風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

京都ぎらい・続

2016-04-08 01:52:50 | 日々の生活
 前回は国家内の地理的、歴史的な境界認識について徒然なるまま書き綴ったが、今回は国家レベルの縄張り、つまり国境のありようについて、少し考えてみたい。
 古来、日本人は日本列島に住み、それがそのまま近代に至り日本列島=日本国、つまり国境を形成したという意味では、珍しくも幸せな国と言ってもよいのだろう。日本人にとって国境は日本列島そのもの(あるいは近代海洋法によれば沿岸から12海里まで)と、太古から現代に至るまで固定的である。幸せだという意味は、大陸のいずれかに位置する国と比較すればよく分かる。他国と地続きで国境を接していれば、国家間の抗争とともに国境線が引き直され、古代から原形を留めることなど難しい。
 そんな確固たる国境観をもつ日本人にとって、中東のアラブ地域で、ちょうど100年前の第一次世界大戦中、英・仏・露の間でオスマン帝国領の分割を約した秘密協定(サイクス・ピコ協定)によって、なんと国境が人為的に引かれたものであること、またそれがために、強権的な独裁政権であればこそ、人為的であろうが国境線の枠内で何とか国民を統合し国民国家を形成・維持し得たが、アラブの春によって独裁政権が崩壊すると、国家という枠組みが俄かに溶け出し、地域が不安定化している状況は、なかなか理解し難いものがあろう。
 アラブ社会は今も部族社会と言われるのはその所以であろう。佐々木良昭氏によると、部族とは同一の出自や歴史的な背景、同じ言語や文化を持つ集団のことで、規模は大小さまざまで、いくつもの国境をまたいで生活するものもあり、最も大きな部族の一つであるシャンマリー族ともなれば、イラク、シリア、サウジアラビア、クウェートにまで広がっていると言う。また、イラク部族評議会事務局長のヤヒヤ・サンボル氏によると、部族は独自の法と秩序を持ってメンバーを守る役割を担っており、言わば社会の土台であって、国家が強い時には部族の役割は弱くなり、社会の秩序や公正は国家機関によって維持され、人々も国家に頼るようになるが、国家の法が公正を欠くようになれば人々は部族の法に頼るようになり、国家が分裂すると人々は部族に庇護を求めるものだと言う。
 昨今話題のISはサイクス・ピコ協定に怒りを抱き、それが、カリフ国を主張して武装闘争を続ける一つの動機になっていると言われる。アラブ地域における統治構造は、今も昔も変わらず、アラブの春によって長年続いた強権的な独裁体制が崩れ、国家が破綻したところに、強権的なISが部族の忠誠を集めていると考えると分かりやすい。
 地域が不安定という意味では、東アジアも同様である。中東では国境に正当性なく意味をなさないのに対し、東アジアの不安定要因はひとえに中華帝国に国境の観念がないことにある。学生時代の世界史の教科書や副読本を思い出せば分かるように、所謂中国4000年の歴史は、中原という場を巡る漢民族と満州民族や蒙古民族などとの興亡の歴史であり、中華帝国の領土は常に動いており、近代的な意味での国境線は意識されておらず、中原を中心に支配が及ぶ地域が中華帝国と認識されていたに過ぎないようだ。昨今、南シナ海において、岩礁だろうが埋め立てて我が物にして恬として恥じないのは、そもそも国境の観念なく(あるいは支配が及ぶ限りは自らの領域と考える中国的な縄張り意識)、リーマンショックで打撃を受けた欧米を尻目に、かつての小平の「養光韜晦」路線を捨てて大国意識に目覚めた中国独自の行動原理によるものと理解されよう。
 西欧のように革命で血を流しながらも国民を統合し国民国家を建設する歴史を経ていればこそ、民主化も国境で囲まれた物理的な領域としての国家の枠組みも強固なものたり得るのだが、そんな歴史を持たない中東や東アジアでは、国家という枠組みそのものが流動的で地域が不安定になるということなのだろう。地理的、歴史的、さらには文化的な要因というのは、それほど簡単に覆るものではないということのようだ。
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