「お祝いの時は、シャンパンがいいわね」と、カミさんはゴールデンウィークを楽しみに、買い揃えた3本のシャンパンを眺めている。私はシャンパンが、お祝いの時に飲む酒とは知らなかった。
『文豪たちが書いた 酒の名作短編集』(彩図社)に、宮本百合子さんの「三鞭酒」という作品があるが、「三鞭酒」をシャンパンとは読めなかった。高級ホテルのレストランに、著者は友だち3人で来ていて、外国人の客を観察している作品だ。
ずんぐりで禿げ頭の男と、粗末な服装の女が入って来た。男の小指にはダイアモンドが光っているのに、女は水色格子木綿の単純な服。男が大切そうに、大仰に、腰をかがめんばかりにして女を席につけさせるを見て、「夫婦じゃーないわ」と3人は囁く。
著者は、「恋人たち」と断言する。「人生はまだまだよいところだ。あのような禿でも、あのように恋愛できる」と喜ぶ。「だって、氷の中のは三鞭酒よ。細君と夕食を食べるからって三鞭酒を気張りゃあしない」と分析する。
男は女のむきだしの腕を絶えず優しく撫でさすりながら、低い声で何かを言った。「アイ、ラブ、ユー」。著者は「字幕でなく、人間の声で『アイ、ラブ、ユー』というのをきいたのは、生まれてそれが始めてであった」と。
宮本百合子さんはプロレタリア作家だが、こんな小気味のいい作品も書くのだと感心した。百合子さんは明治32年生まれだから、私の母よりも8歳年上。欧米の思想が溢れる家庭で育ち、日本女子大に入学して早々に、人道主義的な『貧しき人々の群』を発表している。
遊学したアメリカで15歳年上の学者と結婚したが、帰国後に離婚。共産主義に傾倒していき、1931年に共産党に入党、9歳年下の宮本顕示と結婚したが、弾圧の中で必死に耐えた。終戦後の1951年、51歳の生涯を終えている。母は54歳の生涯だった。