力及ばぬところをなんとか一つ・・・

密蔵院の檀家総参加の護摩法要は明日。神仏に頼らず自分の力だけで生きていくと豪語する人もいるだろう。しかし、多くの人は、自分の力だけですべてがどうにかなるものでないことを知っている。自分では精一杯努力はするけれど、力の及ばなぬところを、人知を越えた自然とか、縁とかナニモノかに少し手伝ってもらおうと考える。その力を護摩札に取り込む。護摩(原語は梵語のホーマ)は「火に木をくべて所願成就を祈る儀式」だ。焚いている坊さんは火を目の前にして、仏様と感応しやすい儀式の一つだと思う。一般の方は後ろからしか見ることができない。お気の毒だと、いつも思う。

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コメント
 
 
 
代表者 (しみず)
2014-01-20 07:07:13
そうですね。行者がみなさんの願い事をご本尊様にお願いする代表者として登壇するのですから、責任重大ですね。考えてみれば、皆で炎の前で供物を投じてお願い事をするという形で発展しなかったのは何故でしょうか?護摩修行の炎に檀信徒さんがあたる寺に人気があるので、疑問に思います。
 
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