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西城秀樹 逝く…

2018年05月18日 | テレビ(国内)



ヒデキィィイイ…!! 

昭和の歌謡史を情熱的な歌唱と激しいアクションで
彩った歌手西城秀樹(さいじょう・ひでき)さん
(本名・木本竜雄=きもと・たつお)が
16日に死去したことが17日、わかった。
63歳。広島県出身。 

2度の脳梗塞に倒れ、懸命なリハビリを続けながら、
最期まで「生涯歌手」にこだわった人生だった。
 「絶唱型」と呼ばれた歌唱スタイルと、
ダイナミックなステージで、多くの女性たちを
とりこにしてきたヒデキが旅立った。 

72年に「恋する季節」で歌手デビューした時の
キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。
目鼻立ちが整った顔立ちと、ハスキーな声で
シャウトする歌唱はまさに“ワイルドそのもの”。
翌年には「ちぎれた愛」が初のオリコン1位。
トップアイドルの仲間入りを果たし、
郷ひろみ(62)野口五郎(62)とともに
「新御三家」と呼ばれた。
79年発売の代表曲「YOUNG MAN」は、
人気音楽番組「ザ・ベストテン」で唯一、
最高点の9999点をたたき出し、歌謡界の頂点に立った。 

俳優としても活躍した。
TBS系ドラマ「寺内貫太郎一家」(74年)では、
父親役の小林亜星(85)と毎回のように
“お約束”の激しい親子げんかが話題を呼んだ。
小林に投げ飛ばされた際に腕を骨折してしまった
エピソードは有名だ。 

ハウス食品「バーモントカレー」のCMでは
「ヒデキ、感激!」などのキャッチコピーが
お茶の間の人気に。
「ヒデキ」の愛称は芸能界の枠を超え、
子供からお年寄りまで幅広い世代に愛された。 

15年前からは病気とも戦ってきた。
歌手として脂の乗っていた48歳の時
最初の脳梗塞を発症。
8年後の11年に再発した。それからは、
右半身のまひと、会話をする際の言葉に障害が残った。
09年の日刊スポーツのイタビューには
「終止符を打つまでは人生を楽しみたい。
自分だけでなく、周囲のみんなを楽しませたい。
『一生懸命』という言葉はあまり好きじゃなかったけど、
一生懸命に、今できることをやっていきたい。
病気のおかげで多くのことに気付くことができたから。
人に希望を与えていく歌い手になりたい」と話した。 

筋力強化トレーニングやリハビリに務めながら、
60歳をすぎても歌への意欲は決して衰えなかった。
15年に発売した還暦記念アルバム
「心響-KODOU-」では、ライブで歌唱してきた
「蜃気楼」を3120日ぶりの新曲として収録。
デビュー45周年の節目となった昨年まで、
精力的にコンサートのステージに立ち続けた。 

ヒット曲は「激しい恋」「傷だらけのローラ」
「ギャランドゥ」など枚挙にいとまがない。
紅白歌合戦にも18回出場した。
記録と記憶を残した国民的スターが、
短すぎる63年の人生に幕を下ろした。 

新御三家が大ブームの頃、
私はまだ小学生…
だったのかな、
誰が贔屓っていうのは
なかったけれど、
歌謡曲が溢れていたあの時代の
国民的大スターの1人だったから、
記憶にクッキリと刻まれてるのよぉ。 

この間も友達と、
「ヒデキはどうしてるんだろう」
なんていう話をするくらい、
今でも親近感があって…。
だからやっぱり
ショックだぁあああ

今年の3月に
『寺内貫太郎一家』を
何十年ぶりかで
観た(BS12)んだけど、
確かに!カッコイイわあぁああ。
秀樹がバンバンテレビに出てた頃、
私がお年頃だったら、
クラリときてたかもぉ。
って思ったぁ。 

♪ロ~ラ~♪
♪Y~M~C~A~♪
♪ギャランドゥ~♪
♪ハウスバ~モントカレ~だよ~♪
♪やめろといわれても~♪
♪君が望むなら~♪
パッと思い浮かぶだけでも
これだけの曲がっっ。
本当にワイルドだったねぇえ!
嗚呼…悲しい…ぅ 
ヒデキィィイイ…!! 

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

日本エンタメは太陽を失った/西城さん担当記者悼む