平治の乱で幽閉されていた二条天皇が六波羅、後白河法皇が仁和寺に入り、
天皇親政派の武家が一斉に離脱すると、源氏軍の軍勢は半分以下に減りました。
義朝勢は一か八かの戦いを挑み、六波羅館に突入しますが、
膨張する平家軍に撃退され、義朝の野望はここに潰え去りました。
義朝は死に物狂いでなおも戦おうとしますが、乳母子の鎌田兵衛正清は
「源氏の棟梁たるものがいたずらに死に急いではなりません。」と懸命に説得し、
賀茂川の河原を北へ北へと逃れていきます。
平治元年(1159)12月下旬のことです。
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『平治物語』によると、六波羅を攻撃した源氏勢を僅か二十余騎としています。
これに徒歩の武者を加えても五、六十人ほどです。
五条河原に陣を布いて中立を保っていた源頼政勢が三百余騎といいますから、
何とも少ない数です。頼政の煮え切らない態度に怒った悪源太義平が
戦いを挑んだため、頼政は結局、平家方につき、味方の武士は
次々と命を落とし、またある者は手傷を負い戦場を逃れていきました。
平家の追い討ちを受けながら、義朝は賀茂川を遡り、
高野川沿いに大原へ向かい、龍華越えをして近江に抜けようとします。
源氏の郎等たちは、命がけで敵を防ぎ、主君を落とそうとします。
この時従う者は、義朝の長男悪源太義平、次男中宮大夫進朝長、
三男右兵衛佐頼朝、叔父の陸奥六郎源義隆、佐渡式部太夫源重成、
平賀四郎義宣(よしのぶ)、乳母子鎌田兵衛正清、金王丸の以上八騎、
それに波多野二郎義通、三浦荒二郎義澄、斉藤別当実盛、岡部六弥太忠澄、
猪俣小平六範綱、熊谷二郎直実、平山武者所季重、足立右馬允(うまのじょう)遠元、
金子十郎家忠、上総介八郎広常をはじめとして20余人です。
金王丸は義朝が尾張国の野間内海で謀殺されると、
都に戻りその死を常盤御前に報告する義朝の寵童です。
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河原町通今出川の北辺りを昔は「大原口」といい、
京都七口の一つに数えられましたが、京福電鉄「出町柳」駅が
付近に設置されると、出町とよばれるようになりました。
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上京区寺町今出川通り東北角には、「大原口」の道標がたち、傍には「東西南北」の
方角とともに目的地名が距離とともに示された石造道標があります
北へ行けば大原から若狭への若狭街道(鯖街道)です。
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出町柳の賀茂大橋で鴨川に合流する高野(たかの)川、
春にはその堤防沿いに桜並木が続きます。
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出町を流れる高野川
義朝主従はこの川沿いを北へと逃れました。
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藤原信頼・源義朝が戦いに負け、大原口に落ちのびたとの噂に、比叡山西塔の
僧兵らが落ち武者狩りをしようと八瀬の千束(ちづ)が崖で待ち構えていました。
落ち武者の鎧兜を剥ぎとり、とどめをさしてやろうとというわけです。
義朝はこのことを聞き「六波羅で討死にしようというのを、
正清がつまらぬことを申すのでここまで落ち延びて来たが、
延暦寺の僧兵などの手にかかって、討ち死にすることは口惜しい。」と嘆くと、
供の斉藤別当実盛が機転を利かせ、「信頼殿・義朝殿は六波羅で討死なさった。
ここにいるのは、諸国から駆り集められた仮武者に過ぎず、
故郷へ落ちのびようとしている名もない武者ばかりだ。無駄な殺生はするな。
武具が欲しいなら差し上げよう。」と言って群がる僧兵の中に兜を投げ込み、
僧兵がそれを奪い合っている隙に、義朝主従はその場を脱出しました。
あわてて追いかける敵に実盛は、弓をあてがい「義朝の郎党、武蔵国の斎藤別当実盛」と
名乗りをあげて取って返せば、僧兵の中には弓矢取りは一人もおらず
かなわないと思ったのか、撤退していきました。
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叡山電車八瀬比叡山口駅から碊(かけ)観音寺へ向かいます。
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この峠道(367号線)は若狭街道とよばれ、昔、落人がよく通る間道でした。
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「がけの坂峠」にあることから、かけ観音寺と称されたという。
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「源義朝鏃遺蹟 碊観世音」と彫られています。
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真言宗泉涌寺派に属する真山碊(かけ)観音寺本堂
碊観音寺には、比叡山の僧兵の襲撃に遭った義朝が、石に鏃(やじり)で
1体の観音像を刻み、源家再興を祈願したと伝える観音像が祀られています。
この像は秘仏とされ非公開となっています。
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碊大弁財天女堂
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当山鎮守 碊大龍王
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水子地蔵尊
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念仏堂
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碊観音寺近く、高野川に架かる駒飛(こまとび)橋の下にある巨石は、
義朝駒飛石といわれ、敗走途中の義朝が馬に乗ったまま飛び越えた石と伝えられています。
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斉藤実盛が比叡山の僧兵の中に兜を投げ入れた場所は「甲ヶ淵」と呼ばれていましたが、
昭和10年(1935)6月28日の大洪水でこの淵はなくなりました。(「拝観パンフレット」)
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甲ヶ淵は駒飛橋のもう少し上流にあったが、今は埋め立てられ、
アーバンコンフォートが建っていると土地の古老に教えていただきました。
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アーバンコンフォート(京都市左京区八瀬野瀬町)
金王八幡宮(源義朝の童渋谷金王丸) 源義朝敗走(龍華越・途中越)
『アクセス』
「碊観音寺」叡山電鉄「八瀬比叡山口」駅から367号線を北へ約600㍍
京都バス「八瀬甲ヶ渕」下車 約2分
『参考資料』
日本古典文学大系「保元物語 平治物語」岩波書店、昭和48年
元木泰雄「保元・平治の乱を読みなおす」NHKブックス、2004年
竹村俊則「鴨川周辺の史跡を歩く」京都新聞社、平成8年
「義経ハンドブック」京都新聞出版センター、2005年
水原一「保元・平治物語の世界」日本放送出版協会、昭和54年
日本の絵巻12「平治物語絵詞」中央公論社、1994年