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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

今ごろ、中森明菜

2017-07-24 23:00:47 | スポーツ・芸能好き
 前回に続き、シンガポールからの帰国便の機内で「君の名は。」を観終わって、さて、子守唄代わりに聞いた音楽は、高橋真梨子と中森明菜だった。齢をとるにつれ新しい音楽を進んで吸収しなくなったせいもあるが、自分が若い頃のアイドル(ステーヴ・ジョッブズ的な意味合いで・・・ということは要は「歌姫」というアイコン)からはなかなか逃れられるものではない(笑)。
 高橋真梨子は「Dramatic Best ~ドラマ・映画主題歌集~」(2017年5月)からの抜粋で、かつての歌声はともかく比較的最近の楽曲でも変わらぬ調子で、衰えを知らず歌い続ける息の長い彼女の本領発揮は、ある意味で不気味ですらある。一方、中森明菜は「Akina Nakamori〜歌姫ダブル・ディケイド」(2002年12月)からの抜粋で、全編、タンゴやサルサやボサノバ調など、原曲とは別のアレンジになっていて、なかなか聴きごたえがある。この時、明菜はデビュー満20周年で、37歳、Wikipediaをつらつら見ると、この年末に14年振りに紅白歌合戦に出場し、本アルバムのバージョンの「飾りじゃないのよ涙は」を披露したとある。いや、何故わざわざWikipediaを確認したかというと、私にとっての中森明菜は「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」(1985年)あたりで止まっていて、その後の記憶がどうにも思い出せないからだ。実際、このアルバムでは、若い頃の明るく張りのある伸びやかな歌声はナリをひそめて、ちょっと(どころかかなり)疲れているように思うのが、高橋真梨子とは対照的なのだ。酒で喉を潰したのではないかと思われるような低音で、勝手な言い草だが、なんだかその後の人生の不摂生は隠しようがないような感じだ(と言っても、彼女の私生活のことはもとより知らないし興味もない)。しかし、そう切り捨ててしまうのは惜しくて、囁くような歌声は艶っぽいし、当時と比べるべくもない高音だとは言っても、やはり伸びがあって、ノリが良くてパンチが効いている。
 これに関連して、思い出すことがある。
 かつて大森のオフィス・ビルに勤務したことがあって、なにしろ都内勤務では港区が多かったので、物珍しさも手伝って、近隣を飲み歩く内に、一軒のスナックに行き当たった。大森海岸駅のすぐ傍で、ママさん一人で切り盛りする小ぢんまりした店だった。昼に手造りの昼食バッフェをやっていたところに偶々立ち寄ったのがキッカケで、夜も通うようになったのだが、そのママさんがどうやらタダモノではない。長らく銀座にいたが、最近、引き揚げてきたという。何があったか、年齢のせいなのか、多くは語らない。60歳くらい(あるいはもっと若くて50そこそこだったかも知れない、当時、自分よりも年上だったので、今でも自分の歳より上だと思ってしまう)で、さっぱりした化粧ながら、ぱりっと着物を着こなし、ぴんと背筋を伸ばした居ずまいが凛々しい。そのママさんの声も、酒で喉を潰したのか(などと勝手な言い草だが)低音で、人生の酸いも甘いも噛み分けた静かな語り口に迫力があって、それでいて人好きのするタイプでユーモアがあった(客商売だから当然か)。その当時でも二週間に一度は銀座の美容室に通うと豪語していたが、それも含めて全てが本当なのか妄想なのか分からない。仮に事実だとして(多分、間違いないが)、それを落ちぶれたとは思わない。
 暫く明菜をテレビで見ていないが、願わくは明菜には、大森のママさんが着物をぱりっと着こなしていたように、当時のツッパリが歳とったらこうなるといったような、アバズレっぽい乱れた髪型ながらも、ハイヒールと黒っぽいタイツでスリムな脚線美を露わに、何より赤いルージュが似合う女性であって欲しい・・・というのは私の単なる我が儘な願望だけではなく、きっと彼女の矜持でもあって、痩せても枯れても、それでいてこそ明菜の歌には「人生いろいろ」を経て聴かせるだけの魅力があるのだと思った次第である。
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100M10秒の壁

2017-06-26 23:35:26 | スポーツ・芸能好き
 藤井聡太四段が、竜王戦決勝トーナメント1回戦で増田康宏四段に勝ち、公式戦で29連勝の新記録を樹立したというニュースが飛び込んで来た。快進撃はいつまで続くのか・・・しかし今日のブログは、この週末に行われた陸上の世界選手権代表選考会を兼ねた日本選手権で、サニブラウンが100Mに続いて200Mも制し、2003年の末続慎吾以来の2冠を成し遂げた快挙についてである。
 快挙と言いつつ、日本人にとって100M10秒の壁は厚い。今回の決勝では10秒0x台が5人もいて期待させたが、雨が降る悪コンディションの中、優勝したサニブラウンは自己記録を塗り替えるも10秒05、桐生祥秀(自己ベスト10秒01)は4位、山県亮太(自己ベスト10秒03)に至っては6位に終わった。伊東浩司が10秒00を出したのは1998年12月のことで、あれから18年が過ぎ、いまなお日本人は(追い風参考を除き)この記録に並ぶことすら出来ていない。
 私は高校時代に陸上部で中・長距離を専門にやっていたので、ついマラソンのデレク・クレイトンの世界最高記録を想いだす。1969年に出した2時間8分33秒6は、実にその後12年間も破られなかった。1981年に同じ豪州のロバート・ド・キャステラが塗り替えたのも僅か15秒だけだった。しかし一度、その記録が破られるや、その後の7年間で3度更新され、男子マラソンは2時間6分台に突入して驚いたものだった。それが今や、ケニアのデニス・キメットが2014年のベルリンで出した2時間2分57秒が歴代最高で、トップ10までは全て2008年以降の記録で、2時間4分15秒以内である。マラソン・シューズの技術革新が飛躍的に進んだせいもあろうし、その間、ケニアやエチオピアの選手が陸上に専念できる環境が整えられてきたせいもあろうが、閾値を超えたときの(もっと言うと、そのものではない、更に先を見据えた)記録更新の勢いは凄まじい。
 他方、日本人初の100M9秒台に最も近いと言われてきた桐生祥秀が10秒01を出したのは4年前、洛南高校3年生のときだった。当時の鮮烈なデビューをつい昨日のことのように思い出すが、その後4年間、足踏みしているのは、もしかしたら10秒の壁に拘っているせいではないかという気がする。その点、サニブラウンの強さは、その若さ(1999年3月生まれの18歳)やガーナ人のお父ちゃんの血もさることながら、目標を9秒58と言ってのける強気な姿勢にあるように思う。10秒の壁は、その先を見据える彼にあっては、あっさり破られるかも知れない。
 世界選手権の100M代表に選ばれたケンブリッジ飛鳥にはジャマイカ人のお父ちゃんの血が流れている。同じく代表に選ばれた飯塚翔太も、ともにリオ五輪の4x100Mリレー・メンバーだった。また桐生より一学年下の多田修平という伏兵が現れて、代表の座を勝ち取ってしまった。彼は、6月10日に行われた日本学生陸上競技個人選手権大会100m準決勝で、追い風4.5mながら9秒94と、日本国内の競技会で日本人選手として初の9秒台を出して話題になったばかりだ(決勝では自己ベスト10秒08)。桐生もうかうかしていられない。
 男子の陰に隠れてしまっているが、女子でも市川華菜が100Mと200Mの二冠を達成した。絶対女王・福島千里の100M8連覇と200M7連覇をそれぞれ阻止する快挙である。福島千里は長らく女子短距離界を引っ張って来たが、明日が29歳の誕生日で、彼女の時代もそろそろ終わるのだろうか。
 月並みだが実力の世界は厳しいものだ。そう思うにつけ、日の出の勢いとはいえ藤井聡太四段の29連勝の凄さは想像を超えている。
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松山英樹の快挙

2017-06-20 01:20:16 | スポーツ・芸能好き
 男子ゴルフの四大メジャー第二戦・全米オープン最終日、6打差の14位からスタートした松山英樹は8バーディー2ボギーの66と猛チャージをかけ、通算12アンダーの276で2位に入った。1980年の同選手権での青木功さんに並ぶメジャーでの日本勢最高順位だそうである。
 そして何よりも試合後に発表された最新の世界ランキングで自己最高となる2位に浮上し、中嶋常幸さんが1987年に記録した日本人最高位(4位)を30年振りに更新した。
 海外を転戦しているせいかお腹の周りも貫録が出て来たのは気になるが、如何にも勝負師の、しかし爽やかな良い顔になって来たと思う。私がゴルフを始めた学生時代以来、絶対的な存在として君臨してきた青木さんや中島さんに並びあるいは凌駕する若者が出て来たのは一大事であり、私自身ここ数年、ゴルフを断っているだけに、余計にそそられるものがある(笑) それにしても最近はテニスといい卓球といい、球を操る競技で日本人選手が世界の檜舞台で活躍する姿が目立つようになって来たのは喜ばしい限りだ。
 残りのメジャーである、7月20日から始まる全英オープン選手権@ロイヤルバークデールGC(英サウスポート)と、8月10日から始まる全米プロ選手権@クウェイルホロー・クラブ(米ノースカロライナ州シャーロット)が俄然、楽しみになって来た。日本人のメジャー制覇という夢がいよいよ叶うだろうか。
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三代目ボンド死す

2017-05-26 00:55:34 | スポーツ・芸能好き
 二日前のことになるが、英国の映画俳優ロジャー・ムーア氏がスイスの自宅で亡くなった。享年89。
 ご存知、英国の作家イアン・フレミングのスパイ小説を原作とする映画「007」シリーズ主人公ジェームズ・ボンド役の三代目として、1970~80年代にかけて、歴代ボンド役俳優として最多の7作品に出演した。
 折しも英国中部マンチェスターのコンサート会場で自爆テロがあり、22人が死亡、64人が負傷する大惨事となった。ロンドン中心部の首相官邸やバッキンガム宮殿をはじめ、軍から最大3800人の兵士が重要施設の警備などに投入され、バッキンガム宮殿の恒例の衛兵交代行事も中止されたほどだ。ボンドがいれば・・・いや彼は英秘密情報部 (MI6)の工作員で、防諜を担当する保安局(MI5)ではない・・・
 私も若い頃はご多分に漏れず007シリーズ映画が好きでよく観たものだが、余り大きな声で言えないが歴代ボンド役の中ではショーン・コネリーが一番だと思っている(だからと言って選り好みすることなく、シリーズは万遍無く見た)。ロジャー・ムーアの方が実年齢で三歳年上ながら11年も後に出演するようになったので、ボンド役初演の年齢は、ショーン・コネリーが32歳だった(シリーズ第一作「007 ドクター・ノオ」(1962年作品))のに対し、ロジャー・ムーアは46歳だった(シリーズ第八作「007 死ぬのは奴らだ」(1973年作品))。それでもロジャー・ムーアは、派手なアクションに女好きという破天荒なボンド役を演じるには、見るからにシャープな、コテコテの正統派ハンサム過ぎたと思うのだ。世の男どもの嫉妬を買ってしまう(苦笑)。あの役柄では、ちょっとゴリラっぽい(と言っては失礼だが)ショーン・コネリーがよく似合う。
 ところが、晩年のロジャー・ムーアのことは知らなかったが、10年以上も前、ナイトの称号を与えられたときの写真を見ると、もはやボンドを演じていた頃の目の鋭さは消え、つぶらな瞳で満面の笑みを浮かべ、すっかり角が取れた好々爺の風情で、人間にとっての年月の重みというものを感じてしまう。
 こうして青春時代のスターがまた一人、亡くなった。指折り数えるのはなんとも悲しいものだ。夢を与えてくれた氏のご冥福をお祈りして、合掌。
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燃え尽き症候群

2017-04-18 23:26:00 | スポーツ・芸能好き
 暗~い大学受験が終わって晴れてぴかぴかの一年生として、春爛漫の新学期が始まると、やれ健康診断だ、サークル活動の勧誘だ、新歓コンパのハシゴだ、本業の科目選びだ(もっと言うと簡単に単位が取れる科目かどうかといった情報収集だ)と忙しいこともあって、浮足立って気がつかないでいるのだが、ゴールデンウィークが明けて一段落した頃に、さて本格的な大学生活が始まると思いきや、なんとなく(目標)喪失感に襲われて、やる気が出ず、毎日、大学には顔を出すものの講義に出るわけでなし、喫茶店で友人を見つけてはだらだらと喋り、暗くなるとアテもなく飲み歩いて、日々を無駄に過ごしたものだった。所謂「五月病」である。
 今の気分もそれに近い。冬の間、酒も食事も(私なりに)節制して、インフルエンザや風邪にも気を付けながら、せっせと(私なりに)走り込みをして、年寄りの冷や水と揶揄されようが、ちまちまと身体をつくって大会に備えて、緊張していたのだ(私なりに)。いざ日曜日のレースを以て今シーズンが終わった・・・と思ったら、なんだか虚脱感に見舞われて、一気に緊張が解けたのか体調を崩して、季節外れもいいところだが喉を枯らして鼻をずるずるする始末である。「五月病」と言うより「燃え尽き症候群」と呼ぶのが正しそうだ。本来は「一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した結果が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満」(Wikipedia)のことを言うらしいが、そこまで深刻な精神状態ではないにせよ、日本では「部活動を引退する高校3年生、オリンピックや世界大会を終えた日本代表選手などが『それまでの人生最大の目標を終え、打ち込む物が何もなくなった』という虚脱感に襲われること」を「燃え尽き症候群」と称するらしい(同)。遠慮して「ミニ燃え尽き症候群」とでもしておこう。
 マラソンを走るのが趣味かと問われれば、ちょっと違う。好きで走るほど酔狂ではないし、ましてや「マラソン・命」とは程遠い。そもそも練習嫌いだ。なるべく練習しないで、でもなんとか完走したいと思う(きっと同年代の似たような記録の人たちよりも格段に練習量が少ないと思う・・・などと自慢げに思ってしまう)。この程度の練習量でここまで出来る!と瀬踏みするようなところがある。そのココロは何だろう。以前、「身体にキレ」が戻るのが心地良いと書いた。「意地」がないわけではなし、「達成感」もないわけではなし、「マゾヒスティック」でないわけではなし、「ナルシシズム」でないわけではなし、と書いた。そして加齢とともに「健康問題」も絡んでくるが、それはキッカケでしかないような気がする。ということは、つまるところ若さを実感したいだけの、ただの悪あがきか。我が家のヘルスメーターによれば、体重を10キロ以上減らして、体脂肪率12%台、内臓脂肪7、推定年齢38~40を維持しているのを見るのは、自己満足、自己陶酔以外の何物でもない。だからと言って、年がら年中、走るほどマメではないから、いつの間にか春から初秋までは(この歳で暑い中を走るのは危険だと言い訳にして)完全休養にしてしまった。マラソン指南役の同僚からは、春は走り込み、夏はスピード練習、と言われていたにもかかわらず、である。さすがに、BREXITの英国ならぬ「良いとこどり」も、そろそろ限界かも知れない。
 真央ちゃんのように「人生そのもの」と言えるとカッコイイが、もとより私にとって走ることはそんなものでは到底ない。しかし何かしら「ご縁」があるのである。鹿児島で生まれた頃は元気そのものだったのに、3歳で大阪に引っ越してからは(水が合わなかったせいか)病弱になり、健康づくりのためと称して、父親に毎朝、嫌々ながらもジョギングにつき合わされたのが最初だった。中学生の体育の授業では、毎回、最初に3分間走と称して裏山をぐるりと一周走らされ、反抗期でサボる生徒が多い中で、いつもムキになってクラス・トップを争ったまでは可愛げがあるが、高校では陸上部で中距離を専門にし、若い有り余るエネルギーを良からぬことに発散させることなく、清く正しく、さんざん走り疲れたはずだった。スピード練習ばっかりやっていたので、(実際に高校生が5000メートルを全速力で走るよりも速いペースで42キロを走り続ける)マラソンなんて土台無理だと諦めていた。それなのに、アメリカ駐在中、同僚に勧められるまま、フル・マラソンの大会に参加するようになり、15年のブランクの後、今また「燃え尽き症候群」になるまで走ることになろうとは、一体どうしたことか。私にとって走ることは「業」のようなものなのか。
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青梅への道 三たび(4)

2017-04-17 23:16:37 | スポーツ・芸能好き
 青梅マラソンへの道と題しているが、1シーズンに1回くらいはフル・マラソンを走りたくて、長野マラソンにエントリーしていたので、その番外編、長野マラソン編である。
 長野マラソンは、何故4月半ば(今年は4月16日)に行われるのか、行ってみて分かった。東京より一週間から二週間の遅れで、桜が満開なのである。しかも、オリンピックで使用された施設が残り、1万人が参加する大会でも、男女別々の着替えのために収容できるスタジアムや体育館をスタート地点とゴール地点のそれぞれに用意できるくらい恵まれていて、ロジスティクスは実によくオーガナイズされ、全てがスムーズに流れるのだ・・・と、感心している場合ではない。今回は、不覚にも41.1キロ地点の最後の関門に引っ掛かり、フィニッシュ出来なかった。完走メダルも、記念タオルも貰えずじまいで、落ち込んでいる。
 言い訳はいくらでも思いつく。先ず、この地方にしては珍しく気温が高かった。宿泊した温泉宿屋の女将も、異常だと言うくらい、予想最高気温24度(最低気温7度)、私が40キロ手前をよたよた走っていた13時の気温22.3度(長野気象台発表)は、お世辞にもマラソン日和ではない。なかなかスピードが出ないし、10数箇所の給水所のたびに立ち止まり、スポーツ・ドリンクを口に含み、顔や首や手に水をかけるだけでも、時間のロスになる。それから、今回はマメ対策で、1サイズ小さくて、靴ベラがないと履けないくらいぴっちりした靴にしたのだが、これまでとは違う箇所に・・・小指や薬指の爪の周りがマメで膨れてしまって、右足の方は破裂して、またしても痛くて力が入らなくなってしまった。さらに練習不足である。
 思えば今シーズンは、12月の湘南国際マラソンを(ある資格試験の二次試験と重なったために)欠場して、勢いを削がれてしまった。2月の青梅マラソンまでの一ヶ月間に84キロ、この長野までの一ヶ月半の間に125キロの走り込みをやるにはやったが、せいぜいジョギング・ペース(1キロ6分)の身体を作る程度で、毎年、同じ量かやや劣る量の練習しかしないとすれば、加齢とともにキツくなるのは道理だ。甘かったと言わざるを得ない。甘いと言えば、5時間の制限時間のことは気になっていたものの、それぞれの関門の正確な足切りの時間を把握していなかったのも甘かった。40キロ地点で、残り1.1キロ、6分半という掛け声に、我に返って、痛みをこらえて俄かにダッシュしたのだが、時すでに遅く、100メートルほど手前で締め切られてしまった。仮にそのまま完走していたとしても、5時間を切れないペースは、日米通算13回目のフル・マラソンにして初めてで、それだけでもショックなのに、追い討ちをかけるように「記録なし」で、叩きのめされて暫く立ち直れそうにない(とは、ちょっと大袈裟)。なお、決して慰めにならないのだが、この日の男子の出走者8,159名中、完走したのは6,435名(完走率78.9%)、女子の出走者1,504名中、完走者1,089名(完走率72.4%)で、9,700人弱の内、2,100人が完走できなかったのは、ちょっと尋常ではない。
 町興しのためだろう、ゼッケン受け取りは前の晩のみ(当日受付なし)で、遠方からのランナーは前泊する必要があり、この週末、市内の宿屋は大はやりだった。私とかつての同僚が宿泊した隣町の鄙びた温泉宿屋の女将は気さくな方で、帰りに寄っていらっしゃいと言ってくれて、マラソン後の疲れた身体を温泉で癒させてもらった。信州蕎麦も食して、ちょっとした旅行気分で、その限りでは満足だったのだが、帰りの高速では渋滞につかまり、家に辿り着いたのは昨晩11時過ぎ・・・東京から長野はちょっと遠い。そして、何より、来シーズンは、覚悟を決めてもっと練習するか、それともフル・マラソンはもう諦めるか、ちょっとした岐路に立たされているような感じで、いつもにもまして寄る年波という現実を突き付けられて気分が滅入る春の夜である・・・
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真央ちゃん引退

2017-04-14 00:05:58 | スポーツ・芸能好き
 まるで隣近所か親戚の女の子のように親しげに「真央ちゃん」と呼ばれ、愛されたスポーツ選手は今だかつていなかったのではないだろうか。おっとりとした喋りに華奢な身体つきで真摯に技の高みに挑む姿は感動的で、さながら氷上の妖精のように人々を魅了し、キムヨナが技よりも演技力で勝ちを求めたのとは好対照をなして、2010年のバンクーバーでも、2014年のソチでも、オリンピックで勝てなかったときには、日本中の溜息を誘った。
 昨日、行われた記者会見は、NHKを含むテレビ各局で生中継された。NHKが途中で中断したらネットで批判が相次いだらしい。後からニュースをちらっと見ただけだったが、ペンダントやイヤリングや指輪などの貴金属類は一切身に着けず、白のジャケットに黒いスカート姿というシンプルないでたちに、あらためてこの子のこの飾りっ気のなさと素直さが、日本中の誰をもして「守ってあげたい」「何とかしてあげたい」と思わせたのだと、あらためて感じ入った。日経新聞ですら、スポーツ欄や社会欄で特集記事が連日続いた。
 中京大スポーツ科学部の湯浅景元教授によると、「骨盤の広い女性が3回転半を跳ぶのは、男性より2~3割大変。身長が1センチ伸びただけで感覚もずれる」ものらしい。2005年にグランプリ・ファイナルを初制覇した15歳当時、1メートル58だった身長は1メートル63になり、そんな成長期にぎりぎりの技に挑み続けるのは大変なことだったろうと、今さらながら思う。
 以前にも伊藤みどりや八木沼純子や荒川静香や安藤美姫といったヒロインがいたが、真央ちゃんのお陰で、真の意味でフィギュア・スケートが日本でメジャーになった。真央ちゃんに憧れてスケートを始める子供達が増え、スケート人口の裾野が広がって、有望な若手も登場し、今ではすっかり日本の得意種目になった。連盟はスポンサーやチケットの収入が劇的に増え、真央ちゃんがシニア・デビューした2005年度に約6400万円だった単年度黒字は、13年度には11億円超まで膨らんだという。
 一つの時代の終わりを感じさせる選手はなかなかいるものではなく、胸にこみあげるものがある。
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奇跡の逆転優勝

2017-03-28 00:04:07 | スポーツ・芸能好き
 大相撲春場所・千秋楽の平均視聴率は24・4%(関東地区)、瞬間最高視聴率は午後6時、稀勢の里が優勝を決めて花道を引き揚げる場面で、33・3%(同)に達したという。
 この数字は、13日目の横綱・日馬富士戦で負った怪我で、まさか14日目の土俵に上がれるとは思えなかったし、その14日目の横綱・鶴竜戦で良いところなく敗れて、その痛々しい姿に、まさか再び千秋楽の土俵に上がれるとは思えなかったという、良い意味で期待を裏切られたことが反映されていることだろう。そして、千秋楽の本割りの大関・照ノ富士戦で、時折り、不貞腐れたような表情を見せたのは、きっと痛がる顔を見せたくなかったからだろうし、さらに立ち会いで変化するという稀勢の里らしくない相撲は、苦渋の決断だったに違いない。案の定、土俵際に追い込まれながら、しぶとく突き落として、まさかの勝利である。場内は割れんばかりの大喝采だった。続いて優勝決定戦でも、得意の左腕を使えず右腕一本のまま、小手投げで、まさかの二番続けての勝利で、奇跡的な逆転優勝である。投げられた照ノ富士が起き上がったときの、まさか信じられないといった表情が印象的だった。これほど劇的な優勝がこれまであっただろうか。
 何より久しぶり(19年振り)に日本人(正確には日本出身の新)横綱が登場する場所で、多くの日本人の期待を肌にひしひしと感じていたことだろう。もう一枚の看板の白鵬が休場だったことも手伝って、横綱としての責任をより強く感じたに違いない。軽くないであろう怪我をおして出続ける理由を後援者に次のように語っていたらしい。「自分のために苦労して入場券を買ってくれた人がいる。新横綱を楽しみに来てくれる方も多いんだ」と。
 これがもしアメリカ(例えば大リーグ)だったら、無理して出場しなかっただろうし、場合によっては選手寿命を縮めるかも知れない出場をむしろ責められたことだろう。最近は日本でもドライに考える人が多いかも知れない。何しろ久しぶりに誕生した、大事な日本人(正確には日本出身)横綱である。14日目から大事をとって欠場しても誰も文句を言わなかっただろう。しかし、そこは相撲という伝統芸能と、単なるプロ・スポーツとの違いと言えようか。
 優勝セレモニーの「君が代」斉唱で見せた男泣きは、益々、稀勢の里人気を不動のものにしたことだろう。願わくば、今回の快挙と比較される、2001年夏場所14日目に右膝を痛めながら千秋楽に強行出場し、本割りでは敗れたものの優勝決定戦で武蔵丸を下して“鬼の形相”を見せた貴乃花が、翌場所から7場所連続全休となり、2003年1月に引退を余儀なくされたような、大事には至らないことを。そして、願わくば、白鵬との息詰まる熱戦を。
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青梅への道 三たび(3)

2017-02-23 03:18:14 | スポーツ・芸能好き
 週末、三年連続三度目の青梅マラソンを走って来た。
 青梅線・河辺駅あたりから昔懐かしい昭和のニオイのする商店街を抜け、青梅線沿いに10駅先の川井駅まで、行きはだらだらの上り、帰りは下りの山道を往復する。1万3千人余りが参加する人気の大会でありながら、狭い田舎道を行くので、スタート直後は大渋滞してなかなか前に出ることが出来ない。いくら渋滞したところで10キロ(=私のスピードでは1時間後)を過ぎる頃にはバラけてくるものだが、30キロ・コースのここ青梅では、倍のスピードでかっ飛ばす先頭集団が戻って来るのとかち合う地点(=20キロ地点)となるため、そこからは益々狭い片側走行を強いられて、渋滞はなかなか消えることがない。
 年末年始に1ヶ月強の完全休養とサボってしまい、直前1ヶ月に6度の練習で(計算すると)都合84キロしか走り込んでいなかったので、普段のジョギング・ペースで、無理せず流れにまかせてのんびり走った。11時半という中途半端なスタート時間はまことに悩ましく、コンビニお握り7個買い込んで、朝飯に4個、走る前に3個、それから腰にキビ団子ならぬソーセージと栄養ジェルをぶら下げて途中で補給するガス欠対策万全で臨んで、なんとか(一昨年のような視野狭窄に陥ることなく)元気を持続出来たのは良かった。が、坂道だったせいか靴擦れで両足の裏に10円玉~500円玉大のマメをつくって、最後の5キロは失速してしまったのは相変わらずの誤算だった。後遺症と言うと大袈裟だが、片方のマメが潰れたのに何の手当もしなかったものだから、今日まで痺れて足を引き摺って歩く始末だ。結果、3時間12分、ちょうど昨年の記録と一昨年の記録の中間くらいで、客観的に見ると情けないところだが、私自身は負け惜しみではなく上出来だったとは思う。
 毎回、思うことだが、昭和にタイムスリップしたような昔懐かしい沿道に、小さいお子さんからお年寄りまで、地元の方々の応援が賑々しく、「ロッキー」や「帰ってこいよ」の曲を大音量で流して盛り上げる中、ボランティア団体が水やチョコレートやオレンジ片や梅干しやヤクルトを配ってくれるのも有難い。そんな独特の歓迎ムードと、初めてエントリーした3年前は大雪のため中止になったのは、亡くなった母が雪を降らせたのだろうと勝手に思い込んで、そのお詫びを込めて(?)、新しモノ好きの私にしては珍しく、このレースにだけは戻ってきてしまうのだ。
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青梅への道 三たび(2)

2017-02-04 21:54:36 | スポーツ・芸能好き
 所詮、私が走るのはジョギング・ペース(1キロ6分)だからな、と、最近は自分に言い聞かせることにしている。青梅マラソンを間近に控えて、ちょっと焦っているからだ。
 今シーズンは、10月1日の皇居ラン(15キロ)はご愛嬌として、12月4日の湘南国際マラソンに出場する予定だったが、棄権した。よりによってある資格試験の二次試験日程と重なり、いずれも同じような参加費(受験料)を支払って、じゃあ今後どちらに再チャレンジするチャンスがあるかと言えば、言わずもがな、試験とそのための対策・勉強など二度とやりたくないので、湘南は来年もあるじゃないかと、泣く泣く諦めたのだった。そのため、2月19日の青梅まで間が空いて中だるみになってしまったのと、折しも右足裏に違和感を覚えたのとが相俟って、年末年始を挟んで一ヶ月強も完全休養した。走ろうと思えば走れないわけではなかったのだが、歩くと関節が痛むという妙な(都合のよい?)病である。しかし、一向に良くなる気配がないまま、青梅マラソン出走まで一ヶ月を切ったので、待ち切れずにまた走り始めた。30キロとは言え、50歳を過ぎて、走り切る身体を造るためには、それなりに準備しなければならない。そこで、冒頭の割り切りである。所詮、ジョギング・ペースだから、体育系のクラブ活動をやっている中学生なら何の準備をせずとも走り切れるだろう、その程度のことだ、と。心肺機能への負担は大したことではない。足腰に負荷をかけ、内臓もびっくりしないように、怠けた身体にショックを与えて、引き締める必要があるのだ。
 それにしても何故1キロ6分のジョギング・ペースなのか。市民ランナーにとって、サブ・フォー(マラソンで4時間を切ること)は一つの大きな目標であり、端的に壁だ。アメリカ駐在していた20年前は、私もまだ30代半ばの若造で、実に雑な準備でも、また別に便利な栄養補給ジェルもなく、靴もクッション性の低い地下足袋みたいなものでも、難なく4時間を切れた。では、50歳を過ぎれば、サブ・フォーを狙えないのかと言うとそうではなく、覚悟して週に何日も練習して1キロ5分半をちょっと切るペースを維持することが出来れば、なんとかなる。それを敢えてジョギング・ペース(1キロ6分)に留めるのは、恐らく人間にとって閾値みたいなものがあって、1キロ6分かけるのは、ひとえに「身体が楽」だからだ。冬場に週一、レース直前一ヶ月間は週二で通算100キロ強も走れば、なんとかなるので「心も楽」だ。そして人は50歳を過ぎる頃にはいろいろ欲も出て来て、こらえ性もなくなって、努力を惜しむ。別名「ずぼら」と言う。まあ、自己韜晦するならば、出来ることを(無理なく)やる、というところだ。それに私の場合、レース後半になると腹が減り、気力も萎えて、頑張りが利かなくなるので、記録を縮めるためには、練習を積むよりガス欠対策を打つ方が効果が高いのではないかという思いもある。空腹と気力には相関があるはずで、生命を維持するために、これ以上、腹に何も入れないで運動するのは良くない・・・と、脳が信号を送っているはずなのだ。そんなこんなで、ただでさえ加齢とともに、同じ練習量では記録が落ちるばかりの中で、1キロ6分を目安に、フル・マラソン4時間15分前後という控えめな記録達成を目指している。
 仮に1キロ6分であっても、マラソンを完走するなんて凄いね、と人は言う。でもその陰で、その齢で無理して走って何が楽しいのかねえ、モノ好きだねえ、と思っているに違いないことは察しがつく。私の家内に言わせれば、辛い思いをすることになるのは分かっていて何故わざわざカネを払ってまでしてレースに出るかね!?ということになる。胸に手を当ててよーく考えてみると、結局、身体にキレが戻ってなんとなく心地良いのである。これは恐らく本能に関わることだから説明が難しい。岸田秀さんあたりは(昔、読んだものなのでいい加減な言い回しになるが)本能が壊れた(ある意味で欠陥)動物の人間は文化でそれを補うことで文明社会を築いたという。走るというのは、人間の心の奥底に沈み込んだ野性に風を吹き込むことだと、私は思う。それを心地良いと思えるかどうかは、0か1かの世界ではなく、誰しも程度の問題なので、意地・・・がないわけではないし、達成感・・・もないわけではない、マゾヒスティック・・・でないわけではないし、ナルシシズム・・・もないわけではない、そのあたりの配合・調合の妙によって、恐らく受け止め方が変わって来るのだろうと勝手に想像する。そこに健康問題(に伴う意思の問題)も絡んでくる。私は、いよいよコレステロール値が高くなって、このままでは大好きなラーメン(の卵麺)も好きに食べられなくなるかも知れないというショックに見舞われて、一念発起した。
 身構える必要はないし、焦る必要もない。所詮、(学生時代であれば)ジョギング・ペースなのだ、と自分に言い聞かせる。4時間以上も運動し続ければ腹は減るだろう・・・ではなく、運動するったってたかがジョギング・ペースだろう・・・と暗示をかける。呑んでかかれば、あるいは脳の信号に身体が反応するかも知れないと秘かに期待する。思うに人間とは儚い生き物である。
コメント (1)
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