友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

権力のある方が強い

2012年04月29日 16時46分36秒 | Weblog

 身体のどこかに痛みがあるのはつらい。右肩の痛みはもう10日も続いている。筋肉を緩める薬や痛みを和らげる薬を服用したけれど治らない。痛み止めの注射と赤外線を当てたがやはりダメだ。50肩のように腕が上がらないわけではなく、自由に動くのに、肩は絶えず痛い。だから気分も晴れず、ボーとしている。

 今朝はマンションの自治会の総会だった。決算書の書き方が変わったので、質問が出ることは分かっていた。それに、自治会長だった人が市の組織にマンションの長として出ることには異論が多いことも分かっていた。異論を唱える人たちの考え方が正しいと私は思った。どう、攻めるのか注目していた。

 児童会、生徒会、学生自治会、職場の集会、町内会、国会のような議会、そしてたとえば家庭でも、子どもたちより父親が優勢のように、組織のトップにいる者は絶対的に強いことをハッキリと見た。どんなに正しい意見であっても、そこにいる普通の人々から賛同を得ることは難しい。賛同を得るためにはそれなりの戦略と戦術がなければまず無理だと思い知らされた。

 私はいつも少数派だったから、こんなことばかりを経験してきた。トップにならなければ何も実現できない。逆にトップになればなんでもできてしまう、それが民主主義のルールというものだ。決算書の書き方について時間を取ったから、人々は少々嫌気が指していた。そこに今度は人事のことで、感情的な対立のように見えてしまった。ひとりの男の野心から生まれた人事だけれど、たとえそうであっても、それはそれでいいではないか、そう思うようになってしまっていた。

 「あの人が不適任なら、もっと前、議案に載せる前に阻止しておかなくちゃー」と言う人がいたけれど、確かに事前に根回しして大会では圧倒的な承認という形で決めるのが常だ。今回も市のポジションを狙っていたから、自治会の役員でもないのに代表という形をとらせた。したたかに根回しされた案件だったし、そのために援護射撃をする人の手配も怠らなかった。

 見ていると、普通の人たちは言い合いが嫌いだ。こちらの人の言っていることが正しいような気がするけれど、役員の人たちも一生懸命にやっているのだから、そんなに責めなくてもいいのではないかと思っているようだ。だから時間が長引けば、どうでもいいから終わって欲しいとなる。つまり原案どうりで賛成という図である。

 民主主義が本当に意義のある制度にするためにはどうしたらよいのだろう。繰り返しながら少しずつ変わっていくのだろうか。私の肩の痛みは治らないのだろうか。嫌なことばかりだ。

コメント
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