風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

サマータイム

2018-09-02 14:00:32 | 日々の生活
 サマータイム制度導入の議論が俄かに沸き起ったが、その経緯が、7月に五輪組織委員会(森喜朗会長)が安倍首相に導入を要請をしたことに始まるというので、反発が広がっているようだ。そもそも五輪大会の競技日程は7月18日に開かれたIOC理事会で決定済みで、基本的にオリンピックの競技時間は、多額の放映権料を支払う米NBCなどTV局の影響を受けてアメリカのテレビ放映時間に配慮されるのは周知の通りなので、東京の酷暑のマラソン・ランナーなどの選手を救うものではなさそうだ。そうすると渋滞緩和などの首都圏のロジスティクス対応なのかと忖度してみるが、何も全国一律で実施するまでもなく、首都圏の企業や学校に指導すればよいことになる。
 今回、真っ先に反応したのは、珍しいことに日経新聞ではなかっただろうか。EUが廃止を検討していることを一面に掲載し、さも日本は時代に逆行しているかのような印象操作(!)を行ったが、システム改訂等が面倒だという経済界の意向を受けたものなのだろう。実際、EUがパブコメ(意見公募)を実施したところ過去最大の460万件以上の回答が集まったといい、関心の高さがうかがわれる。正式な結果はまだ発表されていないが、関係筋によると8割以上がサマータイム廃止を支持しているらしい。欧州委員会も、本来の目的だった省エネ効果はごく僅かであり、体内時計への悪影響により事故が増えたり、心臓発作のリスクが高まったり、などのデメリットを認めているという。まあ、このあたりは昔から言われてきたことで、メリット・デメリットをどう比較衡量するかという話だ。
 私は、実はサマータイムそのもの(考え方)には賛成(と言うより同情的)で、日本で実施することには甚だ懐疑的だ。サマータイムと言えば、私が海外駐在したアメリカやオーストラリアではDST(Daylight Saving Time)と呼ばれる通り、乏しい日照をなんとか確保したいという、高緯度地方の方々の健気な発想だと思う。日曜日の深夜に切り替わったその日にゴルフ・コンペがあると、必ず一人や二人は遅れたり早く到着したりという悲喜劇があったのが懐かしい。金曜日の夕方、ということは、日本は時差の関係で既に週末に入って連絡が来ないと思うと解放感に満ち溢れて、ゴルフをハーフ・ラウンド楽しんだことがあったのも懐かしい。ボストンで過ごした4年間を振り返ると、長い冬の終わりを、仮に肌で感じることがなくても、DSTが始まることで、いよいよ良い季節が到来するのだと心がウキウキしたものだった。明るい内に家族と夕食を囲むのは、気持ちも明るくなる。
 しかし、もともと日照時間を出来るだけ長く楽しみ、夜間の照明時間を短くする節電効果は、LED電球などの技術革新によってさほどではなくなり、むしろ温暖化の影響で、冷房をつける時間が長くなるため、電力需要が増えるというシミュレーションがあるというから、時代は変わったものだ。ニューイングランド地方(ボストンは北緯42度に位置し、パリ48度やロンドン51度ほどではないにせよ、青森40度よりも北になる)のほのかな陽光が降りそそぐ長閑な風景が、上の子が生まれてから4歳になるまでのママゴトのような子育ての時間と相俟って、今となっては懐かしい。
 上の写真は、キャロル・コレットという女流画家のリトグラフ(タイトルはMid-summer Day)。ボストン近郊の街コンコードの小さな画廊で見つけて気に入って買ったもの(その後、銀座の松屋でも売られているのを知ってショックを受ける・・・)
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