友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日は投票日

2014年04月19日 18時47分20秒 | Weblog

 風が強く、チューリップは倒されまいとしているが、大きな花が右に左にと揺れている。まだ咲き揃わないのに、最初に咲き出した赤と白のチューリップには、既に無残な姿になってしまったものもある。月曜日か火曜日に、「チューリップを愛でる会」が出来るだろうか。飛び立ったアゲハチョウはどこでこの風から身を守っているのだろう。強風のためか、街宣車から聞こえるウグイス嬢の声も途切れがちだ。

 「最後の、最後のお願いでございます」。「苦しい戦いの中で、最後まで頑張ります」。「真面目です。お役に立ちます。皆さんの声を市政に届けます」。「子どもたちが安心して暮らせる町を作って参ります」。「お年寄りが安心できる福祉を充実させます」。「子どもたちにツケを回さない市政の実現に取り組んでいきます」。「市の財政は厳しくなっています。それでもやらなくてはならないことはキチンとやっていく必要があります」。「市長も議員もわが身を削って、市民の生活を守らなければなりません」。「36歳、もっとも若い候補者です。若い人たちの声を代表して参ります」。

 選挙運動が出来る午後8時まで、風に負けないようにと、大声で候補者は必死で訴えて続けている。地域推薦の保守系の候補者は、地元で「桃太郎行列」を行なっているようだ。今年、74歳になる首長候補は街宣車とは別に、各地域で地域推薦の市議候補とともに演説会を行なっている。この市は東西6キロ、南北4キロと小さいが、人口は8万2千人ある。この狭い街の中を28人の市議候補と2人の市長候補が、街宣して回るからかなり喧しい。

 候補者が事前に配ったチラシを見ても、街頭演説を聞いても、それほど大きな違いがない。苦しい中で頑張るのは候補者として当然のこと。真面目でなければ困るし、子どもや年寄りが安心して暮らせるようにするのは、市長や議員の仕事だ。財政を悪化させた原因を明確にせずに、身を削っても一時しのぎになるだけだ。結局、どの候補の声がよく届いたかが投票行為に結びつくのだろう。選挙は最も思いを伝えられる機会であるけれど、まだまだ伝え切れてはいないようだ。明日は投票日。私は「飲み会」があるので、ブログを休みます。

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目的を見失う

2014年04月18日 17時57分39秒 | Weblog

 同じことを繰り返していると、何のためにしていたのか分からなくなることがある。先日も男女共同参画の事業で、自治体が提携している海の自治体と山の自治体から、業者の鮮魚や山菜の屋台が好評だった。また、麺遊会がうどんの無料サービスを行ない長い列が出来た。いずれも、人集めのためにわざわざお願いしたものだが、男女共同参画とどういうつながりがあるのかと不思議に思う。

 カンボジアの子どもたちを支援する活動をしている人の話を聞いた。日本で発行されている絵本にカンボジア語を貼り付け、現地に持って行き、使い方を教えるところまで行なっていると言う。絵本にカンボジアの言葉を貼り付ける作業を近くの小学校の子どもたちと一緒に行なうのも、国際理解として取り組んできた。ところが長く続けていると、作業が目的になってしまいこれでいいのかと考える時があると言う。

 40年前に保育園の保護者の代表として集まった8人の会が今も続いていると聞いた。はじめは各園でそれぞれが抱えた問題をどのように解決していくかが集まりの中心だった。それが子どもたちが卒業すると、母親同士のつながりだけとなり、今ではオールド女子会となった。長く続いてきたのは目的がなく、世話をするマメな人がいたからに他ならない。日取りや会場を決め、連絡をすることを嫌に思わない人がいたからだ。

 議会改革や地方から政治を変えることを目指した志の高い人たちも、何年も同じことを繰り返していると、マンネリ化がやってくる。何がしたくて集まっているのか、初心を忘れるようになる。選挙で議員に当選した人も、当選回数を重ねると何がしたいのかよりもただ当選するだけが目的になってしまう。仕事や会社や家庭は、生活があるから辞めることは出来ないので、工夫を凝らす必要があるが、首長や議員は3期を目途に交代する決断が要ると思う。

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孫娘のお祝いは映画だった

2014年04月17日 17時23分04秒 | Weblog

 昨日で70歳になった。なんともあっ気ない70年だ。こんなに早く70歳になってしまうとは思ってもみなかった。昨日の「詩」は、私がまだ大学生の時、「中学3年の担任がクラス誌『麦の歌』を発行すると言っているから、何か書いて送ってくれ」と友だちが連絡して書いたもの。ここまで書いて、私が東京にいることを誰が知っていたのかと不思議に思う。

 私は大学4年の春から12月末まで、東京の出版会社でアルバイトをしていた。この「詩」の日付は10月とある。このまま、東京で出版の仕事を続けるべきかで悩んでいた時期だ。美術の教科書を作る仕事は楽しかったし面白かった。美術教育に熱心な先生、ユニークな美術授業をしている先生、有名な画家や彫刻家、そんな人たちを廻って話を聞き、作品を見せてもらい、時には拝借してくる。私を気に入ってくれた先生に出会い、「遊びに来い」と言われたりして嬉しかった。

 サラリーマンは組織の一員だから、上司がどういう人かで自分の将来も決まってくる。私の上司はまだ歳も若く、会社ではやり手と評価の高い人だった。まだ若造だった私には「やり手」だけが目について、「この人の下で一生働くのはごめんだ」という気持ちが日毎に強くなり、推薦してくれた大学の恩師に「詫び状」を書いて、帰って来てしまった。

 昨日、大学2年に進級できた孫娘が、「誕生日のお祝いに映画に行こう」と誘ってくれ、大型店の中にある映画館へ行った。孫娘が大好きな女優・井上真央さんが出演している『白ゆき姫殺人事件』である。映画は美しいOLの殺人をめぐって、テレビのニュース解説番組が同僚などに聞き込みをしていく。美しい人と目立たない人、美しい人同士の諍い、育った環境までも取り上げられる。実際、殺人事件などが起きると、犯人の家庭や子どもの頃までもが問題視されるが、こうしたマスコミの恐さを映画は描いていた。

 会社の中での上司と部下、同僚同士の優劣、殺人事件にまでならなくても、いつもどこかで何かが起きている。「人間って恐いわね」と観終わって話していた人がいた。19歳の孫娘はどんな感想を持ったのだろう。それでも孫娘は前を向いて生きていかなくてはならない。きっといつか、いいことがあるさ。頑張れよ。私はこれから先、何をすることが出来るのだろう。今朝の11時頃、越冬したサナギが1匹、羽化して飛び立った。

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22歳の詩

2014年04月16日 19時21分54秒 | Weblog

時間が、またたくまに流れてしまいました。

いくつかのことが、ぼくのまわりに起り

いくつかのことが、ぼくのなかに起り

そして流れてしまいました。

けれどもぼくは、相変わらずです。

 

強く

勇士のように生きられたらと思うことは

すでに尻込みだと知っていながら

「とほうにくれて、生きるよりしかたなかった」とは、

なんと、みじめなことです。

 

ぼくは

自分をつくっているのだろうか。

 

ぼくは、どっかりと

すべてをおおいつくすほどになりたいと思ったのに

生きることにも

愛することにも

なぜ、弱々しい。

あるいは弱々しくふるまう。

またあるいは、ふるまっていると思い込もうとする。

 

何もわかっていやしないのだ。

誰にも。

 

けれども、時間の経過だけは真実です。

ぼくらは、長く生きました。

「人生とは何であるか」‥‥たとえ誰かが、

どんなふうに説こうとも、実感としておおよそわかってしまっているのです。

ある時は なすがままであり

ある時は 何かができるのではないかなどとのように。

 

病身の少女の瞳が

健康な少女の瞳よりも

はるかに深く輝いているのを知っていたので

激しく求め合いながら

あらゆる行為をつくして、愛の真実を

そもそも男と女の真実を

つきつめたいと望みながら

傷つけ合って別れてしまう強烈なドラマを

ぼくは演じたいと思っていました。

 

土曜の夜に

明日を思いわずらう必要はない。

 

何かのドラマが一瞬のうちに始って終れば、

人は生きていてよかったと思うだろうか。

生きていてよかったと‥‥。

 

古いものは、すたれてしまえばよい。

古いものは、すべて‥‥。

未来も、いつのまにか古くなり、

そしてすたれる。

時間の経過だけが、たしかな真実をかたちづくる。

だからぼくは、今を精一杯生きたい。

               1966年10月

 

大学4年、22歳の時に書きました。

今日は私の70歳の誕生日です。ありがとうございました。

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街宣車が多くなった

2014年04月15日 18時54分24秒 | Weblog

 「なんだか、街宣車が多いねえ」と言う。市長選挙は現職と新人の一騎打ちだが、市議選は21議席を目指して28人が立候補しているからかなり喧しいことは確かだ。立候補者の数としては先回と大きな違いはない。ただ、やってくる街宣車のアナウンスを聞いていると、かなり変わった気がする。以前はほとんどの候補者が街宣車に乗っていなかった。街宣車から聞こえてくるのは、候補者名を挙げるウグイスの声ばかりだった。

 ところが今回は、候補者が自ら街宣車に乗り込み、まだ少ないけれど街頭演説も行なっている。街宣車のアナウンスも候補者の政策を短く告げて廻っていく。無党派でやってきた候補者が、「急にみんなが自分のスタイルを真似するようになった」とぼやいていた。本来の選挙運動になってきたわけで、大いに自己主張すればいい。議員候補なのに首長選のような政策を掲げている候補者がいるから、そうではないことを示す選挙運動をすればいい。

 以前は地域推薦を受ければ安全圏入りだった。地域の長老たちをまとめておけば当選できた。そうした地域の住民が少なくなったし、新しい住民に長老の威厳が通用しないこともあって、地域推薦を受けただけでは当選に必要な数に達しなくなった。以前なら、街宣車はその地域だけをウグイスを乗せて廻り、候補者は有力者といわれる人のところへお願いに廻ればよかった。そうした運動スタイルが崩れてきたらしい。

 地域から出て、1人でも多くの有権者に名前を知ってもらう。いや名前だけでは投票に結びつかないので、政策を訴える。演説の中身よりも、演説がうまいかが大きな選択肢になってきた。若い候補者が自転車で街中を走り回り、小気味よい口調で演説していくと、何を訴えているかよりも「格好いい」と見えるようだ。若いというだけで、やる気があると思えるようだ。実際、70歳過ぎの候補者の姿はずるそうに見えてくると言う。

 政治家に正義感を感じるには若さが必要なのかも知れない。年を重ねると取引上手の策士になってしまうようだ。年老いてから正義感に満ちた情熱的な政治家という人を私は知らない。先輩が「年寄りは若い者に譲る気持ちを持たないとダメだ」とよく言う。なるほどそのとおりだと思う。ただ若いだけの直線的な候補者は恐い気がするが‥。

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つながりはメール

2014年04月14日 18時23分19秒 | Weblog

 「久しぶり、メアド変更するので登録宜しく」というメールがケイタイに届いた。でも待てよ、登録しようにも名前が分からない。こういうアワテン坊は誰なのだろう。私の知り合いでおっちょこちょいな人といえば‥‥、きっとそのうち、向こうから気が付いてもう一度送ってくるだろう。そう思っているがまだ来ない。私のケイタイ番号は公開しているが、メールアドレスまで知っている人はそんなに多くないはずだ。

 しかし、公開していないパソコンには迷惑メールが届く。「迷惑」と指定してあるので、いちいち削除する必要はなくなったが、どうやって調べてくるのか不思議だ。先日、卒業生から電話がかかってきた。「パソコンで調べたら、先生の電話番号が載ってたよ」と言う。自分では登録した覚えがないので、インターネットは不思議な社会だ。今日、大和塾の例会で話題になっていたけれど、今の大学生は凄くお金がかかるという。

 「どうしてそんなにかかるのかなあー」と言うが、その人も子どもを大学に通わせたのだから、それだけのお金を払ってきたはずだ。小口に払っていると気が付かないけれど、トータルすると何百万円という金額になるということだろう。「私の大学時代はアルバイトで何とかやれた」と先輩は言う。50年も前の話だということを忘れている。国立大学なら授業料は高くなかったので、少しアルバイトをすれば生活できた。

 私たちの時代は電話することもなかったが、今の大学生は全員がパソコンを持っているし、高性能のケイタイを持っているから、通話料金だけでも相当かかるだろう。それに友だち付き合いにもお金がかかるらしい。食事を減らしてでも、付き合いのお金を確保していると言う。高校の時の学生服で通学した私たちの時代とは全く違うということを忘れて、「今時の学生は」と、若者への思いを語ってしまうことが情けない。

 こうして私が小中高の同級生や私を知る友だちへ、ブログという道具で手紙を送ることが出来ることも大きな変化だ。昔なら手紙が唯一のつながりだったけれど、それが電話になり、そして今では恋人同士をつなぐ大事な道具はケイタイである。ケイタイに連絡がないと、何をしているのかと心配になる。それにしても先のメールの主は誰なのだろう。

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桜まつりと写生大会

2014年04月13日 19時27分18秒 | Weblog

 私が小学校2年になる時、我が家は祖父母のいる材木屋へ引っ越すことになった。それまで住んでいた家は、お城の北側にあって、家の庭から城の形らしき姿が見えた。直線で結べばかなり近い距離だったが、我が家があった丘陵の南は雑木林で、それを過ぎると田んぼが少しあり、さらに小川が流れていて、そこから水を引いた大きな堀があった。その頃は、池というより沼で、蓮の花が咲いていた。城跡は公園になっていて、一番広いところはテニス場で、櫓があった一番高いところには和室があり、宴会などに使われていた。

 公園全体にたくさんの桜が植えられていて、4月には「桜まつり」が行なわれた。城跡の東側には私が通っていた小学校があり、明治初期に建てられた古い学校だった。4月の始め、桜まつりに合わせて小学校では写生大会が行なわれた。入学したばかりの私も先生方に連れられて、お城の公園で桜の絵を描いた。それが「おもしろい絵だった」らしくて、担任の女性教師が母に「この子は絵の才能があるから本格的に習わせた方がいい」と言ったらしい。フランス人のピカソを引き合いに出されて、すっかり舞い上がった母は私を画塾に通わせた。

 2年生になる時に引っ越した材木屋は私が通っていた小学校の学区ではなかったのに、小学校で教師をしていた父親は、「途中から変わるのは可哀相だ」と、小学校へ頼みに行ったらしい。おかげで学区外から通学することになり、長い間近所に友だちはいなかった。八百屋やあられ屋の息子と友だちになったが、学校の話は一度もしたことがない。チャンバラをするだけの友だちだった。同じ小学校の友だちもいたけれど、家が遠いということで、遊びに行くこともどこかで遊ぶこともなかった。

 「兄ちゃんはぜんぜん家にいなかった」と先日、妹が昔を振り返って言う。小学校の授業が終っても、私はまっすぐ家に帰ることがなかった。街の中をあちらこちらと歩き回っていた。今のように集団の登下校はなかったし、街中を小学生がひとり歩き回っていても危険なこともなかった。街の中の本屋を回り、寺や神社を巡り、医院の庭のバラ園を眺めて歩いた。ひとりでいることは何も苦痛ではなかった。むしろ高学年になって、地区の少年野球チームに入れられ、日曜の早朝から練習に行かなくてはならないことが苦痛だった。なんともヒネタ少年だった。

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大きく変わった

2014年04月12日 18時46分05秒 | Weblog

 出産予定日まで1ヶ月となった次女は、東京出張の機会に名古屋まで足を伸ばしてくれたダンナと連れ立って出かけて行った。デパートへ赤ちゃんの物を買いに行くという。この前の診察では順調に育っているようだ。「先生がね、髪の多い子ですよって言って、クスッと笑ったけど、どういうことだと思う」と不思議そうに言う。エコーの映像でそんなことまで分かるのか、そのことの方が不思議な気がする。先生は髪の少ない次女に似なくてよかったですねということなのだろうか。いや、髪が少ないのは私だけか。

 赤いチューリップと白いチューリップは咲き揃ってきたけれど、ピンクや黄色や紫色のものはまだつぼみにもなっていない。今年は一斉に咲くことはないのだろうか。来週の半ば、私の70歳の誕生日くらいに満開になるはずだが、そんなにうまくいかないかも知れない。明日は市議選挙の告示で、朝から街宣車が走り回っている。我が家にやってくる候補もいるが、これまでの選挙とは違う雰囲気があると言う。これほど事前にチラシが多く配られたことはなったし、街宣車が事前に走り回るのも珍しい。

 次女は病院で行なわれる母親教室に参加し、高齢出産の人が他にもいて安心した様子だった。「出産の時期も幅広くなってきたけど、夫婦のあり方や家庭のあり方も随分変わってきたみたい」と、教室で出会った妊婦さんの話や、同世代の友だちのこと、新聞・テレビで報じられる人たちなどに触れ、「最近の風潮は気に入らない。昔の私は全面的に受け入れられなかったけど、今は少し分かる。いろんな形があることは事実だから。少しは大人になったでしょう」と話す。絶対にこうでなければならないという理想が彼女を支配していたから、それから脱皮できただけでも大きな成長だ。

 私は、自分は成長しているだろうかと自問する。諦めてはいけない。「求めよ、さらば与えられん」。もう少し、自分の人生を見極めるために努力してみよう。「生きている限り、生きるのです」と誰かが言った。ミカンの木に冬越したアゲハチョウのサナギが3匹いる。サナギのままで終るのか、羽化するのか、それは神様がお決めになること。サナギも私も時を待つしかないが、じっとしていればいい訳ではないはずだ。

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鈍感力

2014年04月11日 18時07分46秒 | Weblog

 「鈍感力」という言葉があった。どんな時に、どんな風に使うのかよく知らないが、鈍感であることは「生き抜く力」でもある。明るくて、気安く接してくれる人は「鈍感力」があるのかも知れない。いつも笑顔でいられる人もきっとそうだろう。辛くても、苦しくても、どんなに嫌なことがあっても、「何とかなるわ」と気楽に生きていけるのは凄い力だ。

 姉を見舞いに行って来た。84歳の姉は、先ほど話したことも覚えていない。若い頃のことなら記憶が戻るのではと思って、昔の話をしてみるけれど、「何も覚えていないねえ」と言う。一時期、目も空ろでもうダメなのかと思ったが、今日の姉は比較的元気で、姪っ子が食べさせてくれたおかきやイチゴ・アイスクリームを美味しそうに食べていた。それでいて、「やっぱりバニラがよかった」と言うので、姪っ子が「母さんが頼んだんだよ」と伝えると、「そうかね。あんたじゃーないの。いじわるだね」とむきになる。

 みんなの話をニコニコと聞いているかと思えば、「姉さんはハイカラだったですよ」と言うと、「嫌なことを言うね」と否定しようとする。「褒めているんですけど」と訂正するが、自分のことを悪く言ったのではないかという「観察力」は働くようだ。病院の中でも、「あれは何?あの人は何をしている?」と何にでも興味を示すので、「姉さんは好奇心が強いね」と言うと、「そんなことはないです」と否定した。「認知症が進んでいて、判断が出来なくなっている」と姪っ子は言うけれど、自分が否定されているのではないかと感じ取っているようだ。

 先日、運転免許証の書き換えで警察署へ行って来た。午後の一番に行くと、受付にたくさんの人が並んでいた。見ると、私たちのような高齢者の人が多い。提出する書類の間違いや手順の間違いなどが重なり手間取ってもいる。「よく読んで書いてくださいね」と係りの警察官は何度も言うが、それでも不備がある。私も不要なところにチックを入れてしまった。それでもその係りの警察官はニコニコと、「いいですよ」と優しい。「はい、これで5年間有効ですからね。事故の無いように頑張ってください」と新しい免許証を手渡され、「ありがとうございました」と頭を下げてしまった

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小保方さんの記者会見

2014年04月10日 17時46分55秒 | Weblog

 「昨日は小保方さんの記者会見をみながら、がんばれ!がんばれ!と声援を送っていました」と、友だちからメールがあった。昨日も今日も、テレビニュースは小保方さんの件でいっぱいだ。今朝は冷えていたけれど風はなく、昼から5月中旬並みの暖かさになるという天気予報の正しさを予感させた。ところが午後からは風が強く、植え直した椿がまたひっくり返ってしまった。今度こそはと思い、風の当たらない南のベランダに置いたのに、一瞬の風で倒れてしまった。

 そんなピンクの椿が小保方さんに重なって見える。彼女を強い人だと思った。私ならとてもあんな風に耐えられない。「死んでお詫びします」と口走ってしまいそうだ。自殺する人は絶望の淵にいる。希望といえば、あの世にいけば楽になれる、ということしかない。生きていればこそ、悲しみや恨みや怒りがあったとしても、愛や喜びや楽しさを味合うことができる。最悪の日々が続いたとしても、いつかきっと「いい日」が来る。

 昨日のイエスのブドウ園の働き手の話で、ある人が「雇い主は不公平ではないか」と言う。確かに8時間働いた人も、1時間しか働かなかった人も、同じ賃金では納得できない。今風に言えば、「同一労働は同一賃金」だろう。しかし、8時間働いた人には約束どおりの賃金を支払っている。8時間働いた人が、1時間しか働かなかった人の賃金が自分と同じだと知って不満を持つのは、「欲」である。約束した賃金で自分は満たされているのに、自分よりも働かなかった人が同じ額をもらうことに腹を立てているのだ。

 この話の結論は、イエスのまとめにあるように思う。「最後の者が最初に、最初の者が最後になるでしょう」とは含蓄のある言葉だ。私たちは、健康な時は病気になることなど考えない。病弱な人や障害がある人への思いやりも忘れている。中には、「自業自得だ」とすら言う人もいる。けれど、どこでどう逆転するか分からない。立場が逆転することもあるから、「情けは人のためならず」と考えよということかといえば、そうではない。イエスはもっと寛容な心を求めている。いつでもどんな時でも優しくなれる心を求めている。なるほどとまた、私は感心する。

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