先輩のお姉さんと娘さんの歓迎する宴が昨夜、友だちの家で開かれた。お姉さんは友だちが持つ蓼科の別荘へ一緒に行ったこともあり、友だち夫妻に会いたがっていた。それぞれの家庭で1品持ちよりの宴だったが、テーブルに載りきれないほどだった。
初めにシャンパンで「乾杯!」し、料理をいただいたが、白ワインや赤ワインがどんどん出てきて、私は飲み過ぎた。お姉さんの娘さんはベジタリアンなので、我が家が持って行った「ちらし寿司」も「刺身」も食べなかった。
娘さんがベジタリアンだと知った友だちは、即席でサラダを2品作った。いつものことだが、彼女の手際の良さには感心する。娘さんは日本語が話せないので、アメリカに留学したことのある友だちのダンナが隣に座った。英語で話せる人がいて安心した様子だった。
ベジタリアンは宗教上の決まりではなく、生き方の「思想」のようだ。仏教でも殺生の教えはあるし、イスラム教徒は豚肉を食べない。ベジタリアンは動物や魚貝など、命のあるものは食べない主義のようだ。けれど、牛乳や玉子は食べてもいいと言う。
牛乳は命を奪っていないし、玉子は命になっていないという解釈のようだ。野菜だって命はあると思うけれど、野菜は食べても良いというのは勝手な気がするが、野菜を禁止してしまったら、食べるものが無くなってしまう。
動物の肉を食べるようになったのは、動物を飼育できるようになったからだろう。日本人が本格的に肉を食べられるようになったのは明治以降だと思う。私の子どもの頃は、鶏肉が出ればごちそうだった。サバやイワシ、カレイなどの煮魚はとてもうまかった。
ベジタリアンの人が「美味しい」と言って食べるものは何だろう。聞いてみたかったけど、英語で会話が出来ず残念だ。娘さんは近くのスパーに買い物に行ったと聞いて、「日本語出来なくて買い物はどうしたの?」とお姉さんに尋ねると、「通訳出来るスマホを持っている」と言う。