風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

浮世絵の魅力

2014-11-02 22:32:08 | たまに文学・歴史・芸術も
 浮世絵や狩野派・琳派などの所謂「やまと絵」が西洋絵画に影響を与えたことは知られます。それは、世界史上、ほとんど初めてと言ってもいい、日本という東洋の果てで独特の進化を遂げた神秘の島国が、幕末・明治維新の頃に西洋と相まみえた頃に当たり、単なる異国趣味(ジャポネズリー)を超えて、ジャポニズムと呼ばれています。
 きっかけは、フランスの版画家・陶芸家であり画家でもあったフェリックス・ブラックモン(1833~1914)が、摺師ドラートルの工房で輸出磁器の梱包に使われていた「北斎漫画」を見て感動し、やがて入手した後、友達に自慢してまわったのが発端だと言われます(1856~57年頃)。私がシドニーに住んでいた頃、ある美術館でユニークな企画展があり、有名な印象派画家の作品と、彼らにヒントを与えたと言われる浮世絵を並べて展示していたのを見て、確かに影響力が小さくないことは知っていましたが、どれほど大きいものかは想像の外でした。
 最近、城一夫さんの講演で聞いた話を紹介します。
 当時の西洋絵画は、19世紀初頭、ギリシャやローマの美術を規範とする様式的で拡張高い新古典主義と、その反動として19世紀中ばに現れた写実主義に影響されていたようです。新古典主義と言えば、ナポレオンの時代でもあり、ギリシャ神話、騎士道伝説、キリスト教説話、英雄物語などの限定された主題で、男性的で立体的でボリューム感のある絵画が追求されました。シンメトリーの構図、重厚な形態と色彩の表現が重視されました。それに対し、クールベに代表される写実主義は、日常生活や風景、社会的事件を主題に、対象を「見たとおり」に描き、光と影(“影”よりも“陰”の方が正確なような気がしますが)によって対象物の立体感を表現し、遠近法を用いることによって空間を立体的に把握する技法を発達させました。しかし、絵の具を重ね塗りすることで、減法混色(色を表現する方法のひとつで、シアン、マゼンタ、イエローの混合によって色彩を表現する方法で、これら3色は色を重ねるごとに暗くなり、3色を等量で混ぜ合わせると黒色になる)によって、画面から明るさが喪失して行きました。クールベは「陰から描きなさい」とまで言い、写実主義を標榜しながら、実際の明るさが消失したのです。
 こうした状況下でもたらされた日本の浮世絵は、先ずはモチーフが自由でユニークなことで西洋画家に衝撃を与えました。役者絵を主題とした浮世絵は、ロートレックやドガに影響を与え、世紀末のムーランルージュの歌手やダンサーを、また踊り子たちの練習風景を絵にして世に広めました。北斎漫画は、様々な職業の人々や動物の闊達な表現で人々を魅了し、それまでの西洋絵画には少なかった猫などの小動物が主題として登場します。また、富嶽三十六景のように、一つの対象物を時間の推移に応じて、また異なる角度から連続的に描く連作は、それまでの西洋絵画の伝統にないものであり、以後、モネはルーアン聖堂を33点、積藁を25点、睡蓮に至っては200点以上も描き、セザンヌはサン・ヴィクトワール山を87点もものしました。版画家アンリ・リヴィエールに至っては「エッフェル塔三十六景」と数を合わせてもいます。
 次に、むしろモチーフ以上に斬新だったと私が思うのは、カタチを表現する技法です。西洋絵画は「見たとおり」に描くことをテーゼとするがため、光と影(陰)によって対象物の立体感やヴォリュームを表現するのが当たり前で、浮世絵のように、陰影の縁を輪郭線で括り、形を表現するのは革新的なことでした。また西洋絵画は、あるがままの奥行き(背景)を克明に描くことにより空間性を確保するわけですが、「やまと絵」のように背景を描かずに(あるいは金箔を貼って)無地にして、あるいは遠近法を無視して、平面的に描くことにより、却って主題を強調する手法には思いも至りませんでした。クリムトが金を背景に使ったのは、1873年のウィーン万博で琳派(俵屋宗達の「伊勢物語色紙」)を見たからだと言われますし、マネの有名な「笛を吹く少年」は背景を無視し、主題を浮き上がらせたものでした。さらに、西洋絵画は対象物と並行の視点をとることが多く、浮世絵の予想外の視点、たとえば俯瞰的な視点や、一つの画面で多角的な視点から対象物を描く手法は斬新で、やがてそれはピカソに繋がりますし、日本絵画に見られる自由な視点に基づいた非対称(アシンメトリー)な構図によって、画面全体に躍動感と何よりも自然らしさを表現する手法もまた斬新で、スーラの「グランドジャット島の日曜日の午後」やドガの「三人の踊り子」などでは、中心をずらせたり、対象を左右の両端で切ることで却って奥行を感じさせる構造になっています。また色彩にしても、日本絵画には光による陰影がなく、鮮やかな色彩によって一様に塗彩され、ゴッホをはじめとする印象派の画家は、日本は陰影もないほど陽光が降りそそぐ南の国だと勘違いし、日本に憧れたのでした。
 以上、長々と再現しましたが、城一夫さんの解説を聞いて気が付いたのは、私たちにとって当たり前の「漫画」という表現形式、つまり、光や影(陰)ではなく輪郭線で括って形を表現し、独特の空間上の「間」合いや言葉(擬声語や擬態語)を最大限活用し、これらによって限られた四角い空間に躍動感をもたらすのは、日本固有の表現だったという事実でした。北斎漫画あるいは古くは鳥獣戯画がその元祖だと言われる、今、クール・ジャパンの筆頭に挙げられるマンガやアニメに対する海外での人気は、決して不思議でも何でもなく、一世紀以上前のジャポニズムが現代に続いているものだと言えそうです。日本にいる限りにおいてはとても気付きませんが、他の国と比較して認識させられる日本人の感覚の不思議さを思います。
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