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風来庵風流記

縁側で、ひなたぼっこでもしながら、あれこれ心に映るよしなしごとを、そこはかとなく書き綴ります。

日本人横綱誕生

2017-01-28 23:30:01 | スポーツ・芸能好き
 稀勢の里が大相撲・初場所を制し、過去の安定した戦績も評価されて、久しぶりの日本人横綱誕生となった。若・貴、武蔵丸(ハワイ出身、後に帰化)のあと、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜とモンゴル出身が続き、貴乃花が引退した2003年1月以来14年にしてようやく日本出身横綱不在(日本人横綱としては武蔵丸が引退した2003年11月以来13年)に終止符が打たれることになる。大相撲を盛り上げているモンゴル出身力士には感謝するものの、日本人としては、そして40年来の大相撲ファンとしては、やはり日本人横綱を待望していたと白状せざるを得ない(なお、報道では日本出身横綱と言われているところ、ブログ・タイトルは敢えて日本人横綱とした。正確に言うと、三代目・若乃花が1998年夏場所後に横綱に昇進し、武蔵丸が(1996年1月に帰化した後)1999年夏場所後に横綱に昇進したので、日本出身横綱として19年振り、日本人横綱として18年振りということになる)。
 稀勢の里については、大関昇進を果たしたときに「角界の大器晩成」というタイトルでこのブログに取り上げたことがある。調べて見るとあれから5年も経っている。優勝力士に次ぐ成績を残すこと実に12度、何度もあと一歩の悲哀を味わいながらなかなか果たせず、大関昇進後31場所目にしての優勝は(琴奨菊の26場所を超えて)歴代で最も遅い記録だそうだ。まさに「大器晩成」である。
 若い時から注目はされていた。十両昇進は貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(17歳9ヶ月)で、新入幕も貴乃花に次ぐ年少2番目の記録(18歳3ヶ月)、更に三役昇進は貴乃花、北の湖、白鵬に次ぐ年少4番目の記録(19歳11ヶ月)と、スピード出世で早くから好角家の期待を集めてきた。朝青龍の全盛期、2006年の九州場所では、立ち会いで横綱としては異例のけたぐりを見舞われ、翌2007年春場所では、送り投げで投げられて倒れた後に軽く膝蹴りを受け、2009年初場所では、寄り切られた後、ダメ押しの二発を見舞われるというように、暴れん坊・朝青龍から目の敵にされた。白鵬との因縁も浅くなく、2010年の九州場所二日目、寄り切りで破って63の連勝記録を止め、翌2011年の初場所11日目、押し出しで破って23で連勝を止めるという巡りあわせになった。
 実は大関に昇進するときにも、千秋楽の結果を待たずに審判部が会議を開いて臨時理事会開催を要請し(理事会で大関昇進が見送られた例がないことから)事実上大関昇進が決定して、一部のマスコミ関係者から疑問の声があがった。そして今回も千秋楽を待たずして同様の動きがあり、横綱推挙となれば大関ほど簡単には行かないものの、「大関で二場所連続優勝」の原則から外れるため、甘いのではないかと疑問視する声があがっている。確かにこのあたりの判断には議論があろう。しかしかつて内館牧子さんが言い放ったように「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」を必須の条件とするなら横綱審議委員会の存在意義はない。横審の内規では、原則のほかに「二場所連続優勝に準ずる好成績を上げた力士を推薦することが出来る」とし、何よりも基準の第一に「品格、力量が抜群であること」を謳っている。5年務めた大関としては何度も優勝争いを演じたことはもとより、先場所の12勝という数字自体はやや物足りないものの三横綱を倒し、一年を通しても三横綱を差し置いて(優勝のない力士としては初の)年間最多勝を手にしたという意味で、力量は申し分ない。もし稀勢の里のことを言うなら、日馬富士や鶴竜が横綱に昇進したときの基準も振り返ってみるべきだろう。
 過去の勝率を調べてみると、ここ一年、年間最多勝も取った稀勢の里の成績が優れているのは当然だが(稀勢の里0.822に対して、日馬富士0.720、鶴竜0.693と差は歴然)、横綱の二人が大関時代より成績を落としているのは問題ではないだろうか(例えば横綱になる前の一年間の大関・日馬富士の勝率0.756、鶴竜0.733)。確かに横綱に昇進する直前、日馬富士は二場所連続して全勝優勝の快挙を成し遂げ、鶴竜も優勝は一度ながら二場所続けて14勝を挙げたが、二人ともその前の場所は一桁勝利にとどまる。その意味で(勝負は相手あってのことで、数字だけ見ても仕方ないのだが)、うまく一瞬の流れを捉えて横綱の座を捉えたと言えるが、その前後の成績を見れば、「大関で二場所連続優勝して横綱昇進」が絶対の基準とは思えない(私はかねがね、日馬富士が横綱であることを疑問視してきたが、このご時勢に4人も横綱が出ること自体が問題と言えなくもない)。
 そして、品格である。「何度もファンを裏切りながら、それでも背中に受ける声援はやまない。稀勢の里が愛されるのはなぜか」と自問し「勝っておごらず、負けて腐らず。2人の父(注:実の父と相撲界の師匠)から教わった『もののふ』の心は国技の根幹でもある」と自答して賛辞を贈る記者がいる。昨今珍しい中卒たたき上げで、「自分は力士。土俵の上でしか表現できないから」とほとんどテレビ番組には出ず、「不器用で古風な力士の雰囲気を身にまとうが、普段はよく話し、よく笑う好漢」と評する声もある。横綱昇進伝達式の後の会見で、目指す横綱像を問われて「横綱は常に人に見られている位置だと思う。稽古場もそうだし、普段の生き方も見られている。もっともっと人間的にも成長して尊敬されるような横綱になりたい」と答えた。お相撲さんらしいお相撲さんだ。
 昨日、明治神宮で行われた奉納土俵入りには約1万8千もの観衆を集めたらしい。その最多記録は1994年11月26日の貴乃花の2万人だそうだが、それに近い人数だったことには驚く。かつて八百長問題などで揺れた角界だったが、相撲人気を取り戻し、最近は相撲好きの女性が「スー女」などと呼ばれるほど新たなファン層も獲得した上、やはり日本人横綱への期待が高まっているのだろう。白鵬にも衰えが見える今、精進し、横綱昇進に疑問の声を吹き飛ばすように、堂々とした横綱相撲で魅了して欲しいものだ。

(参考)横綱になる直前一年の成績
稀勢の里 13勝 13 12 10 12 14 計74勝16敗 勝率0.822
鶴竜    10勝 10  9  9 14 14 計66勝24敗 勝率0.733 (昇進後 9勝 11 11 12 10 全休 ・・・)
日馬富士  8勝 11 11  8 15 15 計68勝22敗 勝率0.756 (昇進後 9勝 15  9 11 10 10 ・・・)

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青梅への道 三たび(1)

2016-10-03 01:11:54 | スポーツ・芸能好き
 今年も東京マラソンにはあっさり落選してしまった。2013年2月の大会にビギナーズ・ラックで当選して以降、4回続けての落選である。申込者数は32万人を越え、倍率は12.2倍に達したらしい。単純に12年に1回しか出場できない計算なので、私の年齢では、仮に次に当選しても、もはや走れる身体ではないかも知れない(苦笑)。そんなわけで、ターゲットとしての来年2~3月(シーズン締め)の大会はまだ決めかねているが、途中経過として、昭和の街並み懐かしい、人々の応援も暖かい、青梅マラソン(2月)にまたしても申し込んだので、暫定的にブログ・タイトルを「青梅への道 三たび」とした。
 昨シーズン最後のレースは今年3月初めの静岡マラソンで、半年間、完全休養してしまった。冬場、毎週末に走り込まなければならないのは実に重荷なので、シーズンが終わった初めの内こそ、週末走らなくてよい解放感を満喫していたが、暑いからと言って、さすがにここまで休み続けると、そろそろ走ってみようかという気になる。ある種のストイックな味をしめた以上、そこから離れてしまうのは寂しい。折角、お腹の脂肪が取れて、身体にキレが戻って来たのだから、この体調はなんとかそこそこ維持したいと思う。私の同僚は、夏場こそ走り込みが必要と言って、私の怠惰をなじるが、半年走り、半年休むのが私のスタイルになってしまった。幸い、休んでいる夏場は、体脂肪や内臓脂肪が増えないのが人間の生理である。
 そして、5度目のシーズンが始まった。
 9月は台風やら秋雨前線やらで雨がちの日が多く(と言い訳してはイケナイのだが)、暑さと雨天を避けて週末走ることが出来たのは僅かに2度、計13キロの準備で、この週末、皇居の周囲を走るミニ大会に参加した。一周5キロのところを三周15キロ、1時間32分弱で走り切った。20代や30代の人にとってはジョギング・ペースの、情けない記録である。しかし50代の身で、練習不足とあっては、上出来だとすら思っている。先週、自宅近辺を10キロ走ったときは1キロ当たり7分ペースがせいぜいだったから、大会ともなればアドレナリンがどくどく出るのだろう。お蔭で、腿の張りは尋常ではなく、階段の昇り降りが辛いし、足裏のマメもそのたびに痛むのだが、これがある種の快感になってしまうのだから、ちょっとした病気かも知れない(笑)。
 それはともかく、皇居周囲は、外国人も含めて、ジョギングのメッカである。道幅は狭いところがあるものの整備され、適度の高低差がある。お濠端は静かで落ち着きがあり、要所要所に見張りの警察がいてこれほど安全なところもなく、日本の中枢としての皇居と国会議事堂を眺めながら、日常と離れた「走る」行為に没頭できるのは、贅沢と言うべきだろう。なにしろ信号で止まる必要がない5キロの道を都会で探すのは至難だ、その意味で実に貴重である。シャワー完備のランナーズ・ステーションも近くにあるらしい。今はランニング仲間でかつての同僚は、たまに半日休暇を取っては走りに行っている。私はそこまでマメではないのだが、生活にメリハリをつけるのに良いように思う。
 そう、走るのは、都会の人間に野性を吹き込む作業だと、ふと思う。
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シン・ゴジラ補遺

2016-09-25 09:04:40 | スポーツ・芸能好き
 「シン・ゴジラ」には、さりげなく日本の伝統技術が活かされていて、なかなか芸が細かい。
 一つは、伝統技術と言うより伝統工芸と言うべき、“折り紙”が使われている。これはさりげなく、ではなく、重要ポイントなのだが、ゴジラ研究の牧元教授が残したという「謎の図面」は、ゴジラの特異な細胞膜の活性を抑制する「極限環境微生物」の分子構造を立体的に表現するデータで、平面で見ても意味がなく、折り紙で表現されていたのである。折り紙と言っても子供の遊びと侮ってはいけない。2005年に小惑星「イトカワ」に到達した「はやぶさ」君が持ち帰った岩石質微粒子を博物館に見に行ったとき、隣で展示されていた、将来使われる予定という人工衛星のソーラーセイル(だったと思う)は、折り紙の折り方を応用し、地上で折り畳んで小型化して打ち上げ、宇宙に解き放ったときに広げる(なおかつ強度を保つ)というものだった。このように、宇宙産業では、巨大な宇宙構造物を地上で効率的に折り畳み、打ち上げ後に宇宙空間で展開し利用する“折り紙”の技術研究が続けられ、ソーラーセイルだけでなく、ソーラーパネルやパラボラアンテナなどにも応用されている。
 次いで二つ目は、伝統技術と言うより伝統芸能になるが、ゴジラのモーション・キャプチャー(現実の人物や物体の動きをデジタル的に記録する技術)を狂言師・野村萬斎氏が担当された(野村萬斎氏の動きをモーション・キャプチャーでおさめ、ゴジラに反映させた)。これは宣伝しないことには分からないので、話題になっている通り。フルCGで制作されたゴジラに「魂を入れたかった」という樋口真嗣監督直々に野村氏に連絡を取られたようで、その経緯について「狂言では、妖怪とかキノコとか、人間ではないものも人間が演じるんですよ。それを見たときに『萬斎さんだったらいける!』と思いました」と語り、「日本のゴジラなので、日本の要素を入れたかったんです。精霊とか存在しないものを狂言でやられている萬斎さんかなと思って。ゴジラが“降臨しちゃってる感”が凄かったですよ」と大絶賛されたという。当の野村氏は「日本の映画界が誇るゴジラという生物のDNAに私が継承しております650年以上の歴史を持つ狂言のDNAが入ったという事で非常に嬉しく思っております」とコメントし、「今回のゴジラには狂言や能の様式美が必要とされているのかな、と感じました。ゴジラは“神”に近いイメージ。ゆっくり、どっしりとした動きのなかで表現しようと意識しました」と撮影時を振り返っている。着ぐるみゴジラなら人間が演じるので、何がしか人間味あるいは動物味を出すことが出来るが、フルCGならではの起用であろう。監督の茶目っ気を感じるが、そういう一種の隠し味が楽しい。
 三つ目は、技術というより芸術なのだが、片岡球子女史の富士山の絵だ。多摩美術大学の小川敦生教授は、首相官邸と思しき部屋の壁に片岡球子女史の絵が掛かっているところに注目される。片岡球子と言えば、際立った個性が必ずしも評価されるわけではなかった日本の画壇の中で、原色のような派手な色使いに、あえて稚拙さを出したような独特の造形をなす、個性豊かな画家で、だからこそ、一目見て、彼女の作品と分かるのであり、首相官邸が登場するたびに絵に目が行く、その絵にはパワーがあるのだ、と言う。あたりさわりのない表現の日本画が現実にたくさんある中で、敢えて片岡球子の作品を「選んだ」結果だろうと推測される。
 最後に、まさに日本の技術として、映画の最後の方で東京駅が映し出されるシーンに、今はまだないビルが登場するらしい。私は全く気が付かなかったが、三菱地所が2027年度の完成を目指す「常盤橋街区再開発プロジェクト」のB棟で、日本で最も高い390メートルになる見通しだ。敢えて時間軸を攪乱しているのではないかとの穿った見方があるが、ここにも制作者の茶目っ気を感じる。
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シン・ゴジラ

2016-09-23 00:41:43 | スポーツ・芸能好き
 最新の「ゴジラ」を観た。1954年に誕生してから62年、シリーズ29作目、ハリウッド版を除いて日本のゴジラ製作は12年ぶりだそうである。そろそろブログに書いても、ネタバレを心配することもないだろうか・・・今度の「ゴジラ」は、周知の通り、お子様向け「怪獣映画」ではなく、これまでのシリーズとは一線を画している。これまでは何だかんだ言ってゴジラが主役だったが、今回は恐らく「怪獣」という言葉は映画の中で一度も出てこない代わりに、「巨大不明生物」呼ばわりされ、後景に引いている印象だ。エグゼクティブ・プロデューサー山内章弘氏は「ゴジラという題材でどういうことを描こうとするか。政治劇なんです。ポリティカルドラマ」と語り、それが実に良く出来ていて、大のオトナに好評だ。
 ポスターには「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」とある。確かにゴジラは飽くまでゴジラ、海洋投棄された核廃棄物を代謝できるよう適応・進化した深海生物という設定の、虚構の「巨大不明生物」であり、立ち向かうのは現実のニッポン、ニッポンという国を背負う虚栄心にまみれ途轍もなく頭は切れるが自分たちにしか通じない専門用語を立て板に水の如くまくしたて縦割り組織の中で自らの責任のみ全うしてよしとする鉄壁の官僚機構と、票とカネしか頭にないふやけた政治である。しかし、そのどうしようもないニッポンが、未曾有の危機に直面する中で、化ける。立ち上がるのは、年功序列の政治家でも御用学者でもなく、奇人・変人ともいうべき若手研究者や若手政治家・官僚たちだ。なかなか痛快である。
 モチーフは、東日本大震災に伴う“未曾有”の福島第一原発事故だろう。何を決めるにもまずは会議からという悪習、官僚による会議での閣僚に対する「メモ出し」の様子、「どこの部署に対して言っているんだ」という言い方に象徴されるような省庁間の煩雑な調整、記者会見前に防災服を手配するエピソード・・・「シン・ゴジラ」に出てくる内閣府や各省庁の官僚たちがテンポ良く映し出されるシーンは、あの当時の経産省、原子力安全・保安院(当時)、内閣府、文科省、東京電力などの様子によく似ているというジャーナリストの声がある。緊急災害対策本部の設置、都知事からの治安出動による有害鳥獣駆除要請、初の防衛出動、無制限の武器使用許可、等々、展開は驚くほどリアルで、現実の官僚たちも注目したようだ。そう、今度の「ゴジラ」では、普段はなかなか固有名詞が出てこないような若手政治家・官僚や自衛官が主役なのである。
 この映画ではいろいろな問いかけが仕掛けられ、興味深く仕上がっている。「シン・ゴジラ」の「シン」は、「新」であり、「真」でもあり、また「神」でもあるのだそうだ。先の山内氏は、いろんな想像をしてほしいという意味でこういうタイトルにしたと語っているが、実際、いろいろな人が様々に好き勝手に語っていて、そんな議論を誘発する包容力ある曖昧さが実にいい。例えば・・・

 自民党の石破茂元防衛相は、ゴジラの襲来に対して、何故、自衛隊に防衛出動が下令されるのか、どうにも理解が出来なかったと述べておられる。「いくらゴジラが圧倒的な破壊力を有していても、あくまで天変地異的な現象なのであって、『国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃』ではないのですから、害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当なはず」とのご指摘である。

 A.T.カーニー日本会長の梅澤高明氏は、「巨大不明生物特設災害対策本部」、通称「巨災対」が組織されて以降、危機対応における極めて理想的なオペレーションが展開されて行くことに注目され、その要素を三つに整理される。一つ目は、「巨災対」が実力主義の専門家で組織されていること(その多くは、通常であれば組織の中で浮いてしまうような異端児的な扱いづらい人材である)、しかも省庁横断かつ学者も交えた官学横断というように、実力を基準に組織の壁を超えてチームを作ること、二つ目に、優れた現場リーダー(「巨災対」事務局長の内閣官房副長官)に権限を委譲し集中させたこと、三つ目に、トップ(総理大臣臨時代理)がこうした体制を構築した後、しっかりと現場をバックアップしたこと(閣僚11人が亡くなり、派閥の年功序列で就任した臨時総理大臣は、途中までは無能なトップの象徴として描かれているが)、この三つが揃うことが、巨大プロジェクトを成功させるために必要な要素という。もっともシン・ゴジラのような状況では、容易に問題意識や危機意識を共有できるので、機能しやすいだろう。その他、あのプロジェクトが成功した要因として、オープン・イノベーション(ゴジラのデータを外部に広く提供し世界中の知恵を集める)と、その結果としてのクリエイティブな作戦(八塩折(ヤシオリ)作戦)、そして作戦の実行を支えた現場力(自衛隊と米軍、さらに民間企業も含め)だとも言う。ビジネス・パーソンとして、このあたりの組織論的な見方には大いに共感するところだ。

 一般社団法人ガバナンスアーキテクト機構研究員の部谷直亮氏は、本作に日本人ならではの労働観を認めておられる。「巨災対」メンバーは、食事はお茶とお握りとカップうどんで、不眠不休で働きづめ、リーダーは風呂にも入らずワイシャツも変えないのを難詰される場面もある。時間との勝負なので止むを得ないのだが、全体のために一心不乱に働く姿を美しいと感じるのが日本人だ。しかし、戦争において睡眠不足と栄養不足と不衛生を極めた集団がどのような結果になるかは、太平洋戦争の中盤以降の悲惨で無残な各戦線における展開を見れば明らかだと、部谷氏は手厳しい。現代の自衛隊でも、日米合同演習を行うと、自衛官側が不眠不休かつ戦闘糧食で短期的には圧倒するのだが、米軍側は規則正しいシフトで十分な睡眠と温かい食事をとって長期的に優位に立つということが繰り返されていたという。睡眠には「辛い出来事からのショック」を癒し、「混乱する思考」を整理し、やる気と元気を回復する機能がある。もしも映画の中で「巨災体」が三交代制で規則正しく業務を行い、リーダーが定期的に睡眠をとって熱い風呂に入り、チーム全員が高級なカツサンドや天丼、すき焼き弁当、高級アンパンなどを頬張りながら対策を練っていたら、観客は感情移入できず、共感も感動もなかっただろうと断りつつ、実際上、今の日本に必要なのは合理的な危機管理の運用であると主張される。防衛省内局・自衛隊に蔓延する慢性的な寝不足問題を解決し、国民は危機時のリーダーやスタッフには粗衣粗食ではなく「結果」をこそ求めていくべきである、と。

 また部谷氏は、官民連携した軍事作戦についても注目される。本作では、「MQ-9リーパー無人機による六次にわたる波状攻撃、無人新幹線および在来線爆弾、トマホーク巡航ミサイルと仕掛け爆弾によるビル倒壊攻撃でゴジラを行動不能に追い込み、製薬会社に急きょ大量生産させた血液凝固剤を、これまた民間のコンクリートポンプ車で飲み込ませて機能停止に追い込む」のだが、こうした最新技術と在来の装備をミックスして新たな作戦構想で運用するという発想は、最近の米国・国防総省が目指す方向性と重なっているのだそうだ。2012年に、その具体的な運用方法を模索するために創設された「戦略能力室」によると、「すでにある民間などの技術を新しい作戦構想と結びつけて、実戦で即座に使えるようにする(中略)理想は第2次世界大戦初期のドイツの電撃戦だ。ドイツは、当時としては約20年前に初めて実戦投入された飛行機や戦車、無線を上手に組み合わせることで欧州を征服した(後略)」つまり、今や軍事よりも先を行く民生技術や民生品を在来兵器と組み合わせる発想と作戦構想が、今の時代に求められている、というわけだ。

 監督・特技監督を務めた樋口真嗣氏は「住民たちがどうすることもできない国難が起こったとき、守り、支えてくれる人たち、ちゃんと仕事をする人たちを撮ろう、という気持ちがありました。組織として間違っていることもあるけれど、そこにいる真面目な人たちを真面目に描きたかった」と語っている。
 確かに、私は、この映画の根底に制作者たちが抱く「信頼」のメッセージを読み取った。一つは、科学・技術への「信頼」である。ゴジラは、海洋投棄された核廃棄物を代謝できるよう適応・進化した深海生物という設定で、体内に原子炉状の器官をもち、そこからエネルギーを得る、言わば生ける原子力発電所である。それを徒らに恐れ遠ざけることなく、一時的とは言え抑え込むのは、アメリカ的な巨大な「力」よりも前に、先ずはニッポンの科学・技術力なのだ。もう一つは、ニッポンがもつ底力への「信頼」である。それは自衛隊への「信頼」であり、若い人たち(政治家や官僚や研究者など)への「信頼」であり、よく言われる「現場」の強さへの「信頼」である。ごくありふれたものながらも、効果的に挿入されることによって印象に残るフレーズがいくつも登場する。例えば、正確な言い回しではないが、「自衛隊はこの国を守ることが出来る最後の砦」と言って涙を誘い、「根拠のない希望的観測がかつて破滅に追いやった」「ニッポンはずっとアメリカの属国」だが、「現場が強い」ニッポンは「スクラップ&ビルドでやってき」て、「若くて有能なやつが多い」「ニッポンはまだまだやれる」のである。
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リオ五輪番外・日本編

2016-09-17 19:50:35 | スポーツ・芸能好き
 ついでながら最後に、日本は史上最多メダル(41個)を獲得したが、金メダルの数(12個)自体は2000年のアテネ五輪(16個)には及ばなかった(因みにアテネ五輪でのメダル総数37個)。と言っても、アテネ五輪では、野村忠宏や谷亮子や鈴木桂治を擁した柔道が実に8個の金メダルを獲得していた(のに対してリオ五輪では3個)ので、それを除けば、そしてアテネの後、北京で金9個(総数25個)、ロンドンで金7個(総数38個)とやや落ち込んだことを考えれば、やはり善戦したと言える。
 その要因について、ノンフィクションライターの松瀬学氏は、三つの要因を挙げておられる。先ずは2年前のIOC総会で、2020年の東京五輪開催が決まったことだが、これには誰も異存ないだろう。実際、どの競技団体も、リオ五輪を2020年に向けた前哨戦と位置付けていたという。2020年に向けた戦いは既に始まっているのだ。
 次に、国の強化支援が拡充したことで、文科省(現スポーツ庁)のマルチサポート事業が2008年にスタートし、予算が年々拡大し、今年度の競技力向上事業は実に100億円を突破し、結果的に、今大会のメダル41個の内、40個がマルチサポートのターゲット競技種目の対象競技だったという。相沢光一氏も、ナショナル・トレーニングセンターの効果を強調されている。トップ選手は他競技の選手たちと切磋琢磨しながらトレーニングできるようになったし、国際試合に頻繁に出場するようになって、実力の点でも精神力の点でも逞しく成長したと見る。また、リオに設置された「ハイパフォーマンス・サポート・センター」も評判が良かったらしい。食堂では、米飯、うどん、焼き魚など和食を中心にさまざまなメニューが提供され、炭酸泉、サウナ風呂、疲労測定器、最新の治療機器などによるリカバリー施設も充実していたという。
 三つ目として松瀬学氏が挙げたのは、ロシアのドーピング問題の余波で、五輪でのドーピング検査が厳格化され、日本選手にとっては相対的にプラスに働いたと見られている。しかしロシアが金メダルを減らして日本が増やしたと言うよりも、それ以外に例えば中国がこの流れで金メダルを減らして日本が拾った、といったところはあったかも知れない。
 しかし、日本が獲得したメダル数のレベル自体は十分とは言えないようだ。人口比でメダル数を比較したデータを見ると、もし日本と同じ人口規模だとすると何個のメダル数に相当するかを単純比較した場合に、ジャマイカ512個、ニュージーランド497個は別格として、アメリカ48個、英国131個、ドイツ65個、フランス80個、イタリア58個、オーストラリア155個、オランダ142個と、日本41個は先進国の中では最低レベルのようだ。なお、ブラジル12個、ロシア49個、中国6個、南アフリカ23個で、先進国優位も明らかのようだ。衣食足りて礼節を知ると言うが、経済が充足してこそ、というところは以前にも触れた。
 まあ、負け惜しみではなく、メダルに余りに拘るのもどうかという意見は多いだろう。日本選手団の橋本聖子団長はリオ市内で行われた総括記者会見でいいことを言っている。「メダルの数を増やすために頑張っていると思われがちだが、まずは人としてどうあるべきかが大切。人間力なくして競技力向上なし。自分自身に強い自信を持てる人間はどんな時にも対応力があるし、どんな人にも優しくできる。五輪を教育として捉えた時に、メダルの数より大事なことだ」と。ドーピング対策強化やビデオ判定導入はいいが、だからと言ってメダルを獲れそうな人気薄の競技を狙うというようなメダル至上主義は好ましいものではない。まあ、心情的にはなかなか難しいのだけれど。
 来るべき東京五輪も、どう転んでも、いろいろ思うところがあるのだろう。ナショナリズムという心の琴線に触れるところは、取扱いが難しい。
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リオ五輪番外・ロシア編

2016-09-12 21:45:26 | スポーツ・芸能好き
 ドーピング問題で揺れたロシアの金メダル獲得数は19個(4位)に終わり、前回ロンドン五輪の24個には及ばなかった。
 ロシア研究者の袴田茂樹氏は、クリミア問題で国際的に孤立して以来、ロシアでは皇帝アレクサンドル3世(在位1881年~94年、改革派の父アレクサンドル2世とは反対に、ロシアの独自性を強調した反動政策や軍事大国化の政策で有名)の次の言葉がよく想起されるのだと言う。「我々は常に次のことを忘れてはならない。つまり、我々は敵国や我々を憎んでいる国に包囲されているということ、我々ロシア人には友人はいないということだ。我々には友人も同盟国も必要ない。最良の同盟国でも我々を裏切るからだ。ロシアには2つの同盟者しかいない。それはロシアの陸軍と海軍である」
 実際に、ドーピング問題でも同様の反応が見られたというわけである。当時の報道を紐解くと、世界反ドーピング機関(WADA)の調査チームが、検体をすり替えるなどロシアが国家ぐるみでドーピングを隠蔽していたとする報告書を発表し、WADAは、リオデジャネイロ五輪・パラリンピックでロシア選手団の全面的出場禁止を検討すべきだと国際オリンピック委員会(IOC)と国際パラリンピック委員会(IPC)に勧告したことに対し、プーチン大統領は、東西冷戦期と同様に、スポーツが「地政学的圧力の道具」とされており、「五輪運動は再び分裂の瀬戸際に立つかもしれない」と主張、米国などの反ドーピング機関がロシアのリオ五輪出場停止を訴えていることについて、「一国の組織が世界のスポーツ界に意思を押しつけている」とし、今回の調査報告の背後には米国の存在があるとの考えを滲ませたのだった。
 さらに、袴田氏は、昔から「法とは馬車の長柄のようなもの、どちらにでも御者が向けた方に向く」という諺があることに触れ、ロシアのある世論調査では、国民の82%がその通りだと認めていると言う。つまり、オリンピック憲章、国際法、国連憲章、国家間の合意やその時々の指導者や政府の声明なども、ロシア側は「単なる方便」と見ており、利用できるときは徹底的に利用するが、その解釈などはその時の都合で勝手に変更され、また不都合となれば反故にされる、つまり、法や合意、約束を尊重するという、秩序のための基本的精神が欠如しているのだと解説される。
 それに引き換え、日本はどうだろう。かつて空白の一日を衝いて、江川卓氏が巨人と入団契約を結んだとき、日本中の非難を浴びた。本来、法に不備があったことを問題視するべきところ(と、大学でローマ法を専攻する教授は、日本法の諸相と題して講義してくれた)、日本人は法の不備ではなく、法の精神を尊び、不備のある法の抜け穴を利用することを許さなかったのだった。
 お人好しな私たちの隣人たち(中・韓・露)はかくも特異なのだと、あらためて心してかからなければならないのだろう。
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リオ五輪番外・中国編

2016-09-07 22:52:08 | スポーツ・芸能好き
 前回の韓国に続いて今回は中国である。五輪メダル獲得数の点で、中国の退潮も著しい。8年前の北京五輪のときには金51個(銀・銅を含めて計100個)を獲得し、地元開催の利点を活かして常勝アメリカを抑えて初めて世界の頂点に立ったが、前回ロンドン五輪では金38個(計88個)に減らし、今回リオ五輪では更に金26個(計70個)まで減らして、英国に追い抜かれて三位に転落した。中でも体操は、北京で金11(計18)と量産し、ロンドンでも金5(計12)と善戦したが、リオでは金ゼロ(銅2のみ)にとどまった。
 中国メディアは、外国メディアが「(中国が)金メダル至上主義ではなくなった、それは大国の自信の表れである」「真の意味でスポーツ大国に近づいた」と報じていることを引用し、「スポーツ大国で金メダルが減ることは悪いことではない」と自ら慰めているようだが、依然、歴史教育を「プロパガンダ」として政府が完全に管理し、何事も国威発揚に利用してしまう彼の国で、民衆の意識がそれほど急に変わるとは思えない。背景に政府の意向が働いていると考えるのが自然である。
 福島香織さんは、NYタイムズが「中国の五輪への執着は依然強い。中国の民衆は日本に対し、深い敵意を抱いているので、中国政府は東京五輪で最多の金メダルをとることを選手たちに要求しているらしい。目標を東京五輪に置いているので、リオ五輪に若手選手をより多く参加させたが、その分、成績が悪くなったという意見もある」と分析しているのを紹介されているが、それも否定は出来ないものの、目の前のご利益に飛びつきがちの中国共産党がそれほど深謀遠慮で奥床しいとは思えない。
 中国研究者の澁谷司さんは、前回ロンドン五輪(胡錦濤時代)直後の秋の中国共産党18回全国代表大会(18大)以降、習近平が総書記へと代わってから、いわゆる「贅沢禁止令」が出ていることに注目されている。また「反腐敗運動」が始まり、中国スポーツ界の監督・コーチは、各方面から賄賂を受け取ることが難しくなり、選手を育てるインセンティブを失ったのではないかとも分析されている。さらに2014年以降、中国経済が停滞し、北京政府にスポーツに多額のカネをつぎ込む余裕がなくなって、選手団の低迷に繋がっているのかもしれないと付言されている。
 同様のことを福島香織さんも指摘されている。中国経済の悪化は切実で、金メダリストに対して、かつてのようなバブリーな賞金や企業スポンサーによる副賞がなくなったと言う。実際に、リオ五輪の金メダリストに対する国家体育総局からの奨金は19万元で、前回ロンドン五輪の50万元の半分以下、前々回北京五輪の25万元、前々々回アテネ五輪の20万元をも下回るようでは、選手たちのモチベーションが下がるのも仕方ないかもしれないと解説される。さらに地方政府とスポンサー企業からの副賞もかなり減ったという。リオ五輪の自転車トラック競技女子チームスプリントで宮金傑と鐘天使ペアが中国史上初の自転車競技の金メダルを獲得した際、宮金傑の故郷の吉林省東豊県の書記が彼女の父親に50万元の奨励金を贈ったことがニュースになったらしいが、北京五輪の頃の奨励金は破格で、卓球選手の王皓が卓球男子団体の金メダルを吉林省初の五輪金メダルとして持ち帰ったとき、吉林省政府から120万元、長春市政府から100万元、さらにスポンサー企業から68万元と豪華マンション一戸が贈られたという。総額にして軽く6倍の差があるだろうという。
 そして、その背景に習近平政権の反腐敗キャンペーンが影響していると言うわけだ。地方政府の奨励金が高騰したのは、もともとバブル経済が膨らんでいたという事情もあるが、地方の官僚の出世と五輪の成績が密接に関係し、スポーツ育成は、地方政府、体育当局や体育学校、ナショナルチーム、スポンサー企業らの腐敗、不正、利権の温床となっていたらしい。それが、習近平政権になって、地方財政が逼迫した上、いびつな体育行政とそれに伴う腐敗の問題が、反汚職キャンペーンのターゲットとして追及されたという。2014年頃から中央規律検査委員会の国家体育総局の本格的立ち入り捜査が始まり、スポーツ行政界隈の腐敗がドミノ式に暴露され、2015年6月には国家体育総局副局長だった蕭天が汚職で失脚し、地方や企業の五輪選手育成熱に冷や水をかけたという。
 何事もカネで動く中国らしいスポーツ・バブルと言えようか。言われてみれば、中国にしても韓国にしても、そのありようが如何にも五輪の成績にも反映されて、微笑ましい。成熟した民主主義国ではない場合、スポーツを含め社会現象が不安定で揺れるものだと思う。
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リオ五輪番外・韓国編

2016-09-05 22:52:07 | スポーツ・芸能好き
 隣近所の国々の中で、さすがに中国の動向については世界経済や地域の安全保障への影響が大きいため追いかけるようにしているが、個別事象(例えばリオ五輪)における中・韓の反応などといった不思議なことではあるが些細なことは気にしないでいた。私たちの隣人でありながら余りに懸け離れた民族性がここ数年で際立ち、初めの内は何故だろうと暫く研究対象にしていたが、飽きてしまったのだ。端的に興醒めしているというのが正直なところだが、我が同朋の中には依然(面白おかしく)気にする人がいるので、どうしても関連記事が目に留まってしまう。
 たとえば韓国での盛り上がりはイマイチだったようだ。金メダル9個、銀3、銅9というのは、それなりの成績だと思うが、玉置直司氏によると、「柔道やテコンドー、レスリングなど有望種目で優勝候補の選手がばたばたと敗れてしまったこと」と、何より「日本の成績が思いの外に良かったこと」が原因らしい。韓国ではあらゆる分野で日本への対抗意識が強く、中でもソウル五輪以降の大会のメダル獲得数で、アテネ五輪を除いて、日本を圧倒し優越感に浸ってきたのに、今回はそうならず、悔しくて仕方なかったようなのだ。日本人は韓国のことなど歯牙にもかけないのだが・・・相変わらず不思議な国民性である。
 もっとも、まるで日韓戦かと見紛うほど日本を引き合いに出す韓国のメディアの体質が古いと冷めた目で見る一般の韓国人もいるようだ。また、ネットでは「ククポン」なる造語が飛び交ったという。「クク」は「国」、「ポン」は「ヒロポン」のことで、「愛国主義ヒロポン」を打つように、過度に愛国主義を煽る行為を否定的に指す言葉なのだそうだ。五輪期間中、自国選手を過度に応援する中継放送を「ククポン」と呼んで、特に若者を中心に敬遠する雰囲気があったという。
 玉置氏はある大企業の役員の声を紹介する。「アーチェリー、柔道、射撃、レスリング・・・韓国のスポーツ界は五輪でメダルを獲得できそうな種目を選び、財閥に支援させて集中的に強化・育成してきた。陸上や水泳など基礎種目を強化しようという発想などなく、メダル獲得という目標に一直線に進んできた」「造船、鉄鋼、半導体、自動車・・・など政府と財閥が二人三脚で特定産業を育成してきたのと同じパターンだ。一部の業種、種目はまだ大丈夫だが、全体的にはどちらも大きな壁にぶつかり始めている」というのだ。なるほど、持てる少ない資源を勝てる分野に集中投資する、後発の弱者の戦略と言えようか(「圧縮成長モデル」と呼んでいるらしい)。お国柄をよく表していて、鋭い分析だ。韓国よりも後発の国が似たような戦略を取れば、韓国の立場は苦しくなる道理だ。サムスンのスマホが、小米のような後発の中国企業に苦しめられているように・・・
 さらに菅野朋子さんによると「韓国がエリート教育にだけ集中しているのに対し、日本は生活体育(生涯スポーツ)が根づいており、そのため、競技人口の底辺が広く、広い裾野からエリート教育を進めている。生活に根づいたスポーツを広めることが大事」と論じる(まともな)韓国メディアもあったようだが、日本はむしろエリート教育が苦手である。日本をライバル視するのではなく、単なる一つのモデルとして、韓国自身の行き過ぎたありようを是正するべく冷静に見詰め直した方がよいように思うが、余計なお世話か。
 なお、韓国と言えば、前回ロンドン五輪のサッカー、柔道、フェンシングなど、「韓国がらみのおかしな判定」が横行したことを引き合いに出し、今回リオ五輪では、「誤審防止」の名目で、判定に異議を唱えたらビデオ判定するシステムが導入されたため、柔道で16年振りに金メダル・ゼロに終わった、などと、まるで「審判買収」が出来なくなったことを韓国不振の原因とみる鋭い分析もあったが、コメントは避ける。
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やっぱりイチロー

2016-08-29 23:28:53 | スポーツ・芸能好き
 今年は、オリンピック・サマーで、日本人選手の活躍あったればこそではあるが、すっかり楽しませて貰った。閉会式でも、次の開催地の首長として伝統的な着物姿で登場した小池東京都知事に五輪旗が手渡された後に行われたプレゼンテーション映像で、伝統的な、従い他を寄せ付けない孤高の日本ではなく、アニメやゲームのキャラクターを中心とするポップ・カルチャーの、つまりは世界に開かれた日本をアピールしたのは、実に洒落ていてオリンピックに相応しくて良かった。安倍首相がスーパーマリオに扮したのは、まあご愛嬌だったが、意表をついて多くの人を驚かせたという意味では成功と言えるし、登場の仕方としては確かによく出来ていた。日本より諸外国での評判の方が上々だったようだ。そんなこんなで、プロ野球もオリンピックには遠慮していたかのようだし、夏の高校野球は完全に霞んでしまって球児たちには気の毒だった。
 そんな今年の夏の、オリンピック前のことなので、今となっては遠い昔の話のようだが、今月が終る前に、今月初めに達成されたイチローのメジャー3000安打のことは、やはり書き留めておきたい。
 3000安打へ残り4本として本拠地10連戦を迎えたまでは順調で、さすがイチローと思わせたが、本拠地で僅か2安打に終わり、記録達成はなんと遠征に持ち越しとなってしまった。そのあたりの心境をイチローはこう語っている。
 「人に会いたくない時間もたくさんありましたね。だれにも会いたくない、しゃべりたくない。僕はこれまで自分の感情をなるべく殺してプレーをしてきたつもりなんですけど、なかなかそれもうまくいかず、という苦しい時間でしたね」
 そしてついにその日が来た。8月7日、ロッキーズ戦7回。そのときの心境をイチローはこう語っている。
 「これはみなさんもそうですけど、これだけたくさんの経費を使っていただいて、ここまで引っ張ってしまったわけですから、本当に申し訳なく思いますよ。それはもうファンの人たちの中にもたくさんいたでしょうし、そのことから解放された思いの方が、思いの方がとは言わないですけど、そのことも大変大きなことですね、僕の中で」
 引退したデレク・ジーターは、自身の運営するウェブサイト「プレイヤーズ・トリビューン」に掲載したコラムで、「イチローについて何よりも称賛したいことは、一貫性に関するモデルであるということだ。それは、見過ごされてしまいがちだが、重要なものなんだ」と語っている。最近はスタメンを外れ代打出場が多くなっても、日々のルーチンを怠ることはなく、40歳を超えてなお、第一線で活躍し続ける。レーザービームと称賛される肩の力も、一つ先の塁を盗む脚の力も、左右に打ち分ける多彩な打撃の力も、40歳を過ぎてなお変わらない。いや年齢を超えて変わらないと言うよりもむしろ進化し続けていることこそ、イチローの一貫性と言えるのかも知れない。環境が変わる中でも、変えなかったこととして、イチローは次のように答えている。
 「感情を殺すことですね。このことは、ずっと続けてきたつもりです。今日、達成の瞬間はうれしかったんですけど、途中、ヒットをがむしゃらに打とうとすることが、いけないことなんじゃないかって、僕は混乱した時期があったんですよね。そのことを思うと、今日のこの瞬間は当たり前のことなんですけど、いい結果を出そうとすることを、みんな当たり前のように受け入れてくれていることが、特別に感じることはおかしいと思うんですけど、僕はそう思いました」
 そして今後についてはこう答えている。
 「もう少し……感情を無にしてきたところを、なるべくうれしかったらそれなりの感情を、悔しかったら悔しい感情を、少しだけ見せられるようになったらいいなと思います」
 少し丸みを帯びて来たようだ。イチローも年取ったなと思う。いや、本人自身が年を取ったと言った。
 「この2週間強、犬みたいに年取ったんじゃないかと思うんですけれど、あんなに達成した瞬間にチームメートが喜んでくれて、ファンの人たちが喜んでくれた。僕にとって3千という数字よりも、僕が何かをすることで、僕以外の人たちが喜んでくれることが、今の僕にとって何より大事なことだということを再認識した瞬間でした」
 孤高のプレイヤーとの印象が強いが、人は他人に認められることにこそ最高の価値を見出す。人の人たる所以であり、イチローもやはり人の子なのだ。もう少し、その一貫性に関するモデルであるところを見ていたい。
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リオ五輪第五幕・国の力

2016-08-22 00:45:17 | スポーツ・芸能好き
 昨日、海外出張からの戻りで半日移動している間に、陸上男子4×100メートル・リレーで、日本チームが「銀」メダルを獲得したという嬉しいニュースがあった。前回・ロンドン五輪での「銅」メダルは、メディアは遠慮して触れないが言わば棚ボタだっただけに、今回、実力でもぎ取った「銀」メダルには価値がある。アメリカをも抑えたのだから感動的ですらある。一人ひとりは決勝に残れるほどの飛び抜けた実力がなかったが、美しいと言っても良いほどのスムーズなバトン・リレーの技術力はボルトも認めたほどだし、一定レベル以上の4人が集まり、層の厚さを見せつけた形だ。
 体操男子団体金メダルや競泳男子800メートル・リレー銅メダルの健闘のときにも書いたように、私には「団体戦」に特別の思い入れがある上、高校時代に陸上部で、一つ上の代の先輩が大阪大会4×100メートル・リレーで優勝しインターハイにも出場した種目として身近に見ていただけに、感慨は一入である。ニュースや名場面として繰り返し放映されるたび、泣けてしまう・・・。実は桐生も、「個人種目より、リレーが好き」と言って憚らない。「なんで好きなのかな。4人が力を合わせてやるワクワク感とか、バトンをもらうまでのドキドキ感とか」と言うが、個人の孤独な戦いを基本とする陸上競技であるからこその独特の連帯感については、以前にも書いたように、よく分かる。洛南高校陸上部監督によると「桐生は冷静に走ると良くないが、興奮状態で走れば本来の強さが出てくる。その走りができたのではないか」と言われるが、そうなるであろうこともまたよく分かる。
 この競技で、中国は日本に対してライバル意識を剥き出しにしていたようだが、民族意識を前面に出すのは、中国や韓国くらいではないだろうか。実際、金メダル・ランキングを見ても分かるように、上位を占めるのは、“移民”大国の先進国であり、更にはせいぜい人口が多い国だ。まだ全ての競技が終わっていないが、1位:米国(43個)、2位:英国(27個)、3位:中国(26個)、4位:ロシア(17個)、同:ドイツ(17個)、6位:日本(12個)といった具合だ。
 以前、北京五輪のとき、海外駐在していた徒然に、国別に金メダル獲得数と一人当たりGDPとの相関をグラフ化したことがある(http://blog.goo.ne.jp/sydneywind/d/20080827)。その時には十分に説明し切れなかったが、例えばカヌー競技で日本人初の銅メダルを獲得した羽根田卓也さんが高校卒業後、カヌーの強豪国スロバキアに単身渡って修行しているように、日本人だけでなく、発展途上国の人が、練習環境の整った先進国で修業し、挙句、国籍まで取ってしまう場合も多いのではないかと想像する。こうしてスポーツや文化に予算を投入できるのは経済大国の証しでもあり、オリンピックという晴れの舞台で金メダルを獲得出来るのは国力の証でもある。比較するのは恐縮だが、韓国メディア自身が言うように、韓国が7種目(アーチェリー、フェンシング、射撃、重量挙げ、柔道、テコンドー、バドミントン)に偏る中で、先ほどの欧州諸国が強いカヌーや、世界的に人気のテニスでもメダルを獲り、万遍なく多くの種目でメダルを獲得する日本の健闘は、やはり特筆すべきだろう。もっとも2020年の東京五輪が決まって、その効果が先行して表れた面もあったかも知れない。
 昨今のシリアやイラクさらに北アフリカからの欧州への移民が問題になり、その反動として英国でEUを離脱する動きがあったように、民族と国家のありようは永遠の課題である。国家の威信など、本来はどうでもいいはずだと私は思うのだが、国家という近代の理性的枠組みのもとでも、民族問題が切り離せないのが人間の性(サガ)である以上、オリンピックは戦争に代わり格好の民族主義高揚の場面として自国の活躍を誇り、同時に世界の協調を確認する、欠くべからざる機会なのだろう。
コメント (2)
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