切り落としのホウゲン

次郎八(じろはち)さんのところへ養子に入った長五郎は、静岡の清水港に住んでいたから、通称「清水の次郎長」である。赤城山麓の国定村に住んでいた忠治だから「国定忠治」である。ほかにも、通称は面白い。千に一つのことしか本当のことしか言わない長吉のことを「千一(せんいち)の長吉」なんて呼んでしまう。で、今日の会議で、他人の原稿の文章がまだるっこしいと、バッサバッサと文章を切り落としてしまう私のことを、人はいったいどう呼ぶだろう。さながら「切り落としのホウゲン」で、略して「切り芳(ほう)」さんとでも呼ぶだろうか。わははははは。こんな調子でニックネームをつけるとしたら、あなたの通称は如何に?ぎゃはははは。

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一人立ちへの道

昨日の密蔵院の護摩に続いて、今日は実家のお寺の初大師(1月21日)の護摩焚き。後ろで7人のご詠歌隊がお経を唱え、ご詠歌を唱えてくれる。が、私が一緒に唱えないから、曲がこのうえなくあやしい。ぎゃははは。安心してなかなか護摩に集中できないのだ。そこで、今年のご詠歌の練習の目標は、全員が自信をもって、独唱できるようにすること。いわば一人立ちである。しゃもじだって一人立ちきるご時世だ。人にできぬわけはあるまい。わはははは。

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力及ばぬところをなんとか一つ・・・

密蔵院の檀家総参加の護摩法要は明日。神仏に頼らず自分の力だけで生きていくと豪語する人もいるだろう。しかし、多くの人は、自分の力だけですべてがどうにかなるものでないことを知っている。自分では精一杯努力はするけれど、力の及ばなぬところを、人知を越えた自然とか、縁とかナニモノかに少し手伝ってもらおうと考える。その力を護摩札に取り込む。護摩(原語は梵語のホーマ)は「火に木をくべて所願成就を祈る儀式」だ。焚いている坊さんは火を目の前にして、仏様と感応しやすい儀式の一つだと思う。一般の方は後ろからしか見ることができない。お気の毒だと、いつも思う。

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おみくじ的レジメ

明日は娘が小学校でお世話になった先生が副校長として赴任している墨田区の小学校での「道徳授業地区公開講座」。いよいよ明日なので、護摩札書きの合間をぬって資料をつくったのだが、何枚必要なのかがわからない。学校に電話するとマックス50人だという。それを聞いて、お茶目ココロに火が点いた。レジメに描いたお地蔵さまは4パターン(写真)だが、これをカラーコピーして、50枚すべて違う言葉を筆書きしようという魂胆である。わはははは。どんな言葉が誰の手元に行くのか・・・。まるでおみくじのようなレジメである。

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三角定規の丸い穴

二日連続のご詠歌の授業を終えて、とてもよい疲労感。このくらいでこんなにクタクタになるようでは体力が足りぬと我が身に言い聞かせ、体力作りもかねて夕飯のあと犬の散歩に出かけた。夜空には電灯のように明るい満月が、オリオン座の隣に浮かんでいた。「おお、このまま行けば、満月が冬の大三角形の中心に入るか?入れば、正三角形定規みたいだ」と思った。残念ながら正三角形定規は文房具屋さんでは売っていないけれど、夜空にでっかい大正三角形定規があったワイ。でも、どうして三角定規の真ん中には、穴が空いているのだろう。鉛筆を通してクルクル回すくらいしか使い道を思いつかぬ。わはははは。

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入れ込みの誤算

どのくらい珍しいのか知らないが、今日15日は、旧暦でも12月15日である。旧暦で15日は望月、つまり満月だ。「時は元禄15年、師走半ばの14日、討ち入る浪士47(しじゅうしち)・・・。ベンベン」ということで、今日の未明に大石率いる赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした。満月に近い明るい月が出ている日の、未明を計っていた。今日のご詠歌の研修所の授業でそのことをチラリと話題にしても、三人の受講生はピンと来ないようだった。わははは。はい、私が勝手に「忠臣蔵」に入れ込んでいるだけでございます。

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不完全な『生んでくれてありがとう』

昨日は長男の誕生日だった。下二人の弟と妹は出かけたので、家内と相談して「長男の食べたいものを食べに行こう」ということになった。「先輩に連れて行ってもらった美味しいお店があるから、そこにしよう」と言うので出かけた。美味しいお肉料理だった(というより柔らかったのでありがたかった)。お料理も終盤になると長男が「お父さんとお母さんにここのお料理を食べさせてあげたかったんだ」と涙が出るようなことを言う。「そっか、『生んでくれてありがとう』の誕生日か」と呼び水をかけると、長男が言った。「うん、僕はこのお店を紹介しただけ。お会計は出さないよ」--あははは。そう言えば29年前のこの日、私は生まれて初めて「お父さん」になったのだった。

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香りと色

近所の道路の植え込みにローズマリーが植えてある。横を通ればいつも、柔らかな枝(茎?)を30センチほど素手でしごく。なんともいい香りだ。で、ここのところ、そのローズマリーが鮮やかに青く、小さな花をつけている。花が取れては申し訳ないので、しごくのを躊躇する。手にかぐわしい香りはつかないけれど、そのぶん目を存分に楽しませてくれている。他の植物でブルーの花はなかなか見られないだけに、ローズマリーのグリーンの葉の中にところどころに咲くブルーの花は格別だと思う。

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何で事後報告?

密蔵院の住職のブログはどういうわけだか、事後報告が多い。「なーんだ。そんなことやったのなら、行きたかったのにィ」と皮肉られることも少なくない。ぐははは。・・・ということで、昨日は「ココロを清めるお寺のヨーガ in密蔵院」。美人でスタイルも性格も抜群な丸茂麿(マルモ マロ。これ本名なんです。私とはご詠歌仲間)さんのヨガ教室と「無力感と不安とどう向き合うか」というワークショップ。私も30分の法話の時間をいただいて、彼女の生徒さんたちを中心に新年会付きの楽しい催し。30人の若者(時々?)と一緒の楽しい宴でございました。終了後には、参加者にお手伝いいただいて今日の法事のための本堂の椅子並べ、客殿のセッティング、トイレ掃除までしてくれて「お寺を使うのならそれまでやるべし!」という模範的催しでございました。残念ながら、定員がアッという間に一杯になってしまったので、いたしかたなく事後報告ということに相成(あいな)りました。うははは。 次に皆さんに参加していただけるのは、1月29日の「写仏の会」と、2月3日午後4時スタートの「ハチャハチャ豆まき」であります。お時間がありましたらおでかけください。

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再確認のためのリセット

今日は今年初めての「読経の庭」。初参加の方が三人。遠いところを厚木からご参加の方もいらっしゃった。慣れないお経ゆえ、勤行の順番がどうしてそうなっているのか説明しながら進めた。だから、普通は20分で終るところを45分もかかった。うははは。すんません。分かっている方にとって、余計な説明は無いほうが集中できるのだが、「なぜこのお経を唱えているのか」の再確認を時々しておかないと、惰性でお経を読むことになってしまう。それではもったいない。年頭に当たって、何気なくやっていることの意義をこうして再確認することもいいだろう。

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