風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

なだ万

2010-05-26 02:23:49 | グルメとして
 先日、横浜グランド・インターコンチネンタル・ホテル4階の「なだ万」で食事をする機会がありました。
 あの「なだ万」です。言わずもがなですが、念のため、オフィシャル・サイトによると、創始者である灘屋萬助の名前に由来し、1830年(天保元年)、大阪で創業とありますから、180年の歴史を誇ります。1871年、“長崎料理を基調とした大阪料理”の店「灘万楼」を開業、明治半ばに、今日のスーパーマーケットの先駆けとなる総合食料品店を開業して、当時の最新商品パンを売り出し、大正年間には、レストランでジャズ演奏を披露し「なだ万ジャズ」と呼ばれたと言いますから、ハイカラだった様子が窺われます。森鴎外や夏目漱石の小説にも登場し、1919年、パリ講和会議で訪欧する全権大使・西園寺公望公の随行料理人に選ばれた縁で、住友本家からイゲタ紋の使用を許可され、1974年に大阪本店を移転した東京・ホテルニューオータニ日本庭園内の「なだ万本店山茶花荘」では、1986年、東京サミット公式晩餐会が時の中曽根首相主催により開催され、レーガン大統領やサッチャー首相をはじめ各国首脳から好評を博す、など、きらびやかな歴史を誇ります。1981年、香港・シャングリラホテルに海外一号店を出店、1993年、新宿・小田急マンハッタンヒルズに寿司・天麩羅・鉄板ステーキのコーナーも備えた総合日本料理店「なだ万賓館」開店、1995年、三越日本橋本店に弁当・惣菜販売の「なだ万厨房」を出店、2000年、赤坂・東急ホテル最上階に国内最大規模・新業態の「スーパーダイニングジパング」開店、など、日本料理の正道を守りながらも常に新たな領域にチャレンジを続けて日本料理界をリードする自負が窺えます。今では国内レストラン26店舗、海外8店舗、ショップ(なだ万厨房)31店舗を数えます。
 横浜のこの店は1995年開業、みなとみらいの一角にあって海を見渡せる絶好のロケーションにあります。この日も、年配の方ばかりでなく若い人ばかりのグループもいて、日本の不況どこ吹く風という盛況ぶり。今の日本経済は、消費不況と言われますが、消費が選別されているだけで、好調・堅調な業態もあり、不況という一般的な言葉で全てを形容するのは相応しくないのかも知れません。
 ロケーションばかりでなく、こうした高級料理店においては、全てにおいて妥協することなく贅を尽くすのが、やはりポイントのようです。
 日本料理において、まずは素材がモノを言うことをあらためて感じます。調理以前に、新鮮で生のままで味が良い(こうした生の味を見分けられるのは私たちの舌が日本料理で培われ鍛えられてきたお陰かも)。そして味付けも一つの方向に流れることなく、さまざまに配合されて微妙で絶妙。一品一品がそれぞれ少量、多品種で、それぞれを満喫させるために満腹感を覚えさせない配慮も嬉しい。盛り付けも、またその料理を盛る皿や器も、美しい。日本の食の文化と芸術の粋を集め、味覚・嗅覚だけでなく視覚をも楽しませる、まさに料理の王道を行く感じです。ただ私レベルには、1万円を越えるコース料理は、もはや見分けが付かないのが残念で、お一人様1万5千円のコース料理は、ちょっと勿体ないと感じてしまう貧乏症でした。
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