山域山名:東信・太郎山(長野県)
期 日:2018年6月10日(日)
参 加 者:みやぶー(単独)
行動記録:表登山口580m(6:05)→太郎神社1150m(7:00)→太郎山1164m→太郎神社(8:10)→表登山口(8:25)
<天候:曇り>
10年ほど前に北アルプス黒部源流でお会いした上田市出身の岳人から、太郎山は市民の故郷の山だよ、と聞いていました。
妙高山や白馬岳、北陸に向かう道中の上信越道を走っていると、上田ICの先にやたらと長い太郎山トンネルがあり、いつも運転席から太郎山を見上げてました。
今年は先週の白馬清水岳で板納めとしたので、ふらっと四阿山に登ろうと鳥居峠に来てみたが、あいにく峠は上州側からの雨雲と強風で全く楽しめそうになかったので、「あ、そうだ~」と国道を信州側に下って上田市街に向かいました。
一番山頂に近い表登山口から登り出す。このすぐ下には高速の太郎山トンネルが走る。
しっかりとした道を行く。
眼下には上田市街が手にとるよう。
石の大鳥居。
赤の大鳥居。
鳥居の脇にある鐘。
東日本震災の鉄や電線の鋼材で造られたそうだ。
山頂手前に建つ太郎神社。
山道を登って祈願。
晴れてたら眺めは素晴らしいだろう。
神社からほどなく太郎山山頂へ。
頂きは霧が流れて寒いが、山頂の展望案内板で大展望を想像する。
山頂に建つ反戦反核の碑。熊高の大先輩、金子兜太先生も反戦平和の句をたくさん詠まれていた。
神社に戻る。
天気はよくないが、たくさんの市民が登ってくる。
この縁側で腰掛けながら、年に300回も登ったことがあるという81歳の女性とお話しをさせていただきました。
上り下りで先を行かせてもらったのだが、その足取りはホントに確かなもので、その体力と気力に感心させられました。
元旦には、上田市街の先から昇る初日の出と富士山を見に、たくさんの上田市民で山頂と神社はいっぱいになるらしい。
山城がたくさん築かれて戦国時代は要衝として、昔は養蚕のための桑の栽培地として、薪や炭などの燃料を確保する場として、信仰の場として、今は市民登山の山として、まさしく上田市民に愛される故郷の山なんだと、実感しました。
期 日:2018年6月10日(日)
参 加 者:みやぶー(単独)
行動記録:表登山口580m(6:05)→太郎神社1150m(7:00)→太郎山1164m→太郎神社(8:10)→表登山口(8:25)
<天候:曇り>
10年ほど前に北アルプス黒部源流でお会いした上田市出身の岳人から、太郎山は市民の故郷の山だよ、と聞いていました。
妙高山や白馬岳、北陸に向かう道中の上信越道を走っていると、上田ICの先にやたらと長い太郎山トンネルがあり、いつも運転席から太郎山を見上げてました。
今年は先週の白馬清水岳で板納めとしたので、ふらっと四阿山に登ろうと鳥居峠に来てみたが、あいにく峠は上州側からの雨雲と強風で全く楽しめそうになかったので、「あ、そうだ~」と国道を信州側に下って上田市街に向かいました。
一番山頂に近い表登山口から登り出す。このすぐ下には高速の太郎山トンネルが走る。
しっかりとした道を行く。
眼下には上田市街が手にとるよう。
石の大鳥居。
赤の大鳥居。
鳥居の脇にある鐘。
東日本震災の鉄や電線の鋼材で造られたそうだ。
山頂手前に建つ太郎神社。
山道を登って祈願。
晴れてたら眺めは素晴らしいだろう。
神社からほどなく太郎山山頂へ。
頂きは霧が流れて寒いが、山頂の展望案内板で大展望を想像する。
山頂に建つ反戦反核の碑。熊高の大先輩、金子兜太先生も反戦平和の句をたくさん詠まれていた。
神社に戻る。
天気はよくないが、たくさんの市民が登ってくる。
この縁側で腰掛けながら、年に300回も登ったことがあるという81歳の女性とお話しをさせていただきました。
上り下りで先を行かせてもらったのだが、その足取りはホントに確かなもので、その体力と気力に感心させられました。
元旦には、上田市街の先から昇る初日の出と富士山を見に、たくさんの上田市民で山頂と神社はいっぱいになるらしい。
山城がたくさん築かれて戦国時代は要衝として、昔は養蚕のための桑の栽培地として、薪や炭などの燃料を確保する場として、信仰の場として、今は市民登山の山として、まさしく上田市民に愛される故郷の山なんだと、実感しました。