友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

納得し同意するなら、それは「愛」

2012年04月07日 18時55分51秒 | Weblog

 風が冷たい。4月なのに、桜が咲いているのに、気温は10度くらいしかない。今年は異常気温が続いている。天気予報の人が「これは地球温暖化と関係がある」と言っていた。桜の宴を来週にしてよかった。今日なら寒さで震えていなくてはならない。カミさんたちは名古屋城の能楽堂での「桜と鐘」を鑑賞しに出かけて行ったけれど、屋外なら寒くてたまらないだろう。

 北朝鮮がミサイルを発射するというので、各地にPAC3が配備された。平素ではこれほど大掛かりな軍事訓練は行うことができないから、ほくそ笑んでいる人たちもいるだろう。実際にPAC3が発射されることになれば、ますます軍備を現実問題にするだろう。地震だ、津波だと騒いでいるうちに、増税しかないとなったように、軍備の増強となるのではないかと思う。

 暖かな春がなかなかやって来ないと嘆いているうちならいいけれど、増税や軍事力の強化、あるいは精神の統一が声高に叫ばれるようにならないかと心配になる。大阪の橋下市長は「このままでは日本はダメになる」と言う。「公務員は、君が代を歌い、日の丸に敬意を示すべきだ。それが嫌なら辞めたらいい」とも言う。

 風が冷たいだけではない。卒業式や入学式で、君が代を斉唱しない教員がいないか、校長はチェックせよと言われている。公務員なら当然だろうと橋下市長のように考える人はいるだろう。しかし、歌うか歌わないか、敬意を示すか否か、そういう心の問題を強制することはできない。本来なら心から歌うことが「愛」なのだから、「愛」が伴わない擬制など意味がないはずだ。

 それでも、形が大切なのだと橋下市長が言うのであれば、その目指す政治とは彼のための政治で市民のためではない。彼は「選挙は白紙委任だ」と言う。白紙委任できるためには信頼が存在しなければならない。信頼などは存在しなくても、投票さえあればいいと言うのだろう。そうであれば、それはヒットラーとどこに違いがあるのか。

 強制されることが一番嫌いな私は大阪では教員が勤められない。教員だった時、生徒指導部の先生から「先生のクラスは髪型が異常なので注意して欲しい」と言われた。私はクラスで生徒指導部から髪型が異常だと言われていることを告げ、「異常な髪型の者は手を上げなさい」と聞いた。誰も手を上げる者はなかったので、「このクラスには髪型が異常な者はいないんだな」と聞くと、「はーい」と答えた。私は生徒指導部に「私のクラスには髪型の異常な者はいません」と報告した。

 私の中学時代の担任が「外見よりも中身だ」と言っていたことが、私の中にはずーっと残っていた。「心までは縛れない」とも言っていた。だから自分から勉強する気になれという話だったのだろうが、私の関心は、人の心を支配するのは外力ではないという点だった。納得し同意するとするなら、それは「愛」なのだと思うようになった。

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