友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

「桜の宴」開かれる

2012年04月14日 13時56分13秒 | Weblog

 朝、雨が降っていたから、やっぱり「桜の宴」は明日に延期だなと思った。すると午前8時過ぎ、「みんな、もう集合している」と電話が入った。午前10時に再び集合し、予定通り段取りにかかると言う。「雨は大丈夫なの?」と言うと、「絶対晴れる。もう西の空は明るいでしょう」と極めて楽観的だ。午前10時に集まった時は確かに雨は一時上がっていた。いつもの会場へ出かけていって、ブルーシートを敷き詰める。周りに人は誰もいない。午後2時30分にマンションを歩いて出発し、会場には3時に到着する予定だ。先発隊が用意したバーベキューセットはきっと火が起きているだろう。それで、宴会が始まる。そんなわけで、今日は書けるところまでで終わる。

 昨夜遅くに、卒業生から電話があった。「クラス会の返事は先生が一番だったよ。それで、元気にしてるかと思って電話した」と言う。私が初めて担任を持った時、彼は留年して、1年生のクラスにいた。私はまだ一人者で長屋生活をしていた。丁度彼の家と学校との間に私の長屋はあったので、彼は毎日のように寄ってから帰って行った。玄関の左に畳1枚ほどの台所があり、キャベツの千切りとコロッケとか、お金があれば肉を炒めておかずにしていた。彼はキャベツの千切りは初めて食べたと言う。男の一人暮らしを彼は面白がっていた。彼は私が持っていた大江健三郎の『見るまえに跳べ』を熱心に読んでいた。私の6畳一間は、彼の図書室兼くつろぎの部屋だった。

 彼が高校3年の正月、陶器会社に勤めていた彼の父親は凍りついた路面に足を取られ、頭を打って亡くなられた。彼は念願の自動車会社のデザイン部に入社し、彼女を連れて遊びに来て、やがて結婚して子どもも生まれた。彼の住まいに一家で泊めてもらったこともある。彼も一家で毎年遊びに来ていた。教師と生徒というより、兄と弟のような付き合いだった。彼は自動車会社を辞め独立して会社を創った。私はよく知らなかったけれど、その世界では有名なデザイナーになっていた。何が原因なのか、離婚し、会社はつぶれ、病気で悲惨な運命を辿るようになる。年賀状も電話も来なくなり、どうしているのだろうと思っていた。

 どんなに遅くなっても、春になれば桜は咲き、やがて散っていく。それは止められない。人もまた、良い時もあれば悪い時もある。人生、良い時ばかりが続くわけでもないし、悪い時ばかりが続くわけでもない。彼が言うように、「そんなものじゃーないの」と私も思う。さて、時間が無くなってきたのでここで終わろう。桜の写真が撮れたら、載せることを忘れないようにしよう。

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