クリントン元大統領電撃訪朝に関して、メディアでは、国家は国民の命を守るためにこのように動くのが当たり前との主張が多く聞かれた。そして日本はそのようにできていないと。
国家の存在理由としては分かりやすい主張だが、一方で前回紹介した本にあるように、逆に国家のために国民の命を捧げるのが当たり前か、という問題が出てくる。それは国家ではない、故郷や家族のために命を捧げるのだ、とすればまだ納得感が出てきそうだが、しかし池田晶子さんに言わせれば、国家も家族も故郷も、同じように観念にすぎない。
そして、国家内で暴力が制御されたとしても(世界にはそこまでにも至らない国家・地域も多いが)、国家間の暴力の連鎖は21世紀になってもとどまることを知らない。
姜尚中氏は前回の本で、今や世界にはびこる暴力をどのように捉え対処するのか、を書いているが、明確な答えはない。歴史的には国家を作り、憲法を作ることによって暴力を手なずけてきた人類だが、国際間を跋扈する暴力を制御するには、まだまだ知恵が足りないのだろうか。
国家の存在理由としては分かりやすい主張だが、一方で前回紹介した本にあるように、逆に国家のために国民の命を捧げるのが当たり前か、という問題が出てくる。それは国家ではない、故郷や家族のために命を捧げるのだ、とすればまだ納得感が出てきそうだが、しかし池田晶子さんに言わせれば、国家も家族も故郷も、同じように観念にすぎない。
そして、国家内で暴力が制御されたとしても(世界にはそこまでにも至らない国家・地域も多いが)、国家間の暴力の連鎖は21世紀になってもとどまることを知らない。
姜尚中氏は前回の本で、今や世界にはびこる暴力をどのように捉え対処するのか、を書いているが、明確な答えはない。歴史的には国家を作り、憲法を作ることによって暴力を手なずけてきた人類だが、国際間を跋扈する暴力を制御するには、まだまだ知恵が足りないのだろうか。