かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

太陽光共同発電のお話を聞いて

2011-08-15 15:20:25 | 鈴鹿川流域の暮らし
 ここのところの暑さには、少々参っている。
 朝晩の暑さがこたえる。冷房はつけても、消しても、どちらも快眠を齎してくれない。

 電気を使うのである。
 「節電」の大合唱があっても、なかっても、電気だけにたよりたくないと考えてきた。
 でも、今は、電気がなくては、この時期凌げない感になっている。

 7月24日、鈴鹿カルチャーステイションの企画で、鈴鹿地域の住民対象の”エコチャレンジ・セミナー”があった。
 その時、東近江市で太陽光共同発電という市民活動をされている橋本憲さんの活動レポートを聞く機会があった。正直、そのときは、あまりピンときていなかった。


 (街のはたけ公園にて。左が、橋本憲さん。右は、はたけを見ている小林耕一くん)

 (鈴鹿カルチャーステーションにて)

 じんわり、いま思い出している。
 いままで、電気というのは、水や空気のように、コンセントにプラグを差し込めば、あるもの、
東電だ、中電だいっても、雲の上のことのようだった。
 それが、3・11の福島第一原発事故以来、電気や電気会社が、にわかに身近に感じるようになった。
 橋本さんのお話は、太陽光発電を個人でやるというのではなく、屋根のない市民も太陽光発電を
設置するために一口数万円を出資して、それで生み出した電気は、電力会社に売り渡して、
それから生じた売上余剰分から、出資者に15年とかで還元していくという運動と聞いた。
還元分は、地域通貨で返すことで、地域の活性をはかるという趣旨。
 
 このお話から、いま考えていること。
 1、太陽光発電で生み出した電気は、いまのシステムでは一旦、電力会社に売電しなければならない。
  使かった分と売った分の差額が、市民の手元に残る。
   作った電気を、そのまま自分たちのところで使うのが、もっと分かりやすいし、簡単にみえるけど、
  今は出来ない。送電線が、電力会社で管理しているから。
   でも、考えたら、そのシステムはたまたま、だれかが、いつの時期かに思いついて、たまたま
  はじめたことではないのかな?
   地域のみんなが、その地域にあった、エネルギーを生み出していく、そんなことが出来るんだと
  描けるようになってきた。
 2、いまの現状は、たとえば鈴鹿市に市民が払っている税金は、年500億円とか。一方、電力会社に
  市民が支払っている電気料は400億円とか。
   お金のことに、さっぱり弱いぼくだけど、電気料として、外に出している分のお金のなんぼかでも、
  地域で生み出したエネルギーで、地域の人たちの暮らしを支えることができたら、その分を地元を豊かに
  することにつかえないか?
 3、地域ごとに、その土地の特性に合った、エネルギーということが考えられそうだ。
  鈴鹿市は、鈴鹿山脈から流れ出した湧水が、鈴鹿川をなして、海に注いでいる。
   鈴鹿市といっても、もっと地域ごとに、いろいろ考えられるのではないか?
 4、暮らしから、エネルギーを考えてみて。
  ご飯を炊く。
  湯を沸かす。
  風呂を沸かす。
  扇風機を回す。
  冷蔵庫を冷やす。
  エアコンで部屋を冷やす。
  電話で話す。
  テレビを見る。
  パソコンを立ち上げる。
  トースターでパンを焼く。
  オーブンレンジを使う。
  電子レンジであたためる。
  照明を付ける。
  車を運転する。
  洗濯機を回す。
  水を飲む。
  ポンプを回す。
  浄化槽を維持する。
   まだ、まだあるだろう。
   自分の目に見えるところではなくても、どこかで、だれかが、なにかしらのエネルギーを使って
  何かをしているのだろう。
   電気でなくても、やれることはないか。電気を使うにしても、面白い発電方式はないか。
   サッカーボールを蹴って、遊んで、夜、そのボールから電気を取り出し、勉強の明かりにする
  ビデオを見た。アフリカでの、話らしいけど。
   こんなことに、あらためて関心がでてきたかなあ。
 5、環境のことでも、エナルギーのことでも、それを考えるのは、人であり、ぼくであり、あなただ。
  そして、なぜ、それを考えるのか、という自問は避けて通れない。
  私や私たちは、究極、なにを目ざしているのか?
  そのために、いま、当面、目前の問題としていることが、そういう目指している方向に
  むかっているのかどうか。
   それを、根本から検討できる人と人同士になっているかどうか、そういう社会の気風はどうか、
  個人の努力は貴重なもの、尊重されるもの、それが生かされていくには、そういうことができる
  社会の仕組みってものがあってこそではないだろうか?、
  それて、どんなものだろう?そこを、検討する自分は、いまどんな状態かなど・・
  秋に向けての宿題。

  太陽光の共同発電のお話は、いままで「そうなっている」「それで、当たり前」としていた、
 固い頭とこころを、揺さぶっていただいた感じがする。

  熱暑のなかで、もうろうとしながら、秋の気配を感じとろうしている。
 
  秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる    藤原敏行
 











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