哲学とワインと・・ 池田晶子ファンのブログ

文筆家池田晶子さんの連載もの等を中心に、興味あるテーマについて、まじめに書いていきたいと思います。

『孔子伝』(中公文庫)

2009-08-01 14:10:30 | 
 白川静氏の文章は決して読みやすいとはいえないが、その博識に裏付けられた的確な指摘は知的興奮を覚える。

 孔子は、イエスと同じく敗北者であるという。敗北者であるからこそ、思想を極限まで高められたというのだ。

 また、孔子は、ソクラテスと同じくイデアを追求したという。ソクラテスはノモス(法律)の命ずる通り死することによって、イデアの存在を証左したが、孔子の時代はまだ社会がノモス化しておらず、孔子は現実の敗北者となることによってイデアに近づくことができたというのだ。

 さらに、孔子は巫祝の出身で、儒家はもともとは祭礼や葬礼を仕切る集団から発生したそうだ。それは下層の民でもあるという。儀式というのは神との言葉のやり取りであり、存在の根源としての生の神秘にも関わることから、高遠な思想へと昇華されていったのだろう。


 白川氏の硬質な文章から、人間的な魅力のある孔子が描き出されているのが、本当に不思議である。

その名を口にしてはならない

2009-08-01 08:30:00 | 時事
 先日映画のハリーポッターを観たが、映画の中でよく出てくるお馴染みのセリフだ。

「みだりにその名を口にしてはならない」というのは、悪の権現であるその名を口にすると、禍が起こるということだ。

 ハリーポッターは、古代のイギリスの魔法使い伝説を基にあるから、古代人の言葉に関する畏敬の念が現れているのかもしれない。そもそも呪文というのは、まさに言葉の力そのものを信じたものだろう。

 現代においては、名前を口にしたからといって禍が起こるとストレートに信じることはないだろうが、現代人でも自分の姓名を安易に教えたり、他人に口にされたりすることを、嫌に思う認識があるのではなかろうか。これは何となく古代と同様、名にすくう言葉の力という観念が残っているようにも思える。

 もちろんプライバシーの概念や個人情報保護法というのは、近代の人権主義の産物だろうし、犯罪防止が主眼だろうが、自分の名前をみだりに教えたりしたくないという観念は、単にプライバシー保護や犯罪防止というような割り切った感覚以前のものがあるような気がしてならない。