風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

鉄の女の涙

2012-05-03 11:53:43 | たまに文学・歴史・芸術も
 「鬼の目にも涙」とは言いますが、「鉄の女の涙(原題:The Iron Lady)」などと、原題にない「涙」という言葉を加えた意図は何だろう・・・とつらつら思います。マーガレット・サッチャー女史が、2002年頃から認知症がひどくなり、公式の場に出ることを控えるよう医師からアドバイスされていたことが、娘さんの回顧録で明らかになり、イギリス社会に少なからぬ衝撃を与えたのは、4年ほど前のことでした。当時のロイター記事によると、2003年に夫が他界したことすらもたびたび忘れ、そのたびに悲しい事実を説明しなければならなかったことが娘さんにとって最も辛かったと述べています。その回顧録をもとに制作された映画「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を、アメリカ出張から戻るJAL機内で見ました。
 イギリスはもとより西洋社会で初の女性首相となったサッチャー女史も現在86歳だそうです。現役時代(1980年代)の彼女について、実はナマの記憶が余りないのですが、私が敬愛する大学の教授が単独インタビューで、彼女の新自由主義的な経済政策のことを「所謂サッチャリズム」と呼んだのに対して、「ソーシャリズムなんかじゃない!」と凄い剣幕だったことは、今もなおありありと懐かしく思い出します。一国(しかも大英帝国のなれの果て)の宰相を相手にするのですから、英語は上手いに越したことはありませんが、英語を母国語としない一介の東洋人学者の拙い英語(一応ハーバード大学に留学したことがあるのですが)に対しても情け容赦ないあたりは、さすが「鉄の女」と呼ばれるだけあって激しい性格だと、妙なところで感心したものでした(そもそも彼女の経済政策を社会主義的などと評する学者がいるとは到底想像できませんので、せめて英語を聞き直すくらいの余裕があっても良かっただろうにと思いますが・・・)。
 そのサッチャー女史は、首相時代、国有企業の民営化や規制緩和を断行し、当時、長らく労働党政権下でイギリス病と呼ばれた国際競争力の低下と経済の停滞を克服しようと奮闘し、それなりに成功したように思いますし、レーガン大統領のレーガノミックスと併せて、アングロサクソン的な市場原理主義は、共産主義体制を崩壊に導くボディブロー以上の効果があったと思いますが、失業率は下がらず、経済格差はむしろ広がり、昨今の新自由主義批判の風潮の中ではなおのこと毀誉褒貶が激しい政治家です。いずれの評価に傾くにしても、その後のメージャー政権はともかく次の労働党ブレア政権を通して、サッチャー女史の基本路線を踏襲しつつ是正措置を講じる「第三の道」を歩ませることになったという意味で、影響力ある歴史的な政治家だったことは確かだと思います。
 この映画は、認知症を患う現在のサッチャー女史が当時との間を行き来しながら半生を振り返る展開ですが、歴史的偉業を支える裏面史とも言うべき内面が切々と綴られるのかと思いきや、専業主婦にはなれないと宣言して政治家を志しつつも家庭の主婦でもあろうとし続けたという意外な一面はあったものの、正直なところ、なるほどと唸らせるようなスリルは感じませんでした。ただメリル・ストリープの迫真の演技は素晴らしく、存在感が圧倒的でした。一言で総括するならば、メリル・ストリープの貫録勝ち、といったところでしょうか。惜しむらくは、JAL機内の映画は字幕ではなく吹き替えになっていて、吹き替えが下手とは言いませんが、原作の面白みを相当奪っていることは間違いありません。昨年、NYからの帰国便で見た国王ジョージ6世の成長物語「英国王のスピーチ」の吹き替えに至っては、折角のどもりの演技が台無しでした。いやしくも“国際”線を運航するJALには、機内食に和食を出してくれるのは嬉しいですが、映画の吹き替えは是非とも善処して頂きたいと思います。
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