哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

全原発停止

2012-05-07 02:22:33 | 時事
 日本で稼働中であった最後の原発が先日停止し、日本にあるすべての原発が停止したという。今後とくに夏場の電力需要に対して、原発を再稼働させなければ電力供給が足りなくなるとの報道がされている。池田晶子さんの雑誌連載なら必ず触れたであろう話題だが、考え方は変わらないだろうから、かつての東海村のウラン事故に関して書かれた文章から引用する。


「・・・会社や社員の落ち度は明白だが、そうやって怒っている人々とて、どれほどの危機意識を所有していたのか、その点が私には疑問である。なぜなら、わたし自身がそうだったからで、電化生活の有難さ、電力の供給源についての想像力など、日常の生活意識からはほとんど脱落していたことに、改めて気がついたような次第だったからである。
 ましてや、この国では、原発、原子力に関することは、それだけで何かと評判がよろしくない。しかし、電力使いたい放題の便利な生活を享受しているわれわれに、原発の失敗をそれ見たことかとなじる資格があるのだろうか。もしも彼らとその失敗を正しく批難したいなら、便利な生活、安楽な人生を至上のものとしている自分たちの価値観を、まず改めるべきだと私は思う。」(『考える日々�』「ただ生きようとした結果」より)



 電力が無尽蔵に供給されていることに安住しておきながら、急に供給不能になったからと言って、誰かを非難する資格があるのか、とあいかわらず厳しい謂いである。確かに一時的に停電が発生したりして困ることはあったが、たいていはそのうちに復旧することを前提に生活してきた。しかし、もうそうはいかないという覚悟を問われているのである。地震であれば自然に起こることであるから、それによってどんな災害を被ろうともやむをえない。しかし、原発は「持たない」という選択もできたはずだから、持たなければ今回のような問題にはならない。

 それにしても、原発を稼動できないことについて、またもや内閣を非難する政治家たちがいるが、決して民主党を擁護するわけではないが、稼動することが真に必要なら、なぜ一緒に方策を考えようとしないのだろうか。協力すると民主党政権の延命に繋がるからといって、そうやって国益そのものを害しているのなら本末転倒であろう。

 そうはいっても原発を稼働するならするで、改めて大きなリスクを背負う覚悟が必要だし、あるいは稼働させないなら電力が不足する社会で生きるという選択をするしかない。電力は無尽蔵ではないという当たり前のことに気づいて、覚悟を決めて生きるしかないだけなのである。