【折々の花だより】

”季節の花だより”
花たちとの出会いを楽しんでます

のだふじ巡り

2015-05-17 | 花だより
のだふじ巡り

のだふじの歴史
往古の昔、古大和川と淀川から運び込まれる土砂が大阪湾に堆積し始め、「浪速の八十島(福島、中之島、田蓑島などの島)」が生まれる中で、上流から流れ着いたフジがたまたま島の一つに根付きました。
数年間、世代交代を繰り返しながら生き延びたフジは野田の藤として、古く鎌倉時代初期の太政大臣西園寺公経により和歌に詠まれています。
貞治3年(1364)室町幕府将軍・足利義詮が、文禄3年(1594)には太閤秀吉も観藤会を催したことが知られています。
江戸時代には、 この付近は藤の名所として栄え、「吉野の桜、高尾の紅葉、野田の藤」といわれていました。
戦前まで春日神社(のだふじ発祥の地)に残っていた古木のフジは、空襲で焼失してしまいましたが、接ぎ木により再生された子孫のフジは、区民の力により区内各所で開花しています。(のだふじ巡りパンフレットより抜粋)

明治時代に、植物学者の牧野富太郎博士が野田の地を訪れ、この藤を研究した結果、藤の新種であると認められ、 「ノダフジ」と命名されました。

平成7年、「のだふじ」は福島区の区花に選定され、町おこしの一端を担うようになりました。あらゆるものに区花(のだふじ)がデザインされており、区職員の名刺を初め、町名表示板は藤色にしたり、公園などには「のだふじ」をあしらった区のロゴが使われています。
「のだふじ」は、1メートルを越す豊かな房が特徴で、平成7年に区の花に制定されました。(「のだふじの会」のホームページより)

のだふじマップ


阪神野田駅からマップを手に、出発します。

野田城跡や、野田恵比須神社を横目で見て・・・。

《野田城跡》

建物は極楽寺です。
二十一人討死の古跡。
天文2年(1533年)8月、戦国時代、本願寺法王証如は要地としての野田福島を見聞しようと少数の家臣とたずねた時、敵の軍勢佐々木六角弾正の伏兵に不意をつかれた時、二十一人の百姓衆の決死の防御に難をまぬがれ、その御書が寺に残っているそうです。

その極楽寺の一画に「野田城跡」の石碑が建てられています。
野田城は享禄4年(1531年)頃に築城。元亀元年(1570年)織田信長は、石山本願寺に攻め入り、「石山の合戦」が始まり、天正4年(1576年)石山本願寺を包囲した織田軍に対し、石山本願寺と同盟を結ぶ三好一党は、野田城に立てこもり織田軍と戦うが、織田軍の大軍にはかなわずに信長の手に落ちてしまいます。天正6年(1578年)この城は、毛利水軍と戦う織田軍の重要な拠点になるが、その後は歴史から忘れ去られ、現在ではその痕跡を見つけることはできず、明治の初め、「弓場」「城之内」などという地名が玉川付近に残されていたことから、このあたりに野田城があったのではないかと推測されているんだそうです。

《野田恵比須神社》

「野田のえべっさん」で親しまれ、漁業の神として古く800年の昔から野田の洲に住む漁民で祀られるようになったようです。

「のだふじ」のロゴ等

   



春日神社へやってきました。

《春日神社》

昔は藤の宮とも呼ばれ、藤原氏の祖神を祭っています。


平成24年4月、
「地域の人々に親しまれ、良好な都市景観を形成し地域のシンボル的存在である」と認められ
「大阪市都市景観資源」に登録されました。
のだふじの名所として、足利義詮、豊臣秀吉も「ふじみ」に集まり賑わったといわれています。






蜂もいっぱい・・・。

スタッフのかたに近辺を案内していただきました。
ひばり保育園→ユニライフ(マンション)→下福島公園→浦江聖天了徳院へ

《ひばり保育園》

保育中なので、フェンス越しに。

《ユニライフ(マンション)》




《下福島公園》





白藤



公園で見られた花たち



《売れても占い商店街》

福島聖天通りに掲げられた横断幕。
商店街の左右に、何か所も、小さな机と椅子を置いた「占いのコーナー」が設けられていました。

商店街のすぐ近くにある浦江聖天了徳院へ。

《了徳院》

了徳院(りようとくいん)は大阪市福島区にある東寺真言宗の仏教寺院。正式な寺名は如意山了徳院。創建は不明。浦江聖天(うらえしょうてん)の名で親しまれています。
道路に面したところに大きな鳥居があり、その奥に山門があります。鳥居の前には狛犬がいます。

「占い」が掲げられています


山門



1945年(昭和20年)の空襲で、この山門と稲荷堂を残して全焼。焼け残った山門の屋根下には
子持ち龍の彫刻が施され大阪府の文化財の指定を受けています。

山門をくぐったところ

むかって左手に進むと、鳥居があり、その奥に本殿があります。
右手に進むと、手水舎や弁財天などが並んでいます。

その鳥居をくぐったところにある狛犬


対のこちらは、「のだふじ」の下にあり大人気(笑)




弁財天


句碑

江戸時代初め頃、この辺り一面は湿地帯でかきつばたの名所だったそうです。
松尾芭蕉も訪れ、弁財天前にある池には
「かきつばた語るも旅のひとつかな」の句碑があります。

白髪稲荷大明神


歓喜天


弘法大師


おもかるさん

願い事を祈念し、この「おもかる石」を持ち上げてください。この石を持ち上げた時、軽く感じれば願い事が叶い、重く感じれば叶わないといわれています。
持ってみました。結果は・・・。

地蔵堂の前の狛犬

チョットふくよかでかわいらしい。

境内で見かけた花たち






マンホール

蛇口から勢いよく水が流れ出ているデザインに「水道」の文字。水マークが入っています。
水道バルブハンドホール蓋


大阪城と市の花サクラをデザイン大阪市下水道事業着手百周年記念で公募。上部に大阪市の市章。
下水管マンホール蓋


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