今週は現職大臣の自殺が大きな事件でした。かつて池田さんも、「政治家」と「自殺」についてよく書いておられましたので、少し抜粋してみます。
「政治家とは、ステイツマンである。ステイトは動詞にて、「述べる、言う、申し立てる」、すなわち言葉を語ることである。政治家とは、言葉を語る人、言葉の人に他ならないのである。・・民主主義という政体は、高度に言語的な自覚があるのでなければ、維持されないはずである。」(『勝っても負けても』P.73)
「自殺する人は、死ねば楽になる、死んで楽になりたい、その一心で自殺するわけだが、死んで楽になる保証など、どこにもないのである。「生きているのが苦しい」の裏返しは、「死ねば楽になる」であると、短絡してしまうのであろう。・・死ぬということは自分が無になるということなのだと、こう考えることもできる。つまり、死んで無になれば、生きていることの苦しみがなくなって楽になったと思っている自分もまた、ないはずだということである。楽になったと思っている自分がないのだから、楽になるということも、当然、ない。」(『41歳からの哲学』P.123)
政治家には高度な言語的自覚が必要ということですが、国会での議論や答弁全てがそうなのでしょうし、テレビ民主主義の今では、マスコミ上の発言も、公衆前での発言も全て含まれそうです。件の大臣にとって、その発言された言葉にどれだけ問題があったのか、詳細は知りませんが、死んでお詫びするか、死ねば楽になるかの、何らかの事情があったのでしょう。
で、自殺の方ですが、池田さんによれば「死ねば楽になる」という考えの矛盾が端的に示されています。確かに、楽になるはずの自分がいなければ楽とは感じられないし、死んでも自分が存するとすれば苦しみがなくなる保証もないですね。では、死んでお詫びするという方はどうでしょうか。これも本当はお詫びは生きてすればいいのに、死んでお詫びをするということは、生きてお詫びをする苦しみから逃げているように思えます。死ぬことそのものがお詫びではないことは、お詫びの言葉が文書で残らないと死んだことがお詫びか否かわからないことでも明らかですからね。
「政治家とは、ステイツマンである。ステイトは動詞にて、「述べる、言う、申し立てる」、すなわち言葉を語ることである。政治家とは、言葉を語る人、言葉の人に他ならないのである。・・民主主義という政体は、高度に言語的な自覚があるのでなければ、維持されないはずである。」(『勝っても負けても』P.73)
「自殺する人は、死ねば楽になる、死んで楽になりたい、その一心で自殺するわけだが、死んで楽になる保証など、どこにもないのである。「生きているのが苦しい」の裏返しは、「死ねば楽になる」であると、短絡してしまうのであろう。・・死ぬということは自分が無になるということなのだと、こう考えることもできる。つまり、死んで無になれば、生きていることの苦しみがなくなって楽になったと思っている自分もまた、ないはずだということである。楽になったと思っている自分がないのだから、楽になるということも、当然、ない。」(『41歳からの哲学』P.123)
政治家には高度な言語的自覚が必要ということですが、国会での議論や答弁全てがそうなのでしょうし、テレビ民主主義の今では、マスコミ上の発言も、公衆前での発言も全て含まれそうです。件の大臣にとって、その発言された言葉にどれだけ問題があったのか、詳細は知りませんが、死んでお詫びするか、死ねば楽になるかの、何らかの事情があったのでしょう。
で、自殺の方ですが、池田さんによれば「死ねば楽になる」という考えの矛盾が端的に示されています。確かに、楽になるはずの自分がいなければ楽とは感じられないし、死んでも自分が存するとすれば苦しみがなくなる保証もないですね。では、死んでお詫びするという方はどうでしょうか。これも本当はお詫びは生きてすればいいのに、死んでお詫びをするということは、生きてお詫びをする苦しみから逃げているように思えます。死ぬことそのものがお詫びではないことは、お詫びの言葉が文書で残らないと死んだことがお詫びか否かわからないことでも明らかですからね。
死んでも語れない何かが在ったのだろうけど、だから死んでしまうのですよ。
語らない政治家なんて、少し考えれば不可能だと分かるのに。
ご遺族の心中は察するけれども、そういう教訓を学んだ気がします。
池田さんの本を読んでいて、池田さんは死を恐れていない方なのだなあ、という印象を持ちました。
また、生きることにも執着しすぎていない、という部分も・・・。
でも、まさか今年亡くなるなんて思っておりませんでした。
昨年と一昨年に本のサイン会に行ったのですが、「宛名は省略してください」とお願いし、「池田晶子」というサインだけもらったのですが、今となっては「***さんへ」という宛名をもらっておけばよかったな、と後悔しているこの頃です。(その本のタイトルは「新・考えるヒント」「人生のほんとう」)
まあ、いずれにせよ、これらサイン本は自分の家宝でもあります。