復活祭である4月8日、親しくしていただいた友人が旅立った。クリスチャンとは知っていたけれど、今日、前夜式に出席して、ご夫婦が所属しているキリスト教が、牧師とか神父とかのいない、信者が自発的に責任を分かち合い、「聖書のことば」のみに立つ、信仰グループだと知った。彼が入信したのはカミさんの影響が大きいようだが、どっちがどっちとは言えないような気がする。愉快な夫婦だったし、ダンディな夫と清楚な妻だったが、私はふたりがお昼に、ビールを飲んでいるところに出会わせたことがあって、日頃のイメージとは違う、いやむしろ「らしい」と感じた。
私たちはどう足掻いても罪人であり、だからこそ神の愛にすがろうとしている。いつまでも神の期待に応えられないまま、許しと祈りを繰り返している。それでも、このふたりといると楽しい雰囲気に包まれる。彼はチェロの奏者で、彼女はピアノの奏者、昔はふたりの演奏会をよく開いていた。彼がヴァイオリンと組んで弦楽四重奏団を結成し、いろんなところでコンサートを行うようになってから、夫婦での演奏会は小規模なものに変わった。弦楽四重奏団はかなりレベルの高いもので、ぜひ多くの人々に聴いて欲しいと思った。
夫婦での演奏活動は地域でのボランティアとなり、福祉施設や病院でのコンサートが多かった。マイクを持って、音楽の話や曲目の話をする時、彼はなかなか話上手だった。私の選挙の時もいつも応援してくれて、出発式や演説会で演奏してくれた。「ハイレベルだね」と冷やかす人もいたけれど、「文化の香り漂う町」を標榜していた私にはピッタリだった。夏に私が白桃を贈ると、秋に彼から洋ナシが届いた。以前、マンゴを持って行った時、彼はその場で皮をむき、表面をサイコロ状に切って見せてくれた。食べることにもダンディさを醸し出す人だった。ゆっくりお酒を飲む機会がないままだったのが悔やまれる。
今日は、これまでの寒さがウソのように暖かい。桜はすっかり満開になった。風に揺られて花びらが雪のように舞う。見れば周りはいろんな花が咲いている。草木も新しい葉を広げてきて、新緑の鮮やかさはいっそう際立ってきた。人がこの世を去るのも、草木が緑を増すのも、花たちが咲きそろい、蝶が飛び交い、小鳥がさえずるのも、私たちの力を超えたもの、自然の中で私たちは生かされている。生きている限り、生きていこうと当たり前のことを深く感じた。