かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

降り籠る、蓼科・安曇野ふたり旅

2011-08-24 06:29:53 | わがうちなるつれづれの記
<一日目>
 
蓼科高原は、しっとりとした森の木陰、空には雲が浮かび、山々が天にそびえ、
眼下の眺望は遠く広がっているはずだった。
 朝、鈴鹿を出て、中津川ICで高速道路を下りて、中山道に入る。その頃から雨が降り始める。
8月19日、金曜日。
 
途中、”寝覚の床”に寄る。木曽川の名所。
崖下の川床に降りた。石が重なっていて、すべりやすく、思わず小浪に手を差し出した。、
 その間、雨が止んでいた。


 中山道は、土砂降りの雨。ワイパーも役に立たないほど。
 途中、 牛丸仁先生の生地、上松町の街並みも通り抜けた。

 諏訪湖畔に”山下清放浪美術館”がある。
 今回の旅を思いたったキッカケは、ここを訪れたいことだった。

 雨は、上がっていた。

 夕方、阪口いつ子さんがやっているペンション「ひこう船」に向かう。
茅野市からビーナスラインをのぼって、蓼科高原ピラタスの丘に行く。
 そこから、さらに山奥に分け入る。森のなかに、ぽっかり白亜の木造「ひこう船」が
浮かんでいた。パラリと雨が降り始め、夜には降り籠められていると感じるほどの雨に。雨音も
旅の心にしみてくる。
 

 お泊まりの人は、家族大人三人と子ども二人、オートバイで大阪からきた男の人一人。
夕食のとき、山岸富美子さんが小渕沢から手伝いに来ていた。


 片づけが終わった、いつ子さん、富美子さんと居間で雨夜の語らい。
 いつ子さんは、このペンションをはじめて五年目。その間、いろいろな人に
助けられてここまで来たとのこと。最近も知人が手伝いに来てくれたことなど、聞かせくれた。
 富美子さんも、小淵沢の暮らしや、周囲にいる知人の消息を、彼女らしい語り口で聞かせてくれた。
彼女は、保養施設のマッサージ師をやっている。野菜も作っている。なにより、山登りが大好き。
いつ子さんと、しばしば山へ出かけて行くらしい。
 夜更けまで、四人のひととき。


 
<二日目>

 翌朝、白樺の森に雨が降りかかるのを窓際から眺めながら、朝食。

 
ペンション周辺の山を散策するつもりだったが、変更。
 
茅野市にある”尖石縄文考古学館”へ行く。
 
 
午後は、岡谷市にある”イルフ童画館”。武井武雄という絵本作家の展示館。武井は、岡谷市の出身。


 「イルフってどんな意味?」と案内の人に聞いたら、「フルイを逆に読んだもので、
つまり新しいということになるんです。武井さんの命名です」
 なるほど!
 この童話館の裏に、人影がない飲食店街がひっそり取り残されたように佇んでいた。
これそのものが、”童画”になるかも。


 その日、一日雨だった。
 夜は「ひこう船」で、雨音を聞きながら、読書。ペンションの本棚から。
 菅谷昭(すがのや)「チェルノブイリ診療記」泣けてきたり、笑ったり。
 小浪はテレビ。女子バレーボール、韓国戦。

<三日目>
 
  翌朝、8月21日、雨は止んでいた。どんより、雲に覆われている。森はしっとり濡れている。
「きょうは、松本市長菅谷昭さんを表敬訪問しようぜ」とぼく。
「ええ、ほんとに行くの。きょうは、日曜日よ」と小浪。
 
 ビーナスラインを通って、霧ヶ峰”コロボックル・ヒュッテ”に向かう。
 深い霧に包まれていた。車の前方が見えない。


 霧のなかで、ヒュッテで一服。
 坂井和貴さんの父上の同級生、手塚宗求さんが長年暮らしているヒュッテ。
 霧ヶ峰の自然を謳った詩をいくつも書いている。CDも出している。
 その日、手塚さんは不在でした。



 キスゲの花が 咲けば夏だと
 いつも私は 手紙を書いた
 咲きいそぐ 一夜花
 過ぎゆく 束の間の夏    (CD「キスゲに寄す」から。作詞 手塚宗求作曲 さとう宗幸)

 車中、心に響くさとう宗幸さんの歌を聴く。
 再訪すること、ありやなしや?

 
 高原散策をあきらめて、街へ下りる。街からみる山並みは厚い雲に覆われていた。
 松本市大字和田に窪田空穂記念館を訪ねる。空穂の生家と向き合っている。
 松本が生んだ歌人。昭和42年、90歳で亡くなる。



 館内で見つけた歌。晩年の作品。
 
   かりそめの感と思はず今日を在る我が命の頂点なるを(「去年の雪」)


 夕方、和田からさほど遠くない安曇野市三郷村にある「地球宿」に着く。
 増田望三郎・悦子夫妻が、10年前からはじめている宿だ。
 古民家を改造した家は、人と人が出会う場として、どこかしら親しみが湧く
気風が漂っているようだ。

 東京から一家族(子ども3人)、兵庫県宝塚市から一家族(子ども2人)、
男の人が一人、夕食を共にした。





 この夏、かなり満室がつづいた。
 この日は、ピークを越えた時らしい。

 夕食は、望ちゃんが作っている野菜や近所からのいただきもので。
 その時、あるもので。野菜の料理、各種。ニンジンや茗荷のてんぷら、好評。
 子どもたちも、大人に混じって「おいしい」とか言って、食べていた。

 雨が降りはじめた。9時ごろ、近所にいる津村孝夫くん、松村暁生くんが「地球宿」に
顔を出した。
 酒ではなく、冷茶を酌み交わしながら、昔をしのび、今の心境、大いに語った。
40歳の男三人が、熱く語る話しに小浪は、めずらしくジッと耳を傾けていた。
 しみじみとした夜だった。
 深夜、雨が激しく古民家の屋根を叩いた。


<四日目>
 信州から帰る日の朝。
 
 松村暁生・輝美夫妻がやっている”おぐらやま農場”を訪問。
 輝美さんが、桃の出荷仕事をしていた。

 「まあ、よく来てくれたあ」と全面、笑顔で迎えてくれた。
 暁生くんの母上、芙佐子さんにも、会うことが出来た。
「まだ、死なないの?」と言い交しながら、来し方、今を通じ合おうとしてたかなあ。


 津村孝夫宅に寄る。奥さんは、出かけていた。
 オーストリアから農業研修生ヨハネスくんが、台所で麦をフライパンで炒っていた。
麦茶を作っている。
 仙台からきている若い女性が、泊まっていた。「居候してる」と孝夫くん。

 孝夫くん、軽四トラック一台からはじまって、アイガモ農法で米づくり、地域の人との助け合い、
それまでの10年の道のりを語る。「日本で、食えないことはない」何回も、独白した。実感だろう。



 帰路、松本ICから、高速道路を鈴鹿に向かう。
 小浪に運転を変わってもらう。
 寒いほどだった、信州を離れれば離れるほど、むっとした空気になっていく。
 雨に閉じ籠められていたほうが、いいかなあ。
 
 たくさんの人に出会った。たくさんの人の消息を聞いた。
 小浪とふたり、「雨の蓼科も、それなり味わったかなあ」と、慰め合う気分。 
 

 
 




 
 

 



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