友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

クラス会の案内

2012年04月11日 17時58分27秒 | Weblog

 雨が降っている。黒いアスファルトの上に桜の花びらが貼り付いてきれいだ。私は何もすることがなく、本を読んでいた。すると午前も午後も、1時間もすると急に睡魔に襲われた。そんな時は躊躇せずに布団に入って眠る。この頃見る夢は井戸掘りばかりだ。夢というよりも、寝ながら、ああでもないこうでもないと、思い描いているのだろう。

 こうしたいという希望が何かの都合で実現しなかったり、延期になってしまったりすると、それは仕方のないことなのに、必要以上に落ち込むことはよくある。誰でも、いつでも、順調に希望通りことが運ぶなどということはない。だからこそきっと、他の力にすがりつきたくなるのだ。宗教とか、占いとか、運勢とか、何でもいいから元気付けて欲しいのだ。

 小学校の同級会の連絡が来た。案内の封書の中に、「2012年幹事会からの素敵なプレゼント」というカコミがあった。卒業記念文集の復刻版を出席者に配布することと、小学校のジオラマを80インチの大型スクリーンで見せるという。卒業記念文集があるとは知らなかった。どんなことが書かれているのか、懐かしく思うと共にちょっと気になる。

 小学校を卒業して55年にもなるのに、大事に残していた人がいたことに感心してしまった。そういえば今朝、中学校のクラス会の役員から、「これまで、どうやって開いてきたのか、教えて欲しい」と電話があった。どうやってもいいのにと思うけれど、初めて呼びかける人は不安に思うから電話をしてきたのだ。先回の幹事としては質問に答える義務がある。

 故郷に住んでいるクラス会幹事の経験者に聞いてもらえば、キチンと教えてくれるだろう。そのことも会った時に話そう。中学の時の担任は異常なほど几帳面な人だったので、クラス会の日時や場所・参加者名の記録を残してくれていた。それに在学中か卒業してからか、文集も作った覚えがある。表題は『麦の歌』だった。誰か持っていないだろうか?

 私が高校の教師になった時に3年生だったクラスからと、翌年に初めて担任したクラスから、相次いでクラス会の案内が来た。3年生だった子どもたちとはわずか4歳しか差がなくて、まるっきり私の方が子ども扱いされていた。授業は一度もしたことがなかったけれど、体育祭や文化祭、卒業作品づくりなどで親しくなったような記憶がある。

 初めて担任をしたクラスの子どもたちの時に、私は結婚したので、子どもたちもよく家に遊びに来た。私は自分が中学の時の担任がやってくれたことをそのまま行っていた。まだ、給料が安かった頃だったから子どもたちが来て、食事をしていくとかなりの出費になったのか、カミさんは嘆いていたようだった。

 初めて担任した子どもたちも今年は60歳になる。案内の往復はがきには『還暦クラス会』とあり、「お互い、いい人生を歩んで来たと思います。2回目の人生の出発点をみんなで祝いましょう」と呼びかけている。声をかけてくれるだけでも嬉しいことだ。生きている限り、必ず出席しようと思う。

コメント
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