「この先、行き止まり」

お昼当番なので「ざるそば」にしようと思ったが、肝心のそばが傍(そば)にない。そこで家内のストレス発散を兼ねて誘い、買い物に行った。帰りに風邪気味の娘(三カ月我が家にいる)を心配して「三カ月も仕事が休みでかわいそう」と言う。私も可哀相だと思うが、自力でなんとかしてもらうしかない。そこで、家内の今後のためにも言った。「悶々とするのは仏教では一つの苦。苦はすべからく(こんな言葉は会話では使わないが文章だから若干の脚色はご容赦いただきたい。で、苦というのは)自分の都合通りにならないから感じる。悶々とであろうとイライラであろうと、苦を感じたら、まずやることは『現状が自分の努力で都合通りになるかどうかを見極めること』だ。会社が休みなのは一社員の娘の都合ではどうにもならない。だから、思考を停止して諦めるしかない。いくら考えても「この先行き止まり」になるからだ。そして、自分の努力で都合が叶いそうなことがあるなら、叶うように努力すればいい。実際娘は会社が始まった時のためにトレーニングの勉強している」--というようなことを言った。家内は「そりゃそうだけど」と煮え切らない様子。ぐはは。しかし、私は苦を感じたら、そのシンプルな手順で苦を除いていくことに少なからず成功している。今日は本の原稿を編集のYさんに送ったので、昼食の後片付けをしたらやることがなくなった。「ぐへっ!何をしよう」と小さな苦が生じたので、自分の努力でできる7月分の写仏の手本を描いた。あとは夕飯の鶏の手羽先のカラアゲを作って食べれば、お酒の力も手伝って、今日はもう苦は生れない予定である。どはは。

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