友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

花粉症と神経衰弱

2012年04月18日 21時23分43秒 | Weblog

 朝から鼻水とくしゃみが止まらない。花粉症は卒業できたと思うほど、最近では治まっていたのに、どうしたわけか今日は鼻水がポタポタと落ちてくる。時折り、大きな声で「ハックシュン」を連発してしまう。昔、薬剤師の友人に花粉症の悩みを話すと、「それは若い証拠。年を取ると花粉に反応する力も無くなる」と言われ、なるほどと妙に納得した。こうして花粉症に悩まされているのは、まだ若いからだと勝手に思い込むことにする。

 石川啄木の家族は肺結核だったから、家中で「ゴホン、ゴホン」とやっていたことだろう。鼻水も悲惨だけれど、咳きはもっと悲惨だろう。明治の頃には花粉症などという病名は存在しなかったかも知れない。私の子どもの頃でも、そんな病気の話は聞かなかった。だから産業の急速な発展が生み出した病気なのだろう。明治になって、文人らの間で流行ったのは神経衰弱だったのではないだろうか。

 夏目漱石は東京育ちで、小さい頃には落語をよく聞いていたそうだ。愉快とか滑稽に憧れていたのに、実生活では神経衰弱で胃潰瘍という典型的な心のストレスの持ち主だった。胃潰瘍になったことのない人には想像できないかも知れないが、シクシク痛むうちはまだ耐えられるけれど、ジクジク痛み出すと「誰でもいいから、胃を切り取ってくれ」と叫びたくなる。漱石は痛む胃に「水をかけてくれ」と叫んだと聞いた。確かに腹の中で火事が起きている感じだ。

 神経衰弱と「うつ病」は同じなのか、別のものなのか、私は知らないけれど、いろいろ考え込むような人を「神経衰弱な奴だ」と言っていた気がする。神経が細かいというか、人に気を使い過ぎるタイプに多く見られる。しかし、細やかな心遣いができるのに、性格がとても明るい人もいる。細やかな心遣いなどしているつもりがないから、心の負担が無いのだろう。とても幸せな人だと思う。逆に、そんなに気を使っているように見えないのに、感情の起伏の大きい人もいて、胃潰瘍になったりする人もいるから、人を見かけだけで判断するのはよくない。

 1963年に起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」の犯人は、福島県の貧しい農家に生まれた。6男5女の10人目の子だった。アカギレが原因で黴菌が入り、骨髄炎を患い、足が不自由だった。勉強する機会など無かった犯人が刑務所で短歌を学び、いくつもの歌を作っている。

   明日の死を 前にひたすら 打ちつづく 太鼓を指で 聴きつつ眠る

   世をあとに いま逝くわれに 花びらを 散らすか門の 若き枇杷の木

 犯人は「今度生まれる時は、真人間になって生まれてきます」と述べたと言う。彼は胃潰瘍や花粉症で悩むということはなかったのだろうか。この最後の言葉からは、普通に健全な人柄が窺える。犯罪はなぜ生まれたのだろう。

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