娘の保育園の父母会の会長を務めていた時、他の園の会長だった男も同じ歳だったことから友だちになった。しかし、彼は何年か前に亡くなり、カミさんは息子夫婦と暮らしている。カミさんは今も商売を息子と続けている。
「私をこき使うばかりで、本当にいたわりが無い」と零す。「孫が大学と高校に入学したのでお祝いを上げなきゃーならないし、もう出る一方。私に何か買ってくれたことも、祝ってくれたこともないのによ」と嘆く。
母と息子だから、オヤジに代わって、仲良くしているのかと思ったが、なかなかそうはいかないようだ。「息子の嫁さんとはうまくいってる?」と尋ねると、「口もきいてくれない。そのくせ、あれをやってとか、これはどうしたとか、命令ばっかり」と愚痴る。
家族が揃っていても、傍目では分からないそれぞれの事情がある。「仏壇の前で、お父さんが先に逝ってしまうから、私は苦労ばっかりと愚痴を言ってるの」と言う。他人に零すことで少しでも和らぐなら、聞くのも友だちの役目だろう。
何が幸せで、何が不幸なのか、それは一概に言えることでは無い。どんなに仲良し家族のように見えても、本人にしか分からないこともあるだろう。でも逆に、傍目に仲良し家族と映るのなら、演じていれば本当にそんな家族になれるのかも知れない。
今朝の朝日新聞の書籍広告欄に、松井久子さんの『最後のひと』が載っていた。読者の声として、「まるで私と彼のことのようで驚いています」「自分たちの関係を後ろめたく思っていましたが、燿子と理一郎のように堂々としていていいですね」とあった。
老いた男と女が、最後に求めるものは何だろう。まだまだ分からない。ということは、見極めるまで生きなくてはならないということか。いやいや、そんなもの見極めなくてもいい、静かにそっと旅立てればそれでいい。