鈴鹿で山口誓子展が11月5,6日ありました。
ヒョンなことから、この企画を知って、妻と行ってきました。
誓子の弟子で、彫刻家の長谷川八寿雄翁のお話がありました。
昭和23年~28年まで、鼓が浦海岸で結核療養している誓子の
世話していたときの話がほのぼのとして、身近になりました。
展示は、誓子自筆の掛け軸や手紙などが、ショウーケースに
入れられことなく、展示されていました。
写真撮影も、どうぞということでした。
誓子の文字の息つかいが伝わってくるようで、こんな家族のような
展示会ははじめてと思いました。誓子が奉られていないんじゃないか。
ほんに、隣にいて話しかけてくれてるようでした。
昭和19年5月26日、高田本山専修寺で書かれた句に目が留まりました。
昭和19年ごろは、特別攻撃隊が話題になっていました。
「海に出て木枯帰るところなし」の句も19年作です。
誓子の心のうち、どうだったんだろう、って残っています。
誓子は鈴鹿の学校校歌の作詞をしています。
その殆どが鈴鹿地域だということでした。
鈴鹿での暮らしが偲ばれる写真もありました。
こんなコトバも、心に残りました。
文才のない小生が、少しは理解できた積りの句をいくつか紹介します。
たらたらと縁に滴るいなびかり
炎天の遠き帆やわがこころの帆
初富士の鳥居ともなる夫婦岩
虹の環を以て地上のものかこむ
すっと、詠まれているんだなと思いました。