「うちら陽気な……」のテーマソングで親しまれ、3姉妹による歌と演奏を交えた漫才で知られた「かしまし娘」の長姉で、
俳優の正司歌江さんが1月19日、老衰で死去した。94歳だった。
北海道生まれ。両親が旅役者で、3歳で初舞台を踏んだ。
1956年から妹の照枝さん、花江さんと「かしまし娘」として活動を始めた。
ギターを手にした2人の妹にはさまれ、着物姿で三味線を担当。
大阪・道頓堀を拠点に、笑いに品を備えた音曲漫才で人気を博した。
66年に第1回上方漫才大賞を受賞した。
漫才トリオの活動をやめた後は主に舞台や講演で活動を続けた。
2018年、「かしまし娘」として「上方演芸の殿堂入り」に選ばれた。
妹の照枝さんは「♪これでおしまい かしまし娘~♪です。
穏やかな最期だったようですが、いまはただ悲しい」。
花江さんも「面倒見のよい芸達者な姉でした。
歌江姉ちゃん、ありがとう」と追悼のコメントを寄せた。
2018年の記事をみつけた!
12年ぶりに同じ舞台、34年ぶりに角座の舞台に立った3人は、松竹芸能の後輩芸人に今も語り継がれる伝説の真相に答えまくった。
【東京〜大阪を行き来するタレント第1号】について、花江は「深夜2時台にも飛行機があった。前の仕事が押したときはマネジャーがドアに足入れて新幹線を止めてた」と当時の多忙ぶり示すエピソードを告白。
さらに売れ始めたころに吉本興業から給料2倍のオファーがあったことを明かし、歌江は二つ返事で受けたという。
家族を楽にするためにとよかれと思ったが、
父に「松竹芸能さんのおかげで、かしまし娘があるねん! 給料上がるから行くって、どういうこっちゃ!!」と怒られ、松竹にとどまった。
歌江は「父親はすごく堅い人なんです。なんで堅いか言うたら石屋なんです」と笑わせた。(2018年サンスポより)
そっか。もともと松竹芸能所属やったんやねぇ。
今も吉本とは一線を画す芸人だらけやもんなぁ。
その雰囲気が私は好きやねんけどぉ。
息もぴったりで楽しい音曲漫才やったぁあ。
♪うちら陽気なかしまし娘~誰が言ったか知らないが~
女三人寄ったら~ 姦しいとは愉快だね~♪
慣れ親しんだ歌やわぁあ。今でも歌えるよぉおお。
ブログを始める時にHNに迷ってしまって、
“やかましい。そうぞうしい。”って私のことやん。
それなら名前を借りてしまおう。
ということで“かしまし娘”にしたんだよ。
どんどん昭和が遠くに行ってしまう…ぅ。
淋しい…。
ご冥福をお祈りいたします。
内海英華さんが先日ラジオで語ってました。松竹芸能内では「かしまし先生」と呼ぶのがならわしで別格でしたと。
オオ!凄い時代ですねぇ。記憶を引っ張りださなくても、ネット上で体験出来るのですね。
ということで、私も観てみました。本当に超一流ですね。
今の芸人と違って、親がやっていたとか旅役者だとか、食べて行く為にその道しかなかったというような、
芸にとても厳しい時代に育ったんですよね。だからザ・プロフェッショナル!妥協が無くて素晴らしい!
「先生」と呼ばれるのも頷けます。
内海英華!お正月にNHKのお笑いの東西中継番組に出てませんでしたかね…。観たことがあるような…無いような…(コラコラ!)
本当に残念なニュースが続きますね。
この訃報を聞いたとき、やはり思い出すのは、まさに「うちら陽気な~」のあの曲と、賑やかな3人の漫才。。
私も、「ザ芸人」と言うのは、いまのお笑いさんよりも、生きるためにならざるを得なかったような、あの世代の方たちの印象が強い気がします。
歌江さん、ワハハに在籍してたことがあり、地方公演で拝見しました!
すでにご高齢でしたが、「笑い」には貪欲(笑)楽しませていただきました。
個々でのドラマや舞台などのお芝居はよく拝見してましたが、3人の漫才、また見たかったですね。
おふたりでされることは…ないのかな。。
こんにちは!
本当です。こんなに続くとは…。
昭和のお笑いというか、漫才師というか、何をやっても品が滲み出ていましたよね。
歌江姉ちゃんのワハハ本舗の舞台!WOWOWか何かで観ました!
ビックリしましたよぉお。まだまだ現役なんやなぁあって。
それを生で観劇されたのですね!!スゴイ!!