平家物語・義経伝説の史跡を巡る
清盛や義経、義仲が歩いた道を辿っています
 




大阪市難波から南海電車高野線に乗り、
終点の極楽駅でケーブルに乗り換えます。


山上の高野山駅から南海りんかんバスに乗ります。

千手院橋の交差点、千手院橋でバスを下りました。

この奥に高野山の壇上伽藍があります。

前回まで清盛の五男重衡の物語を読んできました。
もう一人敗者の道をたどる人物がいます。
重盛(清盛の嫡男)の長男維盛です。
『平家物語』では、維盛を平家一門の嫡流として描いていますが、
重盛、清盛が亡くなるとその立場は大きく変化します。
一門の実権は、時子の生んだ子供達に移り、
宗盛が平家の総帥として采配を振るうことになりました。

重盛の母は高階(たかしな)基章の娘とされ、
重盛の弟、宗盛、知盛、重衡らの母は清盛の後妻時子です。
時子は妹の建春門院(平滋子)が後白河法皇の寵愛を受け、
高倉天皇を生んだことや、娘徳子(建礼門院)
が高倉天皇に入内し、
皇子を出産したことなどから、彼女に連なる人々が発言力を強めていきます。
一方、重盛は平家打倒を企てた藤原成親の妹を妻にし、成親の娘を維盛の
妻とするなど成親と深い姻戚関係で結ばれていたため、
陰謀が発覚すると小松家(重盛一族)の立場は非常に悪くなり、
政治的な発言権が弱まったと思われます。

後白河法皇と清盛との間をとりもっていた建春門院が亡くなり、
一門の中で最も法皇に近い立場にあった重盛が病没すると、かろうじて
保たれていたバランスが崩れ、後白河法皇と清盛の対立が深まります。
そして諸国の源氏が蜂起し、諸国に内乱状態が広がると伊豆の頼朝も挙兵、
朝廷はこの反乱を鎮圧しようと、維盛を追討軍の大将軍に任命します。
出陣する維盛の武者姿は、絵にも描けぬ美しさだったと平家物語は伝えています。
頼朝追討軍は東国に向かい、富士川で源氏の数万の大軍と対陣しましたが、
水鳥の羽音に驚きほとんど戦わずして逃げ帰ります。その翌年には
清盛が亡くなり、
次いで北陸から迫る木曽義仲を討つべく追討軍を率いる
大将軍も維盛でしたが、倶利伽羅峠の戦いで義仲の策略にまんまとはまり、
大敗北し大打撃を平氏側に与えました。
二度までの惨敗を喫したことが、彼の立場を一層苦しくしたに違いありません。
そればかりでなく重盛が平治の乱の時、頼朝に情をかけたということがあって、
一門の人々から頼朝に心を通わせているのではないかと不信の目で見られ、
一門の中で維盛の存在はあやういものになっていきました。

都落ちの際、ほとんどが妻子を連れて逃れましたが、維盛は家族を
伴いませんでした。妻が平家に叛旗を翻し清盛に殺された成親の娘ということで、
辛い思いをすることになるのではないかと、すがる妻子をなだめ、
自身は平家の将来に絶望しながらも一門に従い九州へと落ちていきます。
しかし、都に妻子を残したことが宗盛らの不信感を一層つのらせることになります。
九州にも安住の地がなく、大宰府から屋島に向かう豊前柳ヶ浦の船上で、
弟の清経が海に身を投げ、維盛が体調を悪くし参戦しなかった
一の谷合戦では、やはり弟の師盛が戦死しました。
6人の兄弟(資盛・清経・有盛・忠房・師盛)のうち2人を相次いで失い、
維盛の衝撃は大きかったと思われます。

そしてある日の明け方、維盛は屋島の陣を抜け出ます。
都に残した妻や幼い子供達に
もう一度会いたいという切なる思いからでした。
一門における小松家の微妙な立場に加え、弟たちの死、
大将軍として出陣した富士川合戦、倶利伽羅合戦と重要な戦いに負け続け、
平家は都落ちしなければならなくなりました。
一ノ谷合戦にも加わらず、一門からますます孤立したことでしょう。
それらがないまぜになって維盛を一門から離脱させる要因となったと考えられます。

乳母子の与三兵衛重景と童の石童丸、それに舟を漕ぐ心得のある 武里を供に
阿波国結城の浦から船出し、鳴門海峡を渡り紀伊の港(和歌山市)に着きました。
そこからすぐにも都に向かいたいのですが、「重衡が生捕りにされて
都に生き恥をさらしたばかりなのに、自分まで敵に捕えられて
汚名を重ねるのも心苦しい」と思い直し高野山に登りました。
そこで昔、父の重盛に仕えていた斎藤滝口入道時頼に会いました。
維盛の脱走は、当然裏切り行為として怪しまれ、昔、池禅尼と共に
重盛がとりなして頼朝を助けたという縁で、維盛は一門を裏切り
頼朝を頼るのではないかと疑われます。

与三兵衛重景(しげかげ)は父の景康も重盛の乳母子で、親子二代乳母子という
固い絆で結ばれていました。平治の乱で重盛が悪源太義平と戦った際、
景康が重盛をかばって討死し、その時、まだ2才であった重景を重盛が育て
その子に自分の名の一字をつけて「重景」と名乗らせました。

高野山清浄心院(滝口入道・維盛出家)  
平維盛入水(浜の宮王子跡・振分石)  
平維盛那智沖で入水(山成島)  
平維盛供養塔(補陀洛山寺)  
『アクセス』
「高野山」
和歌山県高野町高野山132
開門時間 8時半~17時 
大阪難波駅から南海電鉄高野線で極楽橋駅下車。ケーブルに乗り継いで高野山駅へ。
高野山駅から南海りんかんバス11分 金剛峯寺前下車徒歩すぐ
『参考資料』

「平家物語」(下)角川ソフィア文庫 新潮日本古典集成「平家物語」(下)新潮社
上横手雅敬「平家物語の虚構と真実」(上)塙新書 安田元久「平家の群像」塙新書
高橋昌明「平家の群像」岩波新書 水原一「平家物語の世界」(下)日本放送出版協会
 村井康彦「平家物語の世界」徳間書店 

 

 



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