かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

東北大震災と餃子

2011-08-18 21:56:12 | わがうちなるつれづれの記
 先日、仙台から届いた餃子を夕食に食べた。
 こじんまりした形だったけど、キチンと襞がついていた。
 小浪が焼いた
 「美味しいな」とぼくは感嘆の声をあげたが、雄一くんは黙々と食べてるように見えた。

 この餃子は、仙台の白鳥牧美さんやその仲間たちが、注文に応じて、寄って作っているもの。
 3月11日以前は、石巻に暮らす高橋和子さんが、子どもたちの学費を稔出するため、
餃子を作っていた。牧美さんたちは、それを買っていた。
 
 3月11日、地震と津波。
 電話しても、連絡とれず。
 10日目。やっと、連絡が取れる。
 「家がながされたの。なにもなぐなった・・こんなごどってあるのーー」和子さんのコトバ。
 妹さんも、その時点では、行方不明。(4月19日、遺体で見つかる)

 白鳥牧美さんとその仲間は、3月23日、石巻に和子さんを訪ねた。
 その時、感じたことを、萩原秀子さんに手紙で書いてきてくれた。
 そのときの衝撃から、和子さんの餃子を替りにつくることを思い立った。
 
「(和子さんは)今は仕事先に寝泊まりしている状態です。
 住む家がなかなか見つかりそうもないと思います。
 ・・私たちは、その餃子を仙台で作りたいと思い、和子さんに提案しました。
 レシピを借りて、松浦の店や、白鳥の家など使い、作っていきたいと思います。
 皆様にはこの餃子を食べて、支援をお願いしたいです。
 ・・・皆様には長期にわたリ協力をおねがいしたいのです。
(約2年ですが、まず1年を目標に)続けたい。
 そして、その売り上げは優先的に和子さんに使ってもらいたいと思いますが、売上の一部を
日赤へも寄付もしていきたいと思いますので、なにとぞご協力をお願いしたいと思います。
 どうぞ、今年は、和子餃子をどんどん食べていただき、支援をお願いしたいと思います」

 4月11日には、5人で試作。和子さんのレシピ通りの調味料はそろわなっかた。
 それでも、練習しながら、楽しくあっという間に250個作った。
「各自自宅で試食しました。家族には絶賛されました。
 楽しみにしていてください」

 萩原秀子さんと小浪が、餃子の話しをしていて、なんのことかよくわからないまま、一回目の
餃子は食べた。
 後日、秀子さんあての牧美さんの手紙を見て、「どんどん」餃子を食べたいと思った。
 実際は、我が家は1パック30個の注文だった。
 今度は、娘の分も注文しようと思っている。

 震災から、5か月。
 「約2年ですが、まず1年を目標に」という一節の重みを感じる。

 もしかしたら、震災や津波などから受けた心の痛みは、周囲が整っていくのとは
反比例して、深くその人に沈潜していきかねないのを感じる。
 どこまで、そうした人たちのこころの隣に寄り添っていられるだろうか?
 











 

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