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形だけは総大将として扱われても… (yukariko)
2014-06-18 11:23:57
本来は嫡流でも宮廷に力を持つ時子系の一族に比べ傍系となり、苦しい立場が続く重盛系にとって維盛は希望の星でしょうね。
でも当人にすれば、戦などした事がなく一門の総大将として担がれ敗戦続き、立場は悪くなる一方で最も頼みとする兄弟たちも続いて戦死、良かれと思ってした事も一門から非難され、疑われては、その心は厭世観で一杯でしょう。

一目妻子に会ってその上は…戦死が無理ならと出家して逃げ出したい気持でしょうが、滅びゆく平家の気分がここにも出ていますね。

高野山はこの時代にも避難所的存在だったのでしょうか?
都からも遠く、延暦寺や奈良の興福寺などのように朝廷の勢力とも結ばない分、力も及ばさせない宗教的な結界を持っていたのでしょうか?



 
 
 
後に信長が高野山を弾圧していますが (sakura)
2014-06-19 09:00:54
高野山は戦国時代になると、戦国武将なみの武力を持つようになり、
織田信長や豊臣秀吉から兵を差し向けられたこともありました。

しかし当時は、高野山の寺領は朝廷も無断で立ち入ることができない領域で、
平家物語では、神秘的な霊力の宿る地として描いています。
喜界が島で亡くなった俊寛の遺骨は、弟子の有王によって高野山に納められ、
平家一門都落ちの際には、肥後守貞能が主君重盛の骨を掘りだして高野山に送りました。
また重衡の遺骸は妻に返されて火葬にされ、骨は高野山に送られています。
高野山は死者が永遠の眠りにつく地という考えが平家物語にはあるようです。
 
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