風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

地政学と地経学

2018-08-03 23:51:51 | 時事放談
 数日前の日経(本社コメンテーター中山淳史氏)によると、ワシントンで最近広がり始めた言葉に「ジオテクノロジー(Geo Technology=技術の地政学)」なるものがあるそうだ。地理的環境と政治的リスクの関係を考えるのが通常「地政学」で、ジオテクノロジーは技術をどの国に投下しているかで企業へのリスクが大きく変わり始めたため、地球視野でそれを精査し、リスクを最小化させること・・・なのだそうだ。なんだかよく分からない説明だが、きっかけは中国通信機器大手・中興通訊(ZTE)に対する米国政府による制裁だと聞くと、なんとなく分からないではない。しかし、地球視野と言っても、問題は中国一国が相手ではないのか。中国という特殊な国を巡る議論を一般化することにはやや違和感を禁じ得ないし、最近、軽々しく「地政学リスク」なる言葉を乱発する経済・金融アナリストが多いだけに、やれやれと辟易してしまうところがある。
 ナチス・ドイツの生存圏についての理論的支柱となったとされるカール・ハウスホーファー氏は、ミュンヘン一揆で収監中のヒトラーが「それら(地政学)の概念を理解していないし、理解するための正しい展望も持ち合わせていないという印象を受けたし、そう確信した」と言うが、第二次世界大戦期を通じて連合国の間では、ハウスホーファー氏がヒトラーの侵略政策に大きな影響を与えたという見方が広まったせいだろうか、理由ははっきりしないが、敗戦後の1946年に奥様とヒ素を飲んで服毒自殺を図った(その際、氏はヒ素では死にきれず、割腹自殺に切り替えて死去)という(このあたりWikipedia)。さらに氏は、ヨーロッパにおけるドイツの役割を日本に与えた(つまり日本の生存圏としての大東亜共栄圏あるいはそれに近い構想について示唆した)とされる「太平洋の地政学」を著したものだから、戦後日本では「地政学」なる用語が頗る評判がよろしくない。私が学生時代の頃になって、ようやく地政学に関する本が出たが、タイトルは怪しげな「悪の論理」(倉前盛通著)というものだった(苦笑)。当時はそういう雰囲気を残していたのか、噂される来歴から出版社側が敢えて受けを狙ったのか。著者は亜細亜大学教授で、内容はそれほどおどろおどろしいものではなく、私は友人の下宿の書棚で見つけて貪り読んで、その後、古本屋で「太平洋の地政学」を見つけて購入したし(残念ながら引越しのときに捨ててしまった・・・大後悔)、マッキンダーやマハンの翻訳本は初版のものが今も手元に残っている。
 最近、Ambassador Robert D. Blackwill氏が”War by Other Means: Geoeconomics and Statecraft”なる著作をものしたのを聞いて、次は「地経学」かと(既にジオエコノミクスという用語を使った御立尚資さんとイアン・ブレマーの本は出ているが)やや苦々しい思いで斜に構えていたが、その定義がThe use of economic instruments to promote and defend national interests and to produce beneficial geopolitical results(経済的手段を使って地政学的目的を追求すること)だと聞いて、また先日、ご本人のお話を伺う機会があって、なるほど、戦争ができなくなった現代にあっては経済かと、ちょっと見直したのだった。中国が、軍事的対決は回避しつつ、陰に陽に経済力(一帯一路はその有力なツールの一つだ)を行使して政治的圧力をかける様子、とりわけ最近「シャープパワー」と形容される新たな局面は、まさに「地経学」とでも言うべきものだろう。Blackwill氏は、アメリカには一貫した対策がとれておらず、その準備も出来ていないと批判される。何しろ、あれほどの(中国の)富を一つの政府がコントロールするのは今だかつてなかったことだ、と慨嘆されたのを聞いて、なるほど・・・と唸ってしまった。
 戦後、「地政学」なる言葉が復権したのはキッシンジャー博士のお陰と言われるが、「技術の地政学」はともかく、「地政学」にしても「地経学」にしても、戦略的思考を鍛え、より理解を深める枠組みを提供するのだとすれば大いに歓迎したいところで、ちょっと注目している(この際、「技術の地政学」は「地経学」に包含されるべきではないだろうか)。

注)本編は同じタイトルで大幅に書き直しました
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