迷惑かどうかは相手が決めること

昨日の「法話の辻」には、新しい方が四人いらっしゃって、楽しい時間でした。明後日は「写仏の庭」であります。

さて、昨日の続きである。「迷惑」ならばわかるのだ。「(人を)迷い、惑わせる」と書くのだから。しかし、「面倒」がわからない。家内が言ったように「面(つら)をはり倒されるくらい嫌なこと」ではしっくり来ない。わはははは。で、調べてみなら、やはり「面倒」は当て字で、もとは漢字を使わない昔からの言葉が変化したもののようだ。最近この「面倒だ」を「面倒臭い」と「クサイ」をつけて言う人が多くなったと聞いた。この場合の「クサイ」は、「アホ臭い」「バカ臭い」と同じように、その語の意味を強調する言葉だ。なるべくなら「くさい」はつけないで、普通に話したいと思う。ちなみに「人に面倒をかける」「迷惑をかける」ことをとても気にする方がいる。しかし、「面倒」であり「迷惑」かを判断するのは、相手であって本人が決められる問題ではない。お年寄りから「迷惑をかけてすみませんね」と言われたら、「迷惑かどうかは私が決める問題ですからね。私はちっとも迷惑じゃないし、面倒をかけられてるなんて思ってませんよ」と答えることにしている。

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Unknown (しみず)
2014-01-28 06:13:24
そうですね。迷惑かどうかは相手が決めることですね。こちらが迷惑をかけていないと思っていても相手が迷惑と思っている場合もある。どちらにしてもこの世の中は人に迷惑かけないと生きて行けないですよね。
 
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