▽ 今回は「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の中で、ユズの死体が発見されたときの悲しいシーンです。メンソール煙草の気だるい効果が、何ともリアルでした。
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それは物盗りの犯行ではなかった。現金の入った財布も、目につくところにそのまま残されていた。また暴行受けた形跡もなかった。部屋の中はよく整理され、抵抗した様子もなかった。同じ階の住人は不審な物音を聞かなかった。灰皿の中には何本かメンソール煙草の吸い殻が残されていたが、それはユズの吸ったものだった(つくるは思わず顔をしかめた。彼女が煙草を吸っていた?) 。犯行の推定時刻は夜の10時から真夜中の間で、その夜は夕方から夜明けまで、5月にしては冷たい雨が降っていた。彼女の死体が発見されたのはその3日後の夕方だった。三日間、彼女はそのままの姿勢で、台所のビニールタイルの上に横たわっていたのだ。