱、
『俊寛』俊寛僧都、『籠釣瓶花街酔醒』佐野次郎左衛門、
『天衣粉上野初花』河内山宗俊、
『極付幡随院長兵衛』幡随院長兵衛、『勧進帳』武蔵坊弁慶
など数々の当り役をもつ。
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初代中村吉右衛門の俳名、秀山にちなみ、生誕120年を記念して
平成18(2006)年9月から始まった
「秀山祭」では、初代以来の当り役に挑むほか、
次世代を担う後進の指導も行う。
また、先祖所縁の松貫四の筆名で数々の作品で脚本などを手がける。
平成18年から24(2012)年まで文化庁の舞台芸術体験事業に参加し、
全国各地の小学校をまわり、小学生に歌舞伎の楽しさを伝える活動も行う。
映像作品ではドラマ「鬼平犯科帳」に平成元(1989)年から
28(2016)年まで、実父の初代白鸚も演じた長谷川平蔵役で主演し、
人気シリーズとなる。
最後の舞台は、令和3(2021)年3月歌舞伎座『楼門五三桐』石川五右衛門。 (歌舞伎美人)
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重厚な役から
ウィットに飛んだ役まで、
吉右衛門が演じる姿に、
ジ~ンとしたり笑ったり、
いつも歌舞伎の楽しさと奥深さを、
存分に味わってきたよ。
滋味さ溢れる吉右衛門ワールドが、
大大大大大好きだったよ。
最期になってしまった
『楼門五三桐』は、
コロナ禍の影響で短縮バージョン。
でも吉右衛門がド~ン!!
そこにいあるだけで、
劇場を圧倒して、観客の心を掴む。
私のハートもギュギュッッ♪
播磨屋ってデッカイなぁああ。
そう思わせてくれただけでイイのだぁあ。
新型コロナウイルスがどっかに行ったら、
またいつもの『楼門五三桐』を
上演してくれればイイのだぁあ。
そう思っていたのに…。
「舞台に上がらないと役者は生きていることにならない」
と昨年の劇場再開を喜び、体調不良を押して出演を続けた。
生涯追い続けた初代のように、観客と喜怒哀楽をわかちあうことを
生の原動力とした人だった。(朝日新聞)
私の中で、
イチバン贔屓の歌舞伎俳優
中村吉右衛門を、
歌舞伎座でも国立劇場でも
もう観られない…。
大らかな空気の中に
見え隠れする繊細な心理描写に、
酔いしれることは叶わないのだね…。
あああああああ…。
これからはあまり歌舞伎座に
足が向かないかもしれない…。
ポッカリ空いた心の穴は
ドデカイよ…。
播磨屋ぁああああ!!!
謹んでご冥福をお祈りいたします。
3月も歌舞伎座へGO! 楼門五三桐 (2021.3.24記)
中村吉右衛門 救急搬送されて現在入院中!! (2021.3.30記)
わたしが初めて歌舞伎見物したのが中座での播磨屋さん座頭公演でした。松貫四(播磨屋さん)作「再桜遇清水」と「沼津」。
「再桜遇清水」は、山路役の先代中村吉之丞(当時は万之丞)との舞台でした。「沼津」は平作が河内屋さんでした。この舞台で歌舞伎の面白さを存分に知ることができました。
インプリンティングというのでしょうか。卵から孵った水鳥のヒナが最初に見た動くものを親と思うように、わたしは播磨屋さんを歌舞伎そのものと思って今日まできました。
これらの舞台はわたしの心にしっかりと刻まれています。わたしの宝物です。
心からご冥福をお祈りいたします。
博多座で一度だけ拝見しましたが、本当に江戸時代の人が現れたような錯覚を起こすくらい素晴らしいお芝居でした。
80歳での弁慶、観たかったですね(涙)
私などは歌舞伎座でのお姿は1度きりだったと。それでもため息と涙で週末を迎えております。今、時代劇チャンネルで追悼特番「鬼平」を見ながら、唯一無二、本当に惜しい方を亡くしたと。
トーク番組での柔和でユーモアたっぷりの語り口もとても好きでした。
舞台でのお姿を見ることは叶いませんが、せめて映像でお姿を見続けていきたいと思います。
そりゃぁ歌舞伎そのものですよぉおお。
しかも、松貫四作品まで体験したとはッッ。
播磨屋も若い頃は関西に遠征していたのですね。
出演者も凄いっ!河内屋さんって實川延若のことですよね。未体験です…ぅ。
熊さんが体験したのは、とっても濃ゆくて上等な劇空間だったのでしょうね。
羨ましいです。
私も吉右衛門の思い出を宝物にして心にしまいます…(涙)
しかも博多座で!!
私が歌舞伎を観始めてからは、吉右衛門が箱根の関所を超えることは滅多になくて。
貴重な舞台だったのではないでしょうか。
江戸時代の人かと見間違う程!
嗚呼ぁああ。思い出します…ぅぅ(涙)
時代物の重厚でいて円やかな声も忘れられません。
オォオオ!!生播磨屋を体験なさったのですね!!
それは超級貴重だぁあああ。
時代劇専門チャンネルでやっている事は後で知りました。
でも知ってても観ていなかったかもです…ぅ。
まだ姿を見て声を聞く勇気が出ませんです…ぅ。
いつも「鬼平」にチャンネルを合わせる時は、
いつか「もう舞台では観られない姿だ」と思いながら観るんだろうな。
と想像はしていたのですが、その時がこんなに早く訪れるなんて…ぅ。
トーク番組ではお茶目な姿を見せてくれましたよね。
“プーさんが好き“と聞いた時には引っくり返りましたぁあ。
そうですね。また鬼平で吉右衛門と再会したいです。
がっくりきてる人がたくさんいます…
心のぽっかり感は何度経験しても慣れることはないですね。
数える程度しか観ていませんが、
上手くは言えないのですが
江戸の風情が伝わる
素敵な俳優さんでした。
播磨屋はなかなか
宮城には来ないのですが、
8年前に来た時は、
仕事を休んで観に行ったのは
良い思い出です。
歌舞伎座の3階に飾ってある
思い出の名優たちの写真に
吉右衛門さんが加わるのかと
思うと何とも言えない
気持ちになります。
12/7(翌8日)の午前1時に
NHKのラジオ深夜便で
吉右衛門さんのインタビューの
再放送があります。
HPを通して聞き逃し配信もあります。
絶対に復活してくれると信じていました…ぅぅ。
私の友人は60代中盤で寄る年波もあり、歌舞伎座になかなか通えず…。
でも吉右衛門だけは観ていたのです。
きっぱり歌舞伎座卒業宣言をしましたよ…。
私も今回の穴は大き過ぎます…ぅ。
歌舞伎座の3階の廊下は…写真を見るのが恐くて…
当分行けないかも…ぅ。
きっと1月には掛かっていると思うのですが…ぅ。
情報ありがとうございます。
うぅむ…声だけ。というのは辛さが増しそう…。
脳内にダイレクトに響きますもんね…ぅ。