澱の沈殿作用

塔婆を書いたり、原稿を直したり、それぞれ一気にやれば2~3日で終わるものを小分けにしてやっている。そのせいか、ちょっと心がざわついている気がした。そこで、井上球二さん作の「童ぼとけ(残念ながら絶版?)」シリーズの中から弥勒菩薩を、青のぼかしが入り、金箔が散っている和紙に写仏した(30分かかった)。「どうしたら、人びとを心おだやかな境地に引っぱっていけるだろう」と、この先50億年以上も考えていると言われる仏で、50億年後に、お釈迦さま以来、久しぶりに成仏する(如来になる)と約束された人物だ(だから、まだ菩薩)。写仏の原画の中には、仏が台座の上の蓮に座っているものがある。私は台座は要らないと思っている。台座があると、仏ではなく、仏像になってしまうのだ。仏を描くのであって、仏像を描くわけではない。ところが、この弥勒菩薩だけは、もともとスツールに腰掛けて膝を組み、頬づえをついている。台座がスツールになっているので何の違和感もない。30分の写仏だったが、心の中に浮遊していた澱が沈殿したように、さっぱりした気分になった。

 

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